Mr.インテリジェンスの正体は
政権中枢での10年

10年近くにわたり、政権の中枢、総理大臣官邸で「インテリジェンス(情報収集・分析)」と「安全保障」に深く携わった人物がいる。

北村滋。

安倍政権では“最も総理に面会した男”として、史上最長の政権を情報面で支えた一方、職責上、業務の内容がほとんど公にされず、活動は謎めいていた。

彼は何を目指し、何を成し遂げてきたのか。単独インタビューで迫った。

(小口佳伸)

いまも情報の世界に

北村滋は意外にもシェアオフィスにいた。


政府のNSS=国家安全保障局の局長を去年(令和3年)7月に退任し、会社経営を始めた北村。
私は、若者であふれかえるオフィスに少々面食らいながら、いま何をしているのか聞いてみた。

「コンサルティング。クライアントに経済安全保障を中心にアドバイスする仕事ですよ」

アメリカのトランプ政権で大統領補佐官(国家安全保障問題担当)を務めたロバート・オブライエンとさっそく業務提携を結んだという。

「いまはオブライエンとだけ。でもいろいろな国でカウンターパートだった人がいろいろ仕事をしているから、そういうつながりを引き続き。関係はなくなっちゃうわけじゃないし『辞めたら絶交』ってわけにいかないよ。未練がましいタイプなんでね」

民間に移ったいまも、北村はインテリジェンスの世界で生きているのだ。

華麗な経歴

北村の経歴はきらびやかだ。

岸田総理も通った東京の進学校、私立開成高校を優等賞の成績で卒業。
東京大学法学部から当時の国家公務員Ⅰ種試験に上位で合格。

昭和55年に警察庁に入庁後、32歳で警視庁の本富士警察署長を務める。本富士警察署は、管内に東大本郷キャンパスなどを抱え、当時は将来有望な若手キャリアのみが署長を務めることになっていた。
フランスの日本大使館に一等書記官として在籍したあと、インテリジェンスの専門家として本格的に歩み始める。

平成8年に警察庁の警備企画課理事官に就任。警備企画課は公安警察の総本山だ。
2人の理事官には「オモテ」と「ウラ」があり、北村は行政業務を主とする「オモテ」を務めた。
ちなみに「ウラ」の理事官は、かつて「チヨダ」や「サクラ」などと呼ばれた、全国の公安警察官と協力者を運用する警察庁の秘匿部門を統括するとされる。北村と同時期にウラの理事官を務めたのが、現在政府の拉致問題対策本部の事務局長を務める石川正一郎だ。


そして、警察庁の警備課長や外事課長を歴任し、第1次安倍政権の総理大臣秘書官を経て、平成23年に内閣情報調査室の事実上のトップ、内閣情報官に就任。“官邸官僚”としての活動が始まる。

安倍総理の最側近として

北村は、およそ10年間にわたり、民主党・野田政権、第2次安倍政権、菅政権と3代の政権に仕えた。このうち内閣情報官を8年間近く、国家安全保障局長を2年近く務め、国家の情報収集と安全保障に携わった。

在任期間の多くが第2次安倍政権で、安倍総理からの信頼が特に厚いことで知られた。安倍の首席秘書官などを務めた今井尚哉と並ぶ最側近の1人に数えられる。

「安倍さんは、安全保障を含めてだけど、さまざまな情報に対する要求が強かった。やってれば分かるよ。相手がつまらなそうならこっちも行くのをやめるから。こちらがそれなりの話をして、ちゃんと聞いてくれて、さらにいろいろな質問とかあれば、頻繁に行くようになるよ」

北村は、総理大臣秘書官を務めた第1次安倍政権が1年で倒れたことが、第2次政権を全力で支える姿勢にもつながったという。

「政権っていうのは、日々が勝負。毎日『1日も長く政権を持たせる』っていう気持ちだった。第1次政権で思いを遂げられなかったっていう思いもあったから。みんな長期政権だと思って入ったけど、1年で終わっちゃったし、そういう不完全燃焼感みたいなものがあったんじゃない」

“辞職”を胸に特定秘密保護法制定へ奔走

“官邸官僚”としての北村の活動は、あまり外部には伝わっていない。
北村は何を成し遂げてきたのか。
ひとつが平成25年の特定秘密保護法の制定だ。(施行は平成26年)

「いろいろやったよね。国会対策から与党対策、野党対策。法案が通っていなかったら辞めていたから、もっと早く民間人になっていたよね」

北村には、外国への情報流出を防ぐ外事警察の経験から、日本の情報管理は甘いという認識があった。
平成12年、海上自衛隊の幹部自衛官がロシアの海軍大佐に内部資料を洩らしたとして警察が摘発。しかし、大佐は出国し、自衛官に対する裁判の判決は懲役10か月の実刑。
その後の平成19年にも、海上自衛隊の幹部がイージス艦に関する情報を流出させて逮捕されたが、結果は執行猶予のついた懲役2年6か月の判決だった。

