「核のごみ」に揺れる 地元の選択は

北海道西部、日本海側にある2つの港町。

そこで去年からことしにかけて相次いで選挙が行われた。

共通点は「核のごみ」。
いったい選挙で何が問われたのか。
(小田切健太郎)

「風のまち」に広がった波紋

「けさ、さわやかに目が覚めるかと思ったが、さわやかではなかった」

北海道寿都町(すっつちょう)の町長選挙で6回目の当選を果たした片岡春雄(73)は、当選後、初めて役場に登庁した際、報道各社のカメラの前で言葉を選びながら語った。

「今回、多くの『核のごみ』に対する心配の声があった。結果を謙虚に受け止めて、職員の皆さんとともに行財政運営と『核のごみ』への学びを両立する」

小さな町の選挙に注目が集まっていたのはなぜか。

それは寿都町で、全国で初めてとなる「核のごみ」の「文献調査」が始まったからだ。

寿都町は「風のまち」と呼ばれている。

日本海側に面した寿都町は、札幌市からおよそ150キロ、車で3時間ほどのところにある。人口は2800人余り。
かつてはニシン漁で栄え、ピークの昭和30年には1万人を超えていた。

現在も基幹産業は漁業と水産加工業。山側から沖に向かって「だし風」と呼ばれる強い風が吹くことから、町みずから「風のまち」とアピールしている。

この風を生かそうと、町は1989年に全国の自治体で初めて町営の風力発電所を建設し、現在ではあわせて11基の風車が稼働している。

そんな静かな「風のまち」に波紋が広がった。

2020年8月。片岡が突如、「核のごみ」の「文献調査」への応募を検討していることを明らかにした。

行き場のない「核のごみ」の現実

高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」は、全国各地にある原子力発電所で使い終わった核燃料から発生する。
日本では、使用済み核燃料を化学的に処理する「再処理」を行って、再び燃料として使うためのプルトニウムなどを取り出す計画になっている。
ただ、この際、再利用できない高濃度に汚染された廃液が残り、これをガラスを混ぜて固めたものが高レベル放射性廃棄物と呼ばれている。


資源エネルギー庁によると、現在日本には、すでにおよそ2500本の高レベル放射性廃棄物が青森県六ヶ所村と茨城県東海村に一時保管され、全国の原発にも再処理を行う前の使用済み核燃料、およそ1万9000トンが保管されている。

「核のごみ」は地下深くに埋めて処分をすることになっているが、日本ではいまもその最終処分場の場所が決まっていない。

最終処分場の選定プロセスは、3つの段階に分かれている。ポイントはそれぞれ調査を始めた自治体が国からの交付金を得られることだ。

第1段階の「文献調査」では、研究論文や地質のデータなどを2年程度かけて調べることにしている。
この間、自治体には最大で年間10億円、総額20億円の交付金が支払われる。

【リンク】文献調査の交付金についてはこちら

第2段階の「概要調査」は、4年程度かけて地層を掘り出すボーリングを実施するなどして、直接、地質や地下水などの状況を調べる。
交付金は最大で年間20億円、総額70億円に増える。

最後となる第3段階の「精密調査」は、さらに14年程度かけることが想定され、地下に調査のためのトンネルを建設するなどして地層を精密に分析し、最終的な結果をまとめる。
この際にどの程度、交付金が支払われるかはまだ決まっていない。

こうした、地域にメリットのある仕組みのもと、寿都町の前に文献調査の応募に踏み切った自治体がある。

寿都町からはるか1000キロ以上離れた、高知県東洋町。

2007年1月、当時の町長が文献調査に応募した。これに対し、当時の高知県知事や隣接する徳島県知事が反発したほか、地元住民などからも激しい反対の声が上がり、東洋町議会で町長に対する辞職勧告が決議される事態に陥った。

当時の町長は「民意を問うため」として、4月に辞職し、出直し町長選挙が行われた。その結果、応募の撤回を訴えた新人候補が大差で当選し、調査は白紙に戻った。

それ以降、13年以上にわたって名乗りを上げる自治体は1つも現れなかった。

「肌感覚で賛成多数」応募に踏み切る

それだけ「核のごみ」の最終処分場選定のプロセスに参加することは重い判断となる。

寿都町でも片岡が応募の検討を明らかにして以来、住民から調査の是非を問う住民投票を行うよう求める声が沸き起こった。
片岡はそれでも10月、「肌感覚では賛成が多い」として応募に踏み切った。検討の表明から、2か月足らずのことだった。

