“革命”いまだならず 共産党100年
志位委員長に問う

共産党が創立から100年を迎えた。戦前から残る唯一の国政政党だ。

直近の国政選挙では苦戦が続き、国会では「共産党とは組めない」とする勢力が拡大。
しかし、志位和夫委員長は「いまこそ、100年の歴史に立った党の立場が重要だ」と力を込め、さらなる100年先を見据え、若い世代にも浸透してきていると胸を張る。
共産党がめざす「革命」とは何か?党勢の回復の道筋は描けているのか?
志位氏に問うた。
(吉岡淳平)

100年の誇り

100年を通じ、社会変革の大目標として、『社会主義・共産主義の実現』を掲げてきたことは、こんにちにとって大事な意味を持っている。日本共産党という名前は、今後も大事に使っていきたい

7月15日で、創立から100年を迎えた共産党。
それに先立つ13日。志位和夫委員長は、東京・JR代々木駅近くにある党本部で、NHKの単独インタビューに1時間あまりにわたって応じた。

10日に終えたばかりの参議院選挙では、改選前の6議席を下回る4議席の獲得にとどまり、記念すべき年の国政選挙を勝利で飾ることはできなかった。

結果に落胆しているかと思いきや…

ひとつの党が100年という年月を経て生命力を保ち続けていること自体が、重要な意義を持っている。どんな困難があっても国民を裏切らず、不屈にがんばってきた成果だ

誇らしげに語る志位氏。選挙での後退にも気迫を失わない。まさに不屈の表れか。
そして志位氏は、この「不屈性」こそが100年存続の第1の理由だと分析してみせた。

日本の政党の中で、戦中、戦後をひとつの名前で通しているのは日本共産党だけだ。ほかの政党はすべて太平洋戦争に向かう時期に、みずからの党を解散して大政翼賛会に合流したため、戦後の再出発にあたり、名前を変えざるを得なくなった。日本共産党だけが国民主権と反戦平和の旗を掲げて不屈に戦った

戦前の不屈の戦い

1922年7月15日、東京・渋谷に8人の有志が集まってスタートした共産党。
反戦を掲げると同時に、天皇制の廃止や革命を目指すとした主張は、当時、厳しい弾圧の対象となった。治安維持法で摘発され、拷問で命を落とした党員も少なくない。

志位氏は、この戦前の不屈の戦いが、いま、非常に大事な意味を持っていると強調した。

いま多くの政党が、ロシアの蛮行に乗じて『軍事力の増強を』、『憲法9条を変えろ』との大合唱に飲み込まれてしまっている。新たな翼賛政治の危険が生じているもとで、間違った時流に流されず、平和と民主主義を壊す逆流と正面から戦い、打ち破っていくことがわが党に課せられた重要な役割だ

戦後の自己改革

そして、志位氏が党100年存続の第2の理由にあげたのは「自己改革」の歴史だ。

戦後、合法政党として再出発した共産党は、まもなく、重大な局面を迎えた。
1950年。旧ソ連からの干渉をきっかけに党が分裂し、一方の側が、旧ソ連や中国と連携して武装組織を作り、火炎ビン闘争などを展開。こうした過激な行動で、国民の信頼を失い、1949年に35人いた衆議院議員は、1952年の選挙で立候補者全員が落選する事態になった。

共産党は、事態を収拾する過程で、旧ソ連や中国からの影響を取り除くため、「自主独立」の路線へと転換した。

志位氏は、この意義をこう指摘した。

世界の共産党の中でも、ここまで徹底して自主独立の立場をとった党はない。この路線がなければ、日本共産党は、今ごろ影も形もなかっただろう。『どんな国であれ、覇権主義を許さない』という、このときに確立された党の立場も、こんにち非常に生きている

その後の旧ソ連の崩壊の影響を受けずに党が存続し、現在のロシアや中国の覇権主義的な行動を正面から批判できるのも、このときの「自主独立」路線のおかげだとの見方を示した。

