二人三脚で政権維持
菅義偉が語る安倍晋三

安倍晋三元総理が銃撃されて死亡するという衝撃的な事件。
歴代最長の政権を築いた宰相との評がある一方、数々の疑惑を残したと厳しく指摘する声もあり、その評価はまだ定まっていない。
果たして安倍晋三とはいかなる政治家だったのか。彼を深く知る人物へのインタビューを通じて探った。
”女房役”として長く政権を支え、総理の座を引き継いだ菅前総理に聞いた。
(花岡伸行)

【リンク】石破茂が語る安倍晋三

「そのままの顔で眠っていた」

安倍が凶弾に倒れた7月8日。
菅は、参議院選挙の応援で沖縄に飛ぶため、羽田空港に向かう車中で一報に接した。

胸を撃たれたという話が入ってきて、左の胸ということだったので、万一のことも考えました。現実とは思えない感じでしたね。車を停めて情報収集して、奈良に行こうと新幹線を手配しました。本人は賑やかなところが好きで、非常にさみしがり屋でしたから、そばにいて同じ空気を吸ってあげたかった。ただただ無事を祈りました

菅が、奈良市内の病院に到着したのは、午後6時ごろ。安倍が亡くなってから、1時間が経過していた。

移動の途中、17時3分に亡くなられたという情報がありましたが、自分の目で確かめたいという思いが強かった。検視が終わるのを2時間くらい待って、本人と対面できることになった。生前の、そのままの顔でしたね。そういう顔で眠っていました。『お世話になりました、ありがとうございます』と言いました

出会い 憧れの人に

菅は、第2次安倍政権が発足した2012年12月から、退陣までの7年8か月、一貫して官房長官を務め、安倍を支え続けた。官房長官としての在任期間も歴代最長だ。体調を崩して総理を退任した安倍に、再び総裁選挙に出るよう働きかけたのも菅だ。

2人の信頼関係は、どのように深まったのか。
きっかけは北朝鮮問題だった。

私が当選2回の時、北朝鮮へのコメ支援について、私は『北朝鮮にコメを送っても国民には届かないだろう』と反対したんです。次の日に新聞で私の発言を見た安倍さんから電話がかかってきて『菅さんの言っていることは正しい。一緒に拉致問題に取り組んで欲しい』と。そこからです

安倍の呼びかけで初めてじっくりと話をした菅。
印象深かったのは、安倍が熱っぽく語った国家観だったという。

拉致問題について、主権を侵害されて国民を守れないのは国家として一番恥ずかしいことだという強い思いを持っていました。非常にしっかりした国家観と先見性を持っていて、すごい人だなと。いつか総理大臣になるだろうし、してあげたいと思いました。私にとっては憧れの人と言っていいのかもしれません

政権の危機 支持率を諦めていた?

歴代最長とは言え、政権を揺るがす事態も少なくなかった。
政権の最大の危機はいつだったかと尋ねると、安全保障関連法の国会審議が白熱していた時期をあげた。


この安全保障関連法は、従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を限定的に可能にすることなどを盛り込んだもので、2015年の通常国会で与野党の激しい対立の末、成立した。

平和安全法制を採決した時は、時間切れになるかもしれないという問題もありました。政権の最大の危機は、あそこだった。重い法律の審議が続いて、政権が体力を失っていたので、なかなか厳しかったですね

当時は、野党の反発だけでなく、国会周辺でも大規模なデモが連日行われていた。
そうした中でも、安倍は法律の成立に強いこだわりを持っていたという。

安倍さんは『この法律を作っておかなければ日本は大変なことになる』という危機感を非常に持っていて、どんなことをしても成立させるという強い信念がありました

法案の審議が始まると、内閣支持率は10ポイント以上、下落。しかし、菅ら周囲が危機感を抱く中にあって、安倍は悠然としていたと振り返る。

私は、このまま突っ込んでいけるかどうか、ものすごい不安になりました。一睡もできない日もありました。ただ、安倍さんは、非常に楽観的でしたね。徹夜の審議になって結局、採決できなかった時も、『時間をおけばなんとかなるよ』みたいな感じでしたね

ー支持率の大幅な低下を気にしなかったのか?

そこはなかったです。もう最初から諦めてましたから。『人事を尽くして天命を待つ』という言葉がありますけど、安倍さんはやることはしっかりやって、あとは結果を待つという、そういうところがありましたね

菅は、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を受けて世界情勢が緊迫化する中、安倍政権下で安全保障関連法を整備したことの意義を強調する。

ウクライナ情勢で私たちが学んだことは、今の時代に1国だけで平和を守るのは難しいということです。まして日本は、ロシアに隣接し、北朝鮮や台湾海峡もありますから、国民の安全・安心を守るには日米同盟の抑止力が大事です。あの時に、日本を守ってくれている米軍が攻撃された時に日本も防御、攻撃できるように憲法の解釈を変更して、法律を作っておいて本当に良かったと思います

首脳外交での関係構築術は

安倍死去の報が流れると、海外の要人からは弔意を示すメッセージが相次いで寄せられた。アメリカのトランプ大統領やロシアのプーチン大統領をはじめ、各国首脳と幅広い人脈を築いてきた安倍を、菅はどう見ていたのか。

