知事と市長 “不仲”が影響?
検証 静岡大規模断水の初動対応

「緊急時に(知事と)お互い気遣って電話をしあうという関係はできておりません」
10月11日、静岡市長の定例会見での発言に、われわれ担当記者は、めまいを覚えた。
いや、知ってますけど、それをいま記者会見で言っちゃあ、おしまいでしょう…?
台風15号の影響による大規模断水などへの対応をきっかけに全国でも知られるようになった、静岡県知事・川勝平太と静岡市長・田辺信宏の“不仲”。
2人の間はどうしてこじれ、今回の災害対応にどのような影響を与えたのか、検証する。
(仲田萌重子、井ノ口尚生、三浦佑一)

不仲の始まりは

川勝と田辺の間の深い溝。
静岡県民にはある意味、周知の事実だが、まず、その関係性を振り返りたい。
初当選は川勝が2009年で、田辺が2011年。以来それぞれが連続当選を重ね、2人は道路を挟んで100メートルの距離にある県庁と市役所で10年以上トップであり続けている。

11年前、当選直後の田辺について、川勝は早稲田大学の後輩である点を挙げ、「在野精神、国民のため、庶民のため働くという精神を持っている方に違いない」と独特の持ち上げ方をした。この年、リニア中央新幹線が静岡市北部の地下を通る方針が固まった際の会談では2人そろって「工事用の道路が整備され、静岡市の観光の活性化にもつながる」と意気込んでいた。今となっては隔世の感がある話だ。

2人の対立が表面化したのは2015年だろう。
当時の大阪市長・橋下徹が政治生命をかけた「大阪都構想」が住民投票で否決された直後だった。川勝は突然、県と市の二重行政を解消するために静岡市を廃止するという「静岡型県都構想」を提唱し始めた。

大阪で市長と府知事が強力なタッグを組んでも実現できなかった構想をヒントに「静岡市長には市担当の副知事になっていただく」などと主張。それに田辺は反発し「実現性が不透明な制度論だ」とはねのけ、話は物別れに終わった。

衝突の“二人史”

この頃から川勝と田辺は衝突を繰り返すようになる。主なものを列記する。
2016年
○川勝が田辺や浜松市長との会談の席上で「静岡市は政令指定都市の失敗事例」と発言。田辺は市議会で「訂正を申し入れたが、言っても無駄」と突き放す。

2017年
○田辺が老朽化した病院を津波の浸水想定区域で建て替える方針を決め、川勝が「防災先進県の顔に泥を塗る」と非難。
[2018年]
○リニア工事について、田辺がほかの自治体の懸念をよそに静岡市単独でJR東海と相互協力の合意書を締結。川勝は「利水者の思いヘの理解や自然環境ヘの敬意に欠ける」と文書で抗議。
[2019年]
○川勝が、県と静岡市で政策協議を行う特命の幹部職員を互いに置くことを提案するも、田辺は「大げさに『特命』という形で設けることはない」と応じず。
2020年
○静岡市の清水区役所が入る庁舎の移転計画をめぐり市民グループが実施を求めた住民投票を、田辺が反対し市議会も否決。川勝は「静岡市長、市議会は天下に恥をさらした」「市長さんも悪く言えば傀儡(かいらい)」と酷評した。
2021年
○川勝の4回目の県知事選挙立候補について、田辺は「いろいろな組織を攻撃してばかり、批判してばかりの方とは連携がなかなかできない」と不支持の姿勢を示す。
2022年
○静岡市が田辺の名前とイラスト入りメッセージを貼ったマスクを高校生に配布後、ネット上での「売名行為では」という指摘を受けて回収した問題で、川勝が「マスクは今足りている。アベノマスクが処置に困ってるぐらいですから」と皮肉る。

2人をよく知る議員は「川勝知事は学者出身で政治家じゃない。政治家なら少し間を持たせるようなことでも、一本気に思ったことを言ってしまう性格。一方で田辺市長は政令市の市長としてプライドが強いし、知事と対立する市議らに支えられているから弱いところを見せたくないんだ」と、“水と油”の2人を分析する。

