激闘 保守分裂
何が勝負を決めたのか

元文部科学大臣、元金沢市長、元参議院議員。
自民党出身の3人が、激しい戦いを繰り広げた石川県知事選挙。

三つどもえの保守分裂選挙を制したのは、元文部科学大臣の馳浩(60)だった。
次点との差は7982票。
得票率では、わずか1.4ポイント差の接戦を制した。

何が勝敗を分けたのか。
(城之内緋依呂、竹村雅志、吉田智裕)

薄氷をふむ勝利

決戦の投票日から日付が変わった3月14日午前0時すぎ。

当選確実が伝えられると、馳浩の陣営からは、拍手と馳コールが巻き起こった。

馳は、目から涙をこぼしながら、噛みしめるように語った。

「正直まだ信じられない思いです。これまで政治家として国政で取り組んできたそのことが1番評価されたと思っていますし、今回の決断が間違ってはいなかったと信じたい」

2つの誤算

馳は、去年7月、5人の候補者の中で最初に立候補の意向を表明した。

当時、現職の知事として全国で最も長い7期目を務めている現職の谷本正憲(76)は進退を表明していなかったが、元プロレスラーで文部科学大臣も務め、知名度の高い馳。周辺は余裕を持って選挙戦を進められると考えていた。

しかし、その後、馳にとって2つの大きな誤算が生じた。

同じ釜の飯の仲間が…

自民党で同じ派閥に所属していた参議院議員、山田修路(67)も立候補を表明したのだ。

党幹部などが説得を試みたが山田の決意は変わらず、自民党県連は結局、馳と山田の2人を支持した上で自主投票とすることを決定。
それに連動する形で、公明党も自主投票を決めた。

さらに馳にとって痛手となったのは、県議の離反だ。
現職の谷本が進退を表明しない中で馳が立候補会見で“谷本の後継”を掲げたことで、谷本に近い立場の県議たちが反発して、山田支援に回った。

組織的な支援がのぞめなくなったのだ。

“大票田”で競合

さらに、選挙の告示まで1か月あまりとなった、ことし1月。
かねて立候補に意欲を示していた金沢市長の山野之義(59)が、正式に立候補を表明した。

衆議院議員だった馳は、金沢市を選挙区とする石川1区から立候補してきた。
しかし、毎週のように市内各地で行事に参加するなど圧倒的な知名度を誇る山野に対しては分が悪い。
県内の有権者の4割近くを占める金沢市で、山田を圧倒するという戦略にもほころびが出た。

地元経済界からは、山田はやや年齢が高いが、農林水産省のキャリア官僚としての経歴もあり、国の予算をひっぱって来ることが出来るという期待感もあった。
山野は行政経験が長い。
一方、馳は国会議員の経験は長いが、閣僚経験は文部科学大臣だけで、国から大規模な予算をとれないのではないか。馳では知事は難しいのではないか、と厳しい評価も出ていた。

はつらつさが消えた

余裕の選挙戦になるはずが、誤算が続き、馳は次第に追い込まれていく。

馳を支援する県議会議員は告示直前のある日、「馳は最近気分の落ち込みが激しい」と話した。
馳は立候補会見では明るくはつらつとした姿だったが、情勢の厳しさが伝えられると次第に元気がなくなり、周囲からは「立候補を断念したほうがよいのではないか」、そんな声も出るほどだったという。

光明か それとも…

そんな馳が、気力を取り戻す瞬間があった。

それは、旧知の国会議員を招いた街頭演説。
告示前から、菅義偉前総理大臣をはじめ、誰でも一度はテレビで見たことがある、そんな議員たちを次々と招き、国政との強いパイプをアピールする戦略を徹底した。


さらに、告示直前には日本維新の会から推薦を受けることが決まった。

苦しい状況の中に、一筋の光明が差したようにも思われた。

しかし、有名人頼みの戦略に、馳と親しい県内の市長や地方議員などからは懸念の声もあがっていた。
「あれは馳のやりたい戦い方ではない」
「石川県の知事選びに東京から口出しするように見えてしまい、かえって票が離れる」

決戦は金曜日!?