「平和革命」

続く1961年。共産党は綱領を決定し、党が目指す「革命」の姿を示した。

民族民主統一戦線勢力が、国会で安定した過半数をしめることができるならば、革命の条件をさらに有利にすることができる

国会でほかの党とも連携して過半数を占めることで「革命」を実現する方針を明確にしたもので、「平和革命」を定めたと解されている。

その後、2004年に改定され、現在の綱領では“日本共産党と統一戦線の勢力が、国民多数の支持を得て、国会で安定した過半数を占めるならば、統一戦線の政府・民主連合政府をつくることができる”となっている。

議会で多数を占めて改革を進めるという「多数者革命」、その実現のために、ほかの党や団体とも連携するとした「統一戦線」の考え方は引き継いでおり、現在党が目指している「野党共闘による政権交代」も、この方針に沿ったものだという。

「革命」で私有財産は没収?

一方、公安調査庁は、共産党が、暴力革命の可能性を否定することなく、現在に至っていると判断し、今も、破壊活動防止法に基づく調査対象団体としている。

(公安調査庁HP)
共産党は,武装闘争を唯一とする戦術を自己批判しましたが,革命の形態が平和的になるか非平和的になるかは敵の出方によるとする「いわゆる敵の出方論」を採用し,暴力革命の可能性を否定することなく,現在に至っています。こうしたことに鑑み,当庁は,共産党を破壊活動防止法に基づく調査対象団体としています

共産党は、こうした判断を「歴史の事実を歪曲している」と否定しているが、双方の主張の違いが、一部に根強い、共産党への違和感・嫌悪感の原因だという指摘は絶えない。

共産党は「革命」によって、どのような社会を目指しているのか。
志位氏に単刀直入にぶつけた。

Q:私有財産は没収されてしまうのでは?

社会主義に至った場合、社会化していくのは生産手段=機械や土地、工場などの生産のために必要な手段に限って考えている。生産手段を一部の資本家が独占していることで、搾取や格差など、資本主義社会のいろんな矛盾が生まれてくるので、生産手段を社会全体のものにすることで、矛盾をなくしていく。ただ、無理やり没収するとかではなく、きちんと対価を補償しながらやっていくことになる。一方で、電化製品や車、住宅などの生活手段は社会化するわけがなく、逆にうんと豊かに保証するというのが根本的な方針だ

Q:言論の自由がなくなるのでは?

自由や民主主義を抑圧することは絶対にしない。議会制民主主義、つまり、複数政党制はもとより、思想信条や政党活動の自由も当然、もっと豊かな形で保証する。旧ソ連などで抑圧が行われたのは、当時の指導者の誤りのほか、議会制民主主義の経験がないまま革命をおこしたことなどが原因で、日本とは全然条件が違う

自衛隊は?天皇制は?

立て続けに自衛隊と天皇制についてもただした。

Q:自衛隊はなくすのか?

自衛隊と憲法9条は矛盾していると考えているが、国民の合意なしに一気になくそうとはしない。その場合、われわれが参画する民主的政権と自衛隊が一定の時期共存することになり、その時期に万が一のことが起これば、自衛隊を含めたあらゆる力を行使して侵略を排除するのは当たり前だ。党としては、自衛隊違憲論は変えないが、参画する政権の解釈は合憲論になるので、自衛隊を活用することは矛盾でもなんでもない

Q:天皇制をやめてしまうのか?

それは決してない。共産党の綱領には、天皇の条項も含めて、憲法の全条項を厳格に守ると書いている。今の天皇の制度は、人間の平等とは両立しないと考えているが、憲法上の制度であり、その存廃は国民の総意で解決されるべきだ

減る議席、強まる批判

共産は今回の参院選で4議席の獲得にとどまった

共産党は4議席の獲得にとどまった今回の参議院選挙。4議席以下となったのは12年ぶりだ。

去年10月の衆議院選挙では、立憲民主党との間で「政権交代が実現した場合、限定的な閣外からの協力を行う」という合意を結び、多くの小選挙区で候補者を取り下げ、野党候補の一本化に協力した。

