安倍元首相銃撃事件「政治が貧困になる」政治学者・御厨貴氏

選挙応援の演説中に安倍晋三元首相が凶弾の犠牲となった。
日本政治史を長年研究し続けてきた政治学者、御厨貴東京大学名誉教授は、戦後日本が築き上げてきた民主主義が脅かされていると同時に、今後の政治全体の調和までもが失われる深刻な事態だと警鐘を鳴らした。
容疑者は動機について「政治信条への恨みではない」と供述しているものの、一事件にとどまらず大きな波紋を広げている。
私たちはどう受け止めたらいいのか。御厨氏へのインタビューから掘り下げる。
(大藪謙介)

衝撃 今の日本で起きるとは…

事件の一報に触れた御厨氏は、その衝撃から語り始めた。

御厨氏
「映像を見た時に、僕なんかは古い世代だからケネディさん(アメリカの第35代大統領・1963年にテキサス州ダラスで暗殺)のことを思い出した。あの時は衛星中継で日本でも見られたんだけど、同じように一国の最高クラスの統治者が暗殺される瞬間が何度もテレビで流れるわけでしょう。大変なことですよ。
政治家へのテロが歴史上あるということは知っていましたけど、それが現実政治、しかも今の日本で起きるとは、僕はつゆ思っていなかったから非常に衝撃的でした。しかも、安倍さんのように長い間総理をやって、まだ力を持っている現役の政治家の命を奪ったと。非常にショックでしたね」

越えた“一線” 事件をどう捉えたか

逮捕された山上徹也容疑者(41)は、事件の動機について「政治信条への恨みではない」としているが、暴力に訴えることで強硬に目的を遂げようとした。御厨氏は今回の凶行が脅かしているのは、戦後日本が築き上げてきた民主主義そのものだと指摘する。

事件現場の空撮

「暴力に頼ることなく言論の力で物事を解決していく。この議会制民主主義に対し、政治家へのテロは、ある意味で“問答無用”と相手の命を断ち切ることによって議論そのものを全部葬り去ってしまう。これは絶対にやってはいけないこと。その“矩(のり)”を越えないでこれまでやってきていたというところに僕らの社会の油断もあったのかもしれない。今回は一線を越えちゃったなと、これがショックだったですよ。ついにそういう時代が来たんだと」

破壊するため繰り返された“政治テロ”

安倍元首相の祖父である岸信介首相が刺されて重傷を負う事件や、日本社会党の浅沼稲次郎委員長が殺害される事件、民主党の石井紘基衆議院議員(肩書は当時)が殺害される事件など、政治家を狙った事件がたびたび繰り返されてきた。政治史の視座に立った時、こうした事件をどう捉えられるのだろうか。

「幕末の維新に注目すると、この時代は“問答無用”の世界であって、手っ取り早いのは暗殺、相手の命を奪うことだった。随分、殺し合いをやった。
明治憲法体制下で議会ができて『争いごとは全部言論で解決しよう』という話になったから急速に政治テロは減るんですよ。ところが、その後も政治的なテロが目立つ時がある。
最初に政友会を伊藤博文と一緒につくった星亨、そしてその衣鉢を継いでやがて政友会の総裁になった原敬も首相在任中に暗殺される。
その後、民政党の濱口雄幸も首相在任中にテロに遭った。そして5・15事件、2・26事件では犬養毅、高橋是清という政党人がまたもや殺害され、いよいよ政党政治が終焉し、軍部の支配が始まっていった。要するに政党政治を破壊するためにはいつの時代もテロが用いられるんです」

御厨氏は、自民党と社会党の55年体制の下ではテロとはほぼ無縁だったと指摘する。それは、政治が国民の要求を吸い上げて議論することに専念してきた姿勢があったからだと振り返った。

御厨氏

「今回、容疑者の動機はどうあれ、安倍さんという今一番力のある政治家の命を暴力で奪ったのは大変なことであって、55年体制から続いてきた戦後の議会制民主主義に対する明らかな冒涜なんですよ。だから我々はこれを相当深刻に受け止めなくてはいけない。これまではそういうことがないように“暗黙の了解”でやってきた、その糸がついに切れてしまったんです。この国もついにテロを呼び込む状態になっていくのではという疑心暗鬼も生んでしまう。戦後なぜ日本政治はここまでテロがなかったのか、ここまで平和で来られたのかということをもう一度、政治家・有権者、国民全体が反すうしてそれを守っていく、闘っていかなくてはいけないと思いますね」

安倍元首相の死 政治の調和が失われる

在任期間が憲政史上最長となり、退任後も自民党の最大派閥を率いた安倍元首相が犠牲となったことは今後の政治にどう影響するのか。

「政治家の命が奪われてしまうと、その人の影響力のみならず政治全体の調和が失われていく。つまり『安倍さんが生きていればこういうふうに政治が進むよね』という予測可能性があるんだけど、亡くなってしまうと予測可能性がなくなってしまう。これが一番いけないんですよ。政治とは基本的には継続性が重要な営みですから」

安倍氏

「安倍さんは首相を辞めても最大派閥の領袖でいたわけで、当然影響力はあるし、彼のやり方には賛否があれども、日本政治を前に進めていく原動力の存在ではあった。
原動力がなくなってしまうわけだから、政治的には、誰が得する誰が損するといった次元の話ではない。全体として日本の政治は損をするんですよ。力のある政治家がいなくなることは、この国の政治が貧困になることを意味しているのです」

今回の事件が問いかけるものは…

最後に、今回の事件が私たちに突き付けているもの、問いかけているものとは何かを聞いた。

「みんなが何でも自由に発言できる社会になったから分断も非常にはっきりしてくる。みんな賛成か反対かでしかものを言わない。その中間領域がない。
だけどよくよく考えたら我々の生活や政治はそんなに単純なものじゃない。一番良いのは、相反する意見をどういうふうにうまくマリアージュして、ある程度不満を残しながらも全体として『これなら許せるよね』というところまで持っていくか。これはやっぱり議論することからしか始まりません」

御厨氏

「何でも言い合える世界になったからといって自分の要求がそのまま通るわけではありません。通らない時、あるいは気に入らない時に、暴力的なものを使ってはならないのは言うまでもありません。一方で、発言の責任は引き受けなくちゃいけない。言論とはそういうものですから。言論による政治を復活させていくためには、そうしたことを我々が気を配らなければいけないのです。今回のような暴力の契機を無視してそのまま放っておくこと、放任しておくことは、いずれこちらにしっぺ返しとして返ってくるという、そこを認識しておいたほうがいい。そう思いますね」

御厨貴(みくりや たかし)(71)
政治学者・東京大学名誉教授。近現代日本政治史と政治家や官僚らに直接聞き取りを行う「オーラル・ヒストリー」が専門。

政経・国際番組部(政治番組)ディレクター
大藪 謙介
平成20年入局。名古屋局を経て政経・国際番組部へ。NHKスペシャル「永田町・権力の興亡」、クローズアップ現代、日曜討論、ガチポリ!など主に政治番組の企画・制作を担当。