民党総裁選
投票の仕組みは

自民党の党則で定められた「総裁公選規程」では、総裁選挙は、国会議員による投票と、全国の党員などによる「党員投票」の合計で争われることになっています。
この場合、
▽現在の所属議員の数を反映した「国会議員票」は394票で、
▽「党員票」もこれと同数の394票となり、合わせて788票で争われます。

また、告示から投票まで12日以上の選挙期間が設けられます。

今回のような場合は

一方、今回のような任期途中の辞任など緊急の場合には、党大会に代わる両院議員総会で、国会議員と都道府県連の代表3人が投票を行って、選出できることになっています。

この場合は、
▽1人1票を持つ「国会議員票」394票と、
▽各都道府県連ごとに割り当てられるのは3票で、
47の都道府県連では合計141票になることから、合わせて535票で争われます。

また「党員投票」は、行わなくてもよいことになっています。

1日の総務会では、この両院議員総会で選ぶ方法が決まりましたが、党内で党員投票を求める意見が相次いだことを受けて、都道府県連の代表の投票先を決める際には、予備投票を行うよう促すことになりました。

これまでの「議員票」と「地方票」

国会議員に割りふられた票と、それ以外の党員投票などによる「地方票」の割合が、勝敗の行方を左右してきたため、総裁選挙の在り方は、これまでも焦点になってきました。

〈平成13年〉
当時の森総理大臣の後任に、小泉総理大臣が選ばれた総裁選挙では、
▽「国会議員票」346票と、
▽「地方票」141票で、争われました。

47の都道府県連に割りふられる「地方票」は、それまでの1票ずつから、3票ずつとなり、その3票を、どの候補者に投票するかを決めるため、すべての都道府県連で独自に予備選挙が実施されました。

また、多くの都道府県が、その県で最も多い票を獲得した候補者に持ち票をすべて割りふる、いわゆる「総取り方式」を採用したため、小泉総理大臣が大量得票する一因となりました。

〈平成15年〉
小泉総理大臣が再選を果たした総裁選挙は、
▽「国会議員票」357票と、
▽党員投票による「地方票」300票の、合わせて657票で争われました。

「地方票」は、141票から300票へと大幅に増え、都道府県の持ち票は各候補者に比例配分される方針に変わりました。

〈平成18年〉
安倍総理大臣が戦後最年少の52歳で総理大臣に就任した際の総裁選挙は、
▽「国会議員票」403票と
▽党員投票による「地方票」300票の、合わせて703票で争われました。

〈平成19年〉
総裁選挙は、安倍総理大臣が第1次政権で、任期途中で辞任を表明したことを受けて行われました。

速やかに後任の総裁を決定する必要があるとして、党則第6条2項の規定によって、党員投票を含めた「公選」を行わずに、党大会に代わる両院議員総会で、党所属の国会議員と、都道府県連の代表が投票を行いました。

▽「国会議員票」387票と
▽47の都道府県連に3票ずつ割り当てられている「地方票」141票の、合わせて528票で争われました。

〈平成20年〉
福田総理大臣の任期途中での辞任表明を受けて行われた総裁選挙でも、党大会に代わる両院議員総会で、党所属の国会議員と、都道府県連の代表が投票を行う形で、新しい総裁を選びました。

〈平成21年〉
衆議院選挙に大敗し、麻生政権が退陣したあとに行われた総裁選挙では、
▽「国会議員票」199票と
▽党員投票による「地方票」300票で争われました。

〈平成24年〉
安倍総理大臣が再び自民党総裁に返り咲いた総裁選挙も、
▽「国会議員票」199票と、
▽党員投票による「地方票」300票の、合わせて499票で争われました。

1回目の投票では、石破元幹事長が1位になり、安倍総理大臣は2位でしたが、石破氏をはじめ5人の候補者がいずれも過半数を獲得できなかったため、198人の国会議員による決選投票が行われた結果、安倍氏が石破氏を逆転して、新しい総裁に選出されました。

〈平成30年〉
前回、行われた総裁選挙は、総裁任期が「連続3期」に延長されて、最初の選挙となり「党員投票」が行われました。

▽党員投票による「地方票」は405票と、「国会議員票」と同じ数になり、いわゆるドント方式で各候補者に配分されました。

〈今回〉
党員投票は実施せず、両院議員総会を開いて、新しい総裁を選ぶことになりました。

▽「国会議員票」394票と、
▽47の都道府県連に3票ずつ割り当てられた「地方票」141票の、合わせて535票で争われることになりました。

執行部側は、都道府県連の代表の投票先を決める際には、予備選挙などを行い、党員の意向を反映するよう、党として各都道府県連に促すことにしています。