「大規模断水」初動は

こうした関係性の中で、今回の台風15号による被害が起きた。
静岡市では河川の氾濫などで4200棟を超える(10月11日時点)住宅が浸水。さらに、清水区では全体の実に6割を超える6万3000戸の大規模な断水が発生した。川の増水で流れた大量の流木や土砂が取水口を塞いで浄水場に水が送られなくなったり、水道管が通る橋が流されたりしたことが原因だった。

静岡市が設置した給水所は30か所にのぼり、民間企業も井戸水や工業用水を市民に提供して支え合った。一方で断水解消の見通しは立たず、市民の間では自衛隊に期待する声が高まった。
断水が発生した9月24日(土)昼前から、26日(月)午前中に県が自衛隊を要請するまでの間、静岡市や県には「早く自衛隊を呼ぶべきだ」「市の初動対応が遅いのではないか」といった意見が100件以上寄せられたという。

ところが、土日の間は自衛隊は来なかった。呼ばなかったからだ。

自衛隊要請めぐる判断

自衛隊の災害派遣。自衛隊法で都道府県知事が要請でき、市町村長は災害対策基本法に基づき知事に「自衛隊派遣要請の要求」ができる。

静岡県は「市長・町長の要求を受けて」自衛隊を要請することを原則としている。つまり清水区の断水で自衛隊を呼ぶかどうかは、まずは静岡市長の判断が鍵だった。

しかし、田辺は当初「自衛隊を呼ぶには及ばない」と判断していたという。

防衛省が自衛隊の災害派遣の要件として示している「緊急性」「公共性」「非代替性」の3原則のうち、土日の段階では「給水車が対応している」「行方不明者がいるわけではない」という点で「緊急性」と「非代替性」を満たさないと考えていたというのだ。
県も、25日(日)の午後に静岡市の状況を電話で確認していたが、自衛隊については「市から求められなかった」として、あえて要請はしなかった。
ある防衛省関係者もNHKの取材に対して「自治体で対応できるか見極めてもらうのも重要だ」と話す。

しかし、断水から3日目、26日(月)朝に静岡市が災害対策本部会議を開くと、医療担当部局が「病院で水が足りない。患者の命に関わるおそれがある」と報告したことから『緊急性』『非代替性』を満たすという意見が浮上。その流れで「断水の原因である川の取水口の詰まりも自衛隊に対応を依頼しよう」との判断に至り、田辺は川勝に自衛隊の派遣要請をするよう求めた。そして午前10時25分、川勝がようやく災害派遣要請を行った。

これに多くの市民は納得しなかった。もっと早く派遣を要請できなかったのか、派遣要請当日、26日の会見で問われた田辺は「きのう現場を視察して、よし、これは週明け、連休明けたら県に(派遣の要求を)しようとなった。まず何を要請するかという具体的な中身を固めなければならないということがあった」と述べた。
しかし、ネット上では「判断が遅い」などいらだちの投稿が相次いだ。

自衛隊は要請を受け、その日午後4時前には病院や障害者施設で給水支援を開始。そして翌27日午後6時半には30人体制で川の取水口に詰まった流木や土砂の撤去を始めた。それまで市側でもある程度は流木を取り除いていたというが、自衛隊はおよそ6時間で撤去を完了させた。復旧作業は大きく前進した。

水道管に水が送り込まれ、全面復旧したのは断水発生から12日後。風呂やトイレを我慢しながら、重い水を川や給水所から運び続けた市民が「早く自衛隊が来ていれば復旧はもっと早かったんじゃないか」と恨み節なのも無理はない。