日本の情報管理体制に疑念を持ったアメリカなどから、より重い刑罰で情報を守る仕組みを整備するよう強く求められたという。

「特定秘密保護法は、インテリジェンスの分野で同盟国から強く言われたことだし、平和安全法制とともに、同盟国にそれなりの役割を果たすという意味では両方必要だったんじゃないかな」

特定秘密保護法は、特に秘匿が必要な安全保障に関する情報を「特定秘密」に指定して保護するもので、漏えいした公務員らには最高で10年の懲役刑、漏えいをそそのかした者にも5年以下の懲役刑が科される。

政府は、特定秘密を違法に取得した場合でも、いわゆるスパイ目的で情報を取得した場合などに限って処罰すると説明しているが、国民の知る権利が侵害されるという懸念や批判はいまも根強くある。

国際テロ情報収集ユニット 発足

平成25年から平成28年頃にかけて、海外で日本人がテロに巻き込まれる事件が相次いだ。

外国に在留する日本人をテロから保護するためには、海外で常時テロ情報を収集するインテリジェンス組織が必要だーー。
こうした考えのもと、北村の主導で平成27年、「国際テロ情報収集ユニット(CTUーJ)」が発足した。警察庁や外務省、公安調査庁などから集まった職員が中東を中心に派遣され、現地で情報収集にあたる。

CTUーJの活躍が世に知られたのは、フリージャーナリストの安田純平さんが、シリアの武装組織に拘束された事件だ。およそ3年にわたり拘束が続く中、CTUーJの職員がシリアや周辺国で現地の情報機関、有力者らと接触を重ね、安田さんの解放につなげた。

海外でインテリジェンス活動を専門に行う日本初の機関、CTU-J。
ただ、その組織は形式的には外務省に置かれながらも、官邸が直接指揮を執るいびつな形となった。
組織の実権をどこが握るかをめぐって警察庁と外務省で激しい主導権争いがあったとされている。

「常時、現場で状況に対応しながら情報の収集・分析にあたる情報機構の必要性はずっと前からの持論だった。CTU-Jは、形式的には外務省に置かれながらも、警察庁、外務省、防衛省、公安調査庁など、ほとんどのインテリジェンス・コミュニティー出身者で構成されている。今後、大いに発展してほしい。例えば、大量破壊兵器の不拡散問題や経済安全保障などを情報収集の対象にするのも一案ではないかと思ってる」

外交面での存在感

北村は、各国の情報機関幹部との人脈を通じて、外交面でも影響を強めていった。

トランプ政権でCIA長官を務めたマイク・ポンペイオとは、内閣情報官のカウンターパートとして、親交を深めた。

平成30年、トランプ前大統領と北朝鮮のキム・ジョンウン総書記が電撃的に首脳会談を行う。いわゆる「米朝プロセス」だ。

日本の政府・与党内では、トランプ大統領が外交的な成果を得ようと、完全な非核化や拉致問題の解決などで十分な確証を得ないまま、制裁の緩和などの妥協を図るのではないかという強い懸念があった。北村は、国務長官となっていたポンペイオら情報機関の出身者、関係者と情報交換。安倍総理のサポートにあたった。

「米朝プロセスの動きとか、逐一情報を入れたよ、総理、官房長官に。アメリカからもどういう状況かというのは話はあったし、インテリジェンスとして情報は入れていた」

こうした実績が評価されてか、北村は令和元年9月、第2代の国家安全保障局長に就任する。国内の治安や犯罪対策にあたる警察出身者が安全保障の責任者に就任したことに、驚きが広がった。初代局長の谷内正太郎が外務省出身だったこともあり、外務省などからの強い反発もあったともささやかれた。

「国家安全保障局長の2年間、一緒に仕事をした外務省の若手とか、防衛省の若手は素晴らしかった。組織的に『こいつの足を引っ張ってやろう』なんてやつは1人もいなかったということは断言できるよ。おもしろおかしくするとそうなるんだろうが、実際、担当になって、組織で何かやろうとしているときに、そんなこと考えているほどヒマじゃないんだよ」

要人との面会

国家安全保障局長に就任後、北村は相次いで各国の首脳級と面会した。
政治家ではない北村に対し、異例の待遇だった。

令和元年(2019)12月 北京で中国の王岐山国家副主席と会談。
令和2年 (2020) 1月 ワシントンで韓国のチョン・ウィヨン国家安保室長とともにトランプ大統領と面会。
1月 モスクワ郊外でプーチン大統領と会談。

北村は面会でのエピソードを明かした。

「王岐山副主席と会ったときは、ほとんど習近平国家主席の国賓訪日が決まりかけていた時期だったから、最後の詰めで会見した。ただ、いよいよって時にこちらもコロナで流れたけどね」

