寺田総務大臣更迭
辞任ドミノ “岸田流”の顛末は

私自身、任命責任を重く受けとめている
総理大臣・岸田文雄は、岸田派に所属しみずからに近い総務大臣・寺田稔の辞表を受理したあと、記者団に述べた。

辞任ドミノ」「更迭の判断がまた遅れた
野党だけでなく与党内からも疑問の声が上がる更迭劇。判断の裏側には何があったのか、辞任までの1か月半を追った。
(阿部有起、山本雄太郎、清水大志)

日曜夜の辞表提出

11月20日、日曜日の夜8時前。


たった今、岸田総理大臣に大臣の辞表を提出させてもらった。けじめをつけた
雨が降る中、記者団にそう話し、総理大臣公邸をあとにした総務大臣の寺田。

“主計官”の余裕

混迷の始まりは10月6日だった。
この日発売の「週刊文春」は、寺田が代表を務める政治団体が、地元・広島の事務所を共有する妻に、賃料として9年間でおよそ2000万円を支払っていたなどと報じた。

この段階で、寺田周辺は、「大丈夫だ」と楽観視していた。

記者会見で寺田の表情には余裕もうかがえた。

当然、建物の所有者には賃料を支払います。金額も適正で、収支報告書に適正に記載しています。妻も適正に税務申告している

また、人件費としてスタッフらに毎年500万円ほど支出しているのに、税務申告を行っていないのではないかと指摘された質問には、手元のメモを見ずに、こうそらんじた。

税金を払う前提として控除項目、経費と控除があります。医療費、災害控除、雑損控除などがあります…(以下、略)」

問題はないという認識を示した寺田の会見対応に、総務省幹部は「『さすが』と言わざるを得ない。しっかり説明している」と自信を見せた。

寺田は旧大蔵省出身。20代で税務署長も務め、主計局で予算査定にあたる主計官も務めた。


ことし8月の内閣改造で総務大臣に就任すると、総務省内で付いたあだ名は“主計官”。
寺田が総務大臣になっても、打ち合わせで細かい点に至るまで矢継ぎ早に質問を飛ばすことが由来だという。

“ボディーブロー”の嵐

しかし、“余裕”は長続きしなかった。このほかの政治資金をめぐる問題が次々に指摘されたのだ。国会で野党側は「政治資金を所管する大臣として不適格だ」として、追及のボルテージを上げていった。

指摘されたのはほとんどが地元に関するものだ。

徐々に寺田の答弁にもほころびが見られ、委員会で答弁を修正する場面も見られた。また、一部法令に違反していたことを認めるなど、委員会質疑は「野党ペース」になっていく。

国会の後、寺田周辺は「ひとつひとつには答えられているが、『問題が発覚して追及』、また『問題が発覚して追及』…次々に“ボディーブロー”を打たれているようなものだ」とこぼした。

野党の辞任要求が強まる中、与党内でも「補正予算案の審議を控え、交代した方が良いのではないか」と辞任論が出始める。

11月17日の国会答弁で寺田は「政治家としての出処進退であり、私自身が判断すべきものだ」と“出処進退”に言及した。

その翌18日、寺田は、記者会見でこう発言した。
記者「自民党内から早期辞任論も上がっているが
寺田「何人かの自民党の方々からは激励を受けております。直接私に『辞任しろ』という方はございません

いつもの冷静な答弁とは違い、いらだちが見て取れた。

「W辞任か?」

実は、この間、「寺田更迭か」と緊張が走った時があった。
11月11日、法務大臣の職や死刑執行を軽んじるような発言に批判が集まった葉梨康弘が辞任した日だ。
永田町には、「寺田も同時に更迭されるのではないか」という情報が飛び交った。