志位氏は「画期的な合意だ」と評価し、選挙に臨んだが、両党ともに議席を減らす結果に終わった。

一方、議席を増やした日本維新の会と国民民主党は、選挙後「安全保障など、国の根幹に関わる政策が異なる共産党と組むことはありえず、共産党と連携する立憲民主党とも組めない」などと、両党への批判を強めた。
そして、新体制となった立憲民主党も、衆議院選挙時の合意について「もう存在しない」と主張し、共産党と距離をおく姿勢を示した。

そうしたなかで迎えた参議院選挙。
立憲民主党と共産党の候補者調整は限定的となり、立憲民主党も議席を減らした。
特に、両党ともに、候補者調整とは関係のない比例代表で議席を減らしたことが深刻に受け止められている。

「野党共闘しかない」

野党共闘はこのまましぼんでしまうのか。

しかし、志位氏は全然ひるんでいなかった。もっと厳しい時代があったからだという。

1980年、当時の社会党と公明党による、いわゆる『社公合意』では、共産党は国会運営からも排除され、、一切の政党間協力の道が断たれた。いま、難しい条件があることは確かだが、立憲民主党との協力関係は続いており、巨大な共産党排除の壁がまた復活したとは思っていない。日本維新の会や国民民主党は、もともと野党の志を持っていないか、その志を捨てたわけだから、あまり関係ない

そのうえで、こう続けた。

日本の政治を変えるには共闘しかないと思っている。いまの政治に不満を持っている人たちに対し、野党の側が『別の力強い道がある』と示さなければならない。野党共闘を一番批判したのは自民党で、それは、彼らが一番野党共闘を恐れているからだ

ここでも「不屈性」の本領が十二分に発揮されていた。

支持者の減少・高齢化

野党共闘の行方と並んで、党勢の回復に向けたもうひとつの大きな課題となっているのは、支持者の減少・高齢化だ。

共産党の党員数は、おととしの最新のデータで27万人余りで、ピークだった1990年のおよそ50万人からほぼ半減。
最大の収入源である機関紙の読者数はおよそ100万人で、最も多かった1980年の355万人から3分の1以下にまで減っている。

若い“芽”に手応え

こうしたなか、志位氏は、若い世代への浸透を目指して進めてきたこれまでの取り組みに手応えを感じ始めているという。

それは、今回の参議院選挙で、党で唯一、選挙区での当選を果たした東京選挙区の山添拓氏(37)の運動を通じてだった。

新宿で行った選挙戦最後の街宣は、圧倒的に若い人たちが中心になって成功させた。東京選挙区では、NHKの出口調査で、無党派層でトップの支持は山添さんだった。今回の東京の戦い方に大いに学び、全国に生かしていきたい

さらにここにきて、うれしいニュースも入ってきた。
共産党と連携する青年組織「民青同盟」の去年12月からの新規加盟者が1000人を超えたという。この10数年なかったことだそうだ。

いろんな芽は出つつあると思うので、ぜひこれを大きな流れにしていきたい
志位氏は目を細めた。

「革命」いまだならず

志位氏は、若い世代に党への共感が広がりつつある背景には、行き過ぎた資本主義の限界を鋭く感じ取っていることがあるのではないかと指摘する。

利潤第一主義が、地球的規模での貧富の格差の拡大や気候危機の深刻化など矛盾を引き起こし、『資本主義という体制でいいのか』という問いが広がっている。われわれは、いまの資本主義が人類が到達した最後の社会とは考えておらず、先に進める展望を持っている。このことが多くの人たちの希望になりうる情勢だ

資本主義の先に、社会主義・共産主義の実現を展望し続けてきた共産党。
67歳の志位氏は、当面の党勢拡大だけでなく、100年先も見据えていた。

21世紀中には、資本主義を乗り越える社会への具体的な展望が見えてくるようなところまでいきたい。まあ、私の年から言うと、見届けるのは難しいと思うけど(笑)

最後に聞いた。

次の100年後も共産党は存在しているか?

絶対に存在している。大きく発展し、政権を担う党として存在している、そうなるだろうという希望を持ってもいいんじゃないかと思う

政治部記者
吉岡 淳平
1999年入局。横浜局、国際部などを経て政治部で外務省を担当。ワシントンや北京などでの勤務経験あり。