「反対の声が多く感じられるかもしれないが、賛成の声も私自身に直接、相当の数がきている。そういう判断の中で私は一石を投じ、『核のごみ』の議論の輪を全国に広げたい」(片岡春雄)

5期20年にわたり町政を担ってきた片岡。
風力発電の設置など、「稼ぐ行政」を目指して手腕を振るってきた。基幹産業の漁業の振興、福祉・医療など展開してきた政策も住民から支持されているという自信があった。
文献調査についても、得られる交付金をまちづくりに活用し、理解が得られると考えていた。

「きれいごと言ってですね、理想論だけで、おまんまは食べられませんし、簡単に金なんか生まれませんよ」(片岡春雄)

ところが反対の声は強まるばかりだった。
調査の反対を訴える住民団体が立ち上がった。中心となったメンバーの1人、地元の水産加工会社の社長、吉野寿彦は語気を強めた。
「寿都町は、水産、加工、製造、まだまだ死に体ではなくて、ちゃんと生きているんです。交付金に依存することは、思考停止がそのままずっと続きます。若手で事業をやる人もいなくなる」

調査の是非を問う選挙戦へ

「何とか調査をやめさせられないか」
住民団体がターゲットに定めたのが町長選挙だった。

対抗馬として白羽の矢を立てたのは町議会議員の越前谷(えちぜんや)由樹。
地元生まれの元役場職員で、かつては片岡のもとで助役を務めた。
越前谷は悩み抜いた末、立候補を決意した。

去年10月21日、任期満了に伴う20年ぶりの町長選挙が告示され、選挙戦が始まった。
調査に応募した片岡と調査の撤回を訴える越前谷の一騎打ち。


第一声では、それぞれが調査への姿勢を鮮明にした。

片岡春雄
「『核のごみ』の議論を全国展開しないと、日本の使用済み核燃料はどうなるんですか。『概要調査』に移るときには、皆さん賛成か反対か、町民の思いに従って結論を出していく」
越前谷由樹
「いま、寿都の町の上空には、日々の憂うつという町民間の分断が大きく渦巻いている。『町民が主役のまちづくり』をスローガンに、町政を私たち、町民の手に取り戻そう」

漁協や建設業など町内の有力者から着実に支持を集める片岡に対し、越前谷は調査に反対する有権者に浸透。選挙戦は日に日に激しさを増した。

示された民意は“235票差”


結局、越前谷は片岡を捉えきれなかった。
「私の力が及ばなかった、それに尽きると思っている。寿都のこれからを考えると何とも言い表すことはできない」

片岡は当選後、NHKのインタビューに応じ、想像以上に迫られたと選挙戦を振り返った。

「核のごみに対する一石を投じたことが住民の皆さんにすごく重く受け止められ、『一歩止まって冷静に住民に対応しなさい』ということなのだと思う」

現在、町では、ほぼ月に1度のペースで、関係者が意見を交わす「対話の場」が続いている。

ベテラン村長 初めての選挙戦に

「核のごみ」に揺れたもう1つの港町でも、ことし2月、選挙戦が行われた。

寿都町と同じく、北海道西部の日本海側に面した神恵内村(かもえないむら)。札幌市のほぼ西、およそ110キロ。積丹半島の西側に位置している。

海と山に囲まれ、こちらも基幹産業は漁業。
人口は、2021年の年末時点でおよそ800人と、北海道内で2番目に少ない。
隣接する泊村には北海道電力泊原子力発電所があり、村のほぼ全域が、その30キロ圏内に入っている。

ことし2月。5期20年、村長を務めてきた現職の高橋昌幸(72)は、初めてたすきをつけて開票を待つ経験を味わった。

神恵内村の村長選挙が選挙戦になったのは、前任の村長の時代を含め、昭和61年以来、実に36年ぶり。
この間、8回にわたって無投票が続いてきた。
5期目の高橋は、初当選以来、すべて無投票で当選を重ねてきた。