寺田が公務を終え、総務省を出たのは午後2時半。その後の日程は入っていない。
総理大臣官邸に現れるのではないか。
警戒を続けたが、寺田は午後8時前に帰宅。

局面は訪れないまま総理大臣の岸田は、翌日未明に外国訪問に出発した。

「寺田さんが来ない!」

そして、11月19日の土曜日に岸田が帰国。

第2次補正予算案の国会審議入りを翌日に控えた20日。
普段は静かな日曜日の総理大臣公邸を、報道陣のカメラが囲んでいた。

寺田が岸田に辞表を出すため、公邸に入るのではないか。ピリピリした雰囲気となっていた。

前日、岸田は、訪問先のタイで開いた記者会見で、寺田を続投させるかどうか問われ、こう述べていた。
経済対策の実現のための補正予算案の成立や、旧統一教会の被害者救済に向けた新法の策定など、難しい課題に結論を出していかなければならない。内閣総理大臣として判断していきたい

「続投」を明言せず、「総理として判断する」とは、更迭のことではないのか。

そうした見方が広がる中、寺田は、地元の広島・呉市から、午後2時過ぎに帰京。
記者団が「辞任に対する考えはいかがか。岸田総理大臣とやりとりはあったのか」と声をかけたのに対し、無言で車に乗り込んだ寺田。

しかし、その後、総理大臣公邸に動きはない。
寺田さんはどこに行った
報道陣に不安が広がり始めた。

「辞める」「辞めるな」長引く調整

複数の政府・与党関係者への取材を総合すると、この間、岸田はギリギリまで関係者と電話協議を続けていたことがわかってきた。

岸田に対し、寺田は「国会審議に迷惑をかけたくない」と辞意を伝えた。
本人の意向を受けて、岸田は、いったん更迭の方針に傾く。

しかし、これに「待った」をかけたのが複数の自民党幹部だった。
ここで辞めれば政権運営に影響が大きい。葉梨氏と同時に辞めさせなかった以上、続投させて踏んばるべきだ。寺田さんを説得してください

党幹部の主張を受けて、岸田は寺田と複数回に渡って電話で会談し、慰留した。
しかし、寺田の辞任の意思は固い。

結局、更迭の方針が固まったのは夕方になってからだった。
政府関係者は、「決まったのは、本当にギリギリのタイミングだった」と漏らす。

“岸田流” 夜の決着

午後8時すぎ。
寺田の辞表を受理した岸田は、記者団にこう語った。

年末にかけて正念場を迎えていることから、寺田大臣の辞任を認めることにした。相次いで閣僚が辞任することとなり、深くおわびを申し上げます

寺田の辞任について、野党側は「遅きに失した」と任命責任を追及している。
わずか1か月の間に3人の閣僚が相次いで辞任する異例の事態となり、与党内からも「辞めさせるなら葉梨氏と同時にしておくべきだった」と対応を疑問視する声のほか「政策判断でも遅れが出るようなら内閣自体が揺らぐ」などと、危機感が出ている。

もっと早く、更迭の判断はできなかったのか?
この日の夜、岸田に近い、ある政府関係者に率直に疑問をぶつけると、こう返ってきた。
岸田さんはそういう人ではない。本当に優しい人なんですよ…

この1か月。大臣の辞任が相次ぐ中で、判断の遅れを指摘されると、岸田周辺から聞こえてきた「すぐに辞めさせずに、きちんと自分で説明させて猶予を与える。説明責任を果たさせるのが“岸田流”」という解説。今回も、丁寧に耳を傾け判断するという、その「岸田流」が表れた結果だとも言えるが、政権運営へのダメージは少なくない。

岸田は、山積する政権課題に結果を出し、信頼を回復したいとしている。
終盤国会に向けて、第2次補正予算案の審議や、旧統一教会の被害者救済に向けた新たな法案の提出も残っている。年末には、来年度予算案の編成も控える。内閣支持率の下落が続き、政権運営の厳しさが増す中、正念場が続く。
(文中敬称略。肩書は当時)

政治部記者
阿部 有起
2015年入局。鹿児島局、福岡局を経て政治部。総理番、厚労省担当を経験し、現在、総務省担当。「10増10減」法の国会審議を取材。

政治部記者
山本 雄太郎
2007年入局。初任地は山口局。外務省担当などを経て自民党の茂木幹事長番。
政治部記者
清水 大志
2011年入局。初任地は徳島局。自民党・岸田派の担当などを経て官邸クラブに。