「じりじりと待っていた」

9月30日。NHKが災害派遣要請の経緯を川勝に問うと「私どもは市や町からの要請があってから自衛隊に出動要請するという手続きになっている。日曜日(25日)に要請がこなかったのでどうなっているのかとじりじり待っていた」と述べた。この局面でも田辺との距離を匂わせる川勝の受け応えもあって、市民の間で「田辺と川勝の仲が悪いせいで、自衛隊への要請が遅れたんじゃないのか?」という疑念が生まれた。

10月6日。山間部で断水が続き、2万トンを超える災害廃棄物の処理にもめどがつかない中、市の自治会連合会の役員らが防災服姿の田辺と面会した。


差し出した「要望書」には「今回の災害対応について詳細な検証を行うこと」「災害時における国、県、他自治体等との連携を強化すること」と記されていた。言わずもがなのことをあえて書いたところに、市民としての問題意識がうかがえる。
不仲と言われること自体が普通じゃない。通常の話ができないのかと思う
自治会連合会の会長は取材に対してそう嘆き、2人の関係改善を願った。

携帯番号を知らない?

冒頭で紹介した10月11日の田辺の会見にもう一度触れよう。

田辺は自衛隊への派遣要請については「タイミングとしては適当だったと思う」と強調した。その上で川勝の対応については「今振り返って批判をすることは避けたいと思うが、じりじり待っていたのならば、知事から電話を1本頂きたかった」という微妙な言い回しで不満を示した。

首長(自治体トップ)は携帯電話でやりとりするのが常識だが、(知事とは)携帯電話ができない。番号を知らない。かつて教えてもらおうと思ったことがあったが、残念ながら教えていただけなかった。知事と緊急時に連絡することができない状況が続いていて、今回の災害に遭遇してしまった
溝を隠さず示すことで、暗に川勝の非を訴えた。

一方、その3時間後に会見を開いた川勝。


田辺の「携帯番号を教えてもらえなかった」という発言について「虚言ですね」と冷淡なことばで否定したあと、直接的に批判した。

市長の決断を得られないというか、連絡がとれないと聞いた。市の危機管理システムに問題があったという印象を持っている

政治家同士が電話やLINEで連絡を取り合うのは、緊急時に限らずコミュニケーションとして一般的だろう。私たちの取材経験でも、自治体トップ間のホットラインによって迅速な支援が行われた場面はたびたび見てきた。
県のある幹部は「26日の自衛隊要請直前に田辺市長に連絡をしたのは副知事だった。川勝知事はこれまでの経緯から、どうしても市長と連絡を取りたくなかったんだろう」とため息をついた。

“赤vs青”は続く

公然のものとなった2人の不仲。これが、南海トラフ巨大地震の震源域の真上に位置する静岡県の、知事と県庁所在地トップの関係だ。

思い返したエピソードがある。2019年の田辺の3期目当選後、川勝が記者会見の最中に、田辺との関係を心配したらしい小学生3年生から届いたという手紙を披露した。

手紙にはこう書かれていた。
にこにこでけんかせず頑張ってください

川勝は「心配かけて恥ずかしい」「テレビのリングで赤コーナーと青コーナーでやり合っているかのごとき(にメディアが取り上げるの)はこれで終わりにされればどうかと思いますし、私もそうしたことにならないように心したい」と述べた。

小学3年生が心配した「赤コーナーと青コーナー」の関係は、今も続いている。
人間だから、合う合わないはあるだろう。ただ、それが行政の長としての判断や施策に影響することは絶対にあってはならない。ましてや緊急時に。県民・市民を巻き込むことだけはやめてほしいと思う。
(文中敬称略)

 

静岡局記者
仲田 萌重子
全国紙で福島県政や原発事故を取材し2022年NHK入局。静岡県政キャップ。
静岡局記者
井ノ口 尚生
2018年入局。松山局を経て静岡局で県政担当。熱海市の土石流、リニア、コロナ取材などに奔走。
静岡局記者
三浦 佑一
2003年入局。福島局、社会部などを経て2度目の静岡局。川勝県政・田辺静岡市政を11年間ウオッチ。