初対面の人でも、瞬時にひきつける魅力というのがあったと思います。トランプ大統領との電話会談でも、すぐに打ち解けてしまう雰囲気を作って、それでいて物怖じしない、大したものだと思いました

トランプとの関係構築には、事前の情報も活用したという。

ある国会議員が私に『トランプ氏が好きな言葉は、アメリカンドリームとゴルフだ』と教えてくれて、安倍さんが最初の電話でその言葉を使ったら、盛り上がってました(笑)。そして『いつかゴルフのお手合わせを』と安倍さんが言ったら、すぐ『やろう、やろう』と言ってくれたのが非常に印象に残っています

ただ、北方領土問題をめぐるプーチンとのやりとりは緊迫したものだったと、菅は明かす。2016年12月のいわゆる「長門会談」だ。

山口の温泉で首脳会談をやりましたが、もう真剣勝負で、勉強会の時から鬼気迫るというか、ピリピリしていました。相手がどんな出方してくるのか、特に北方領土の返還というのは、いろいろ考え方が複雑ですから『こう言われたら、こう言おう』とか、そこは非常に訓練されていました

しかし、北方領土問題の交渉は進展しなかった。

極めて重い問題だったというのが一番の理由でしょうね。そんな楽な問題ではないですね、領土問題は

「モリ・カケ・桜問題」2人で交わした会話

一方で、安倍政権が厳しい批判を受けたのが、森友学園をめぐる財務省の決裁文書の改ざん問題や加計学園の問題、そして「桜を見る会」をめぐる問題だ。
国会で安倍は、総理自身の問題だと野党から厳しい追及を受けた。

菅は官房長官として、連日行われる記者会見で、政権としての説明を求められた。
安倍は、菅に心境をどう吐露していたのか。

安倍さんは『事実でないことを証明するのは難しい』という趣旨の話をしていました。安倍さんがそう言うので、私は会見で誠意を尽くして説明するしかないと思っていました。説明をすることが役割ですから。私の会見について、安倍さんは何も注文をつけなかったですね

”女房”として 後継総理として

”女房役”を務めた菅は、安倍晋三という政治家をどう評価しているのか。

戦後の日本でタブー視されていたところに切り込んだという感じがします。例えば、教育基本法を改正した時に、日本と郷土を守るという当たり前のものが書かれていなかったのを変えたりして、本質的な部分を正しく変えてきた。戦後政治で失われたもの、日本人が失っちゃダメなことをしっかりと取り戻してきたんじゃないですかね

また、菅は、安倍の後任の総理大臣を目指すと決断し、そのことを安倍に告げた際に、かけられた言葉が忘れられないと語る。

私は総理を目指していなかった。でも、新型コロナの感染拡大があって、コロナを乗り越えるためには私じゃなければダメなのかなと考えた。官房長官として横浜のクルーズ船の乗客の救出などの対応を担ってきたので。安倍さんに『出馬をさせていただきます』と言ったら、『コロナ対策は菅ちゃんが一番分かってくれてるから、菅ちゃんがやってくれるのなら、それが一番いいんだよな』と言ってくれました

“安倍後” 菅はどうする?

日本政治に大きな影響力を持ち続けてきた安倍が亡くなった今、菅は自身の今後についてどう考えているのか。

アベノミクスとか安倍さんと考え方はほとんど一緒ですから、そこが崩れないように、後戻りできないように、しっかり見ながら政治を進めていきたいと思っています

ただ、自身が政権時代に掲げてきた政策を実現するため立ち上げたいとしてきた勉強会については、安倍の死去を受けて慎重な考えを明らかにした。
こういう状況ですし、そこはやるべきじゃないと思います

ー内閣改造や党役員人事で要職に就くことを期待する声もあるが?
そこは考えてません

インタビューの最後、二人三脚で政権を維持する中で、自身と安倍が一番違うと感じた点、逆に同じだと感じた点について聞いてみた。

日本や郷土を愛する心や、国や人間の生き方についての基本な考えはすごく似てると思いますね。ただ、違うところは、私はまったくのたたき上げで、安倍さんは英才教育を受けてますから、ある意味で私がガンガン、ガンガンやることを羨ましいと思っていたのかなと思っています(笑)

安倍との思い出について、ひとつひとつ言葉を選びながら、かみしめるように話していた菅。その中で、世襲に厳しいことで知られる菅が安倍の国家観に共鳴し、「憧れの人」になったというエピソードは興味をそそられた。
たたき上げと英才教育、あらゆる事態を想定する慎重さと人事を尽くして天命を待つ楽観主義、政権トップの2人がお互いにないものを補完し合いながら長期政権を維持していたのだと感じた。
安倍なき日本政界で、菅が何を考え何を目指していくのか、引き続き追いかけていきたい。

(文中敬称略)

政治部記者
花岡 伸行
2006年入局。秋田局を経て11年に政治部。その後、函館局を経て再び政治部に。19年8月からは官邸クラブに所属。菅内閣の取材では、官房長官番を担当。