神恵内村でも「核のごみ」が選挙戦の要因となった。

“ボトムアップ”で受け入れ

寿都町が文献調査に応募したおととし10月9日。この日、神恵内村も文献調査受け入れを決めた。
そして、11月にそろって調査が始まった。

一方で神恵内村が調査を受け入れたいきさつは寿都町とは少し異なる。

きっかけを作ったのは村の商工会だった。寿都町が調査への応募を検討していると明らかにしたあとのおととし9月、商工会が調査の受け入れを検討するよう求める請願を村議会に提出していたことが明らかになった。
商工会の会長、上田道博は理由についてこう述べた。

「村は人口減少が課題だ。最終処分場ができれば仕事が増えて経済も動いていくと思う」

請願は村議会に付託され、1か月足らずで本会議で採択された。
翌日、経済産業省の幹部が村役場を訪れ、調査の受け入れを要請。そして、夕方、高橋は調査を受け入れる方針を明らかにした。

この間、寿都町の片岡とは対照的に、高橋は調査に対する姿勢をはっきり示さず、受け入れを決めた際にも手続き論としての説明に終始した。

「きのう、村議会で請願が採択されるという結論が出て、きょう、経済産業大臣からの受け入れの申し入れがあった。それらを総合的に勘案して、私としては文献調査を受け入れるという結論に至った」(高橋昌幸)

「トイレを作ろうと提案している」

その後、高橋は村長選挙に6回目の当選を目指して立候補することを表明した。

無投票が続いてきた村で現職が立候補を表明。
「今回も無投票か」、そんな見方が広がっていた。

ところが、状況が変わった。隣の泊村に住む新人の瀬尾英幸が立候補を表明した。

「地域が元気で自治体が元気なら『核のごみ』の交付金に頼ることはない。無風の選挙では問題を掘り下げて本当の解決策を議論する機会が奪われることになりよくない」
瀬尾は小樽市出身で、食品卸会社の社長などを務めたあと、7年前から泊村に移り、脱原発を訴える市民団体で活動してきた。

「核のごみ」が、36年無風が続いてきたこの村にも、さざ波をたてることになった。

2月27日の投開票日。
結果は、現職の強さを見せつけたかたちになった。

初めての選挙戦を終えた高橋。支援者と喜びを分かちあったあと報道関係者の取材に応じた。
「文献調査の結果が出てから、村民の考えをどう集約すれば良いのかも含めて議会のみなさんと決定したい。大事なことは住民の意見をきちんと集約できる方法をとるということだ」

質問が尽きたあと、高橋は記者たちに向かって問いかけた。

「『トイレなきマンションを作ってどうするんだ』ってずいぶん皆さんで言ってきたじゃないですか。そして今、トイレを作ろうと提案しているんですよ。それに反対するんでしょうか。私は、どうして反対するのかがわからないんです。自国の高レベル放射性廃棄物は、自分の国でやりなさいという枠組みができたじゃないですか。日本も例外ではないでしょう、だからそういう国の政策に協力することは、私は悪いことではないと思う」

地域への負担 重すぎないか

全国で初めて「核のごみ」の文献調査を始めた2つの町村の選挙。現職が勝利したことで、調査は計画通り続いている。

文献調査はひとまず、ことし11月をメドに終わる見通しとなっている。
だが、次の概要調査に進むかどうかについては、依然としてはっきりしない。

第2段階の概要調査以降は、先に進もうという場合、知事や市町村長の意見を聞くことになっていて、国はいずれかが反対する場合は「先に進むことはない」としている。北海道の鈴木直道知事は、一貫して概要調査に反対の姿勢を示していて、この態度を貫く限り、概要調査に進むことは困難な状況となっている。

選挙を終えた2つの港町は、静けさを保っている。それでも調査と選挙が地域に溝を作ったことは否定できない。

一方、全国的な関心は低いままだ。当時の梶山経済産業大臣は寿都町が応募を検討していることを表明した際、「寿都町以外にも複数の自治体から問い合わせを受けている」と述べたが、その後、受け入れの検討を表明した自治体は神恵内村を除き、1つもない。

全国各地で原子力による電気を使ってきた結果、残されている「核のごみ」。
にもかかわらず、最終処分場選定の問題は特定の地域にだけ重すぎる負担をかけているのではないか。

2つの選挙は、問いかけている。
(文中一部敬称略)

札幌局記者
小田切 健太郎
2018年入局。釧路局を経て2020年から札幌局小樽支局 寿都町まで片道100キロの道中 山あり海あり風光明媚な景観に癒されている