それでも馳陣営は、告示後も、有名議員を招くという戦略を継続した。

安倍晋三元総理大臣をはじめ、小泉進次郎前環境大臣や河野太郎党広報本部長、それに高市早苗政務調査会長らが、続々と石川入りした。

そして、街頭演説の前後には、関係団体をきめ細かくまわり支持を呼びかけた。

さらに、電話の自動音声のよる支持の呼びかけなど、あの手この手で票の掘り起こしが続いた。

関係者によると、こうした取り組みは金曜日に集中的に行ったという。
週末に行われることの多い報道各社の情勢調査を前に支持を呼びかけることで、週明けの情勢分析の記事で、馳の優勢をアピールするのが狙いだ。
保守分裂の争いに、地元経済界などでは、日和見の態度もみられたが、馳優位の情報が出回ることで、“勝ち馬”に乗ろうとする動きにつなげることができるというのだ。
陣営では、選挙戦の最終盤、山野に1~3万票の差をつけて勝つという強気の見方も出るようになった。

しかし地元メディアが伝える情勢分析も、めまぐるしく変わり、3陣営ともに、誰が勝つのか読み切れないまま、投票日を迎えた。

分裂は自民だけじゃない

保守分裂の大混戦に、投票率は61.82%と、石川県知事選挙としては過去最低だった前回4年前の選挙に比べて20ポイント以上も跳ね上がった。

そして開票の結果、わずか7982票の差で馳が山野を抑え、大混戦を制した。

当落をわけたのは何だったのか?

NHKの「出口調査」を見ると、有権者は政党の推薦や支持の通りに動かなかったことがわかる。

今回の選挙で自民党県連は馳と山田の2人を「支持」した上で、自主投票とすることを決めた。一方で山野から出された「支持願い」は認めなかった。

馳は自民党の支持層の約40%から支持を得た一方、約30%は山田に、20%台半ばが山野に流れた。

山田を県連として推薦した立憲民主党の支持層では、山田と山野がそれぞれおよそ40%の支持と大きく割れた。馳も10%台半ばの支持を得た。

さらに、馳を推薦した維新の支持層では、もっとも多い支持を得たのは山野で、40%台半ばが支持した。馳は30%あまりにとどまった。

NHKが選挙期間中の11日間、県内15か所の期日前投票所で投票を済ませた有権者1万3080人を対象に行った調査でも変わらかった。

分裂していたのは、自民党の支持者だけではなかったのだ。

全域での支持がカギに

一方で得票を、石川県の3つの小選挙区ごとに見ると、馳の勝因が浮かび上がってきた。

金沢市が区域の石川1区は11年あまり市長を務めていた山野がトップに立った。

2区では、この地域を地盤としてきた森喜朗元総理大臣からも支援を受けた馳が制した。

そして3区では農林水産業にかかわる人が多く、農水行政に精通する山田が最も多く票を獲得した。

山野は、新型コロナ対策のため告示直前まで市長職にとどまったこともあり、活動が出遅れ、2区と3区では3番手に甘んじる結果となった。

山田は、金沢やその周辺で票が伸ばせなかった。“大票田”の金沢を地盤とする山野、馳と比べると知名度で劣り、票を掘り起こすことができなかった。

馳だけは、どの小選挙区でも2番手以上の位置を確保した。

さらに細かく県内19の市町別でみると、珠洲市、羽咋市、かほく市など、当初は山田がリードするとみられていた3区の自治体でも馳がトップになっている。馳にとっては、2区と3区で伸び悩んだ山野に対して小刻みにリードを奪い、なんとか逃げ切ったのが実態といえる。

ノーサイドは実現するか?

「知事選が終わったらノーサイドの精神で団結する」
ことし1月、自主投票を決めたときに自民党県連はこう宣言した。

しかし、激しい選挙戦で火花を散らした党所属の地方議員の間では深い溝が生じ「県議会の自民党の部屋に仕切りを設けて2つに分ける」とまで話す議員もいる。
さらに山田を支援した議員からは「馳についた国会議員は許せない」と言った声も漏れている。

馳にとっては、県議会で6割以上を占める山田を支援した議員との関係作りが喫緊の課題になる。
県民の暮らしをよくしたいという思いは共通だとして、自分から頭を下げて協力をお願いしていくと話す。

一方で、今回の知事選では政策の違いがわかりづらかったとの有権者の声も多く聞かれた。

保守分裂の恩讐を乗り越え「馳カラー」を出していけるのか。

28年ぶりに交代した新知事の行政手腕が問われる4年間が、始まろうとしている。
(文中一部敬称略)

金沢局記者
城之内 緋依呂
2018年入局。初任地金沢局、21年11月から県政を担当し知事選では馳氏を取材。
金沢局記者
竹村 雅志
2019年入局。初任地金沢局、警察担当を経て21年11月から県政に。知事選では山田氏を取材。
金沢局記者
吉田 智裕
2017年入局。初任地金沢局、県警や県政担当を経て、去年から選挙事務局長。経済取材も担当。