「トランプ大統領と会ったのは、アメリカ的には日韓関係が良くなればってことで、オブライエン(大統領補佐官)の配慮で、チョン・ウィヨン国家安保室長と一緒にトランプ大統領に会ってもらったってことじゃないかな。『おまえがシンゾーのアドバイザーか』と言って握手をしてくれた」

(プーチン大統領は、同じ情報機関の出身として話が合ったか?)
「『同じ業者の仲間だな』って言ってたよ。首脳会談の日程をどうするか話をしに行ったんだけど、世の中がコロナになってしまった」

北村は、ロシアとの平和条約交渉、北朝鮮による拉致問題の解決に向けて、水面下で携わったとみられているが、関係者の口は重く、事実関係は明らかにされていない。

インテリジェンスは明かすことができない機密の世界とはいえ、外交は民主的なプロセスで進めるべきものでもある。官邸と外務省とは連携できていたのか否か。現状、いずれも大幅な進展が見られない中、これまでの経緯を検証し、次に生かす作業が必要ではないかという指摘もある。

力を注ぐ経済安全保障

北村が国家安全保障局長に就任後、局内に経済安全保障を扱う「経済班」が発足した。アメリカと中国による貿易摩擦など、経済政策が外交・安全保障に密接に関わる事態が増えていることが背景にある。経済安全保障への取り組み強化は北村の長年の目標だった。

「経済班発足の理由で1番大きいのは、平成30年にアメリカのペンス副大統領の対中演説というのがあったわけですよ。それで経済安全保障関係のさまざまな法制度の改正があった。そういうのを受けて令和元年に自民党の甘利さんの議員連盟から『NEC(国家経済会議)を設置しろ』みたいな背景があって。私は原体験的には警察庁の外事課で先端技術の流出を見てきて、『やらなきゃいけないな』という思いはあったので、その意味で2つの要素があったと思いますね」

北村の言う原体験とは、平成17年、「東芝」の子会社の元社員が、軍事転用が可能な半導体技術の機密情報を在日ロシア通商代表部の男に漏らし、現金100万円を受け取ったとして、背任の疑いで書類送検された事件だ。
人間の頭の中にある見えない知識が外国に流出し、軍事転用されていくことに恐怖を感じたという。

特に最近では、AI=人工知能など、先端技術が軍事に結びつく状況が広がっている。北村は今まで以上に、経済安全保障の重要度は増していると感じている。

「先進国では、サイバーや宇宙といった領域を新たな戦域とみている。そういった領域では先端技術への依存が大きいことをよく認識しておかなければならない」

北村には、日本の安全保障はまだ不完全だという思いがある。

「DIME」とは

「安全保障はね、『DIME(ダイム)』なんだよ」

DIMEとは、
diplomacy (ディプロマシー=外交)
intelligence(インテリジェンス=情報収集・分析)
military (ミリタリー=軍事)
economy (エコノミー=経済)
この頭文字をとった言葉だ。

「4つ全部で安全保障なんだよ。決して外交と防衛だけが安全保障じゃない。その間にはいろいろあって、中でも日本はインテリジェンスと、エコノミーが欠けていると言われている。ただ、今回、経済安全保障法制ができれば、わが国もようやく『DIME』に入りつつあるって事だよ」

岸田政権が重視する経済安全保障の強化を図る新たな法案は、2月25日に閣議決定。法案の国会提出に向けた作業が大詰めを迎えている。

「なんか今回の法律ができると『よーいドン』で初めて経済安全保障の政策が始まるという論調が多いんだけど、違う。もう始まっているんだ。例えば、土地利用を規制する法律の改正など、経済安全保障関係の政策は打ってきている。今回の法律は、『経済安全保障大系』というものがあったとすると、その一部と考えてもらった方がいい」

ただ経済安全保障法案には、経済界に慎重な意見もある。
法律によって過度な規制がかかり、企業の経済活動を制約するのではないかという懸念があるからだ。

こうした懸念もあってか、政府は、企業の部品の調達先などを国が調査する際、報告に応じなかった企業に罰則を設ける方向で調整を進めていたが、企業の報告を「努力義務」に修正し、罰則の対象を限定的にした。

北村は、岸田内閣のもとに設置された経済安全保障の有識者会議のメンバーとなり、法案のとりまとめにあたって、議論に加わった。その法案の審議が、いよいよ国会で始まる。

「安全保障という名前がつくので、そんなに国会審議が簡単だとは思っていないけどね」

インテリジェンスの専門家ゆえ、北村は、他省庁から警戒され、時に対立も招いた。
一方、北村はアメリカ政府やオーストラリア政府から、日本人として初めて、情報業務で顕著な功績のあった人物として、表彰されている。

北村自身は、みずからに対する毀誉褒貶はものともせず、インテリジェンスの世界に身を置き、日本の安全保障を完全なものとすべく奮闘するのだろう。今後の活動に引き続き注目していきたい。

(文中敬称略)

政治部記者
小口 佳伸
2002年入局。札幌局、長野局、首都圏局を経験。現在は政治部で若手と切磋琢磨する日々。