沖縄選挙イヤー開幕戦
政権与党側の勝利

「きついね、きつい。ただ結果は結果だから」

投開票日の深夜、こうこぼした沖縄県知事、玉城デニー。
秋までに行われる知事選挙を前に、全面的に応援した候補が名護市と南城市の市長選挙で敗れるという事態を前に、ことばに力はなかった。

本土復帰50年の節目を迎える沖縄は今年、選挙が集中する4年に1度の「選挙イヤー」だ。

8年ぶりに知事の座を奪回したい自民・公明両党と、再選を狙う玉城陣営の初戦を追った。

(後藤匡、西林明秀、安藤雅斗)

前回とは違う候補を支援

名護市長選挙の告示まであと5日に迫った1月11日。
名護市内のリゾートホテルの宴会場で開かれた、ある企業グループ主催の名護市長選総決起大会に現職の渡具知武豊(60)の姿はあった。
渡具知は、およそ100人の社員を前に、この4年間に成し遂げた幼児教育・保育の無償化や18歳までの子どもの医療費の無償化などの実績をアピールした。

実は4年前にも行われたこの企業グループの総決起大会には、渡具知の姿はなかった。
演壇に立ったのは、知事の玉城を支える「オール沖縄」が支援した当時現職の稲嶺進。渡具知が戦った相手だった。

前知事支えた3人が距離

この企業グループのオーナー、平良朝敬は2018年に死去した前の知事、翁長雄志の元側近。
翁長前知事時代に副知事を務めた安慶田光男と、現在沖縄県議会議長を務める赤嶺昇らとともに、2014年の沖縄県知事選挙の際、翁長を支援する「オール沖縄」の結集に尽力した。

保守と革新の対立が続いてきた中、「イデオロギーよりアイデンティティー」をスローガンに、「オール沖縄」の旗のもと、保守革新の枠を超えた勢力が集まった。そして、アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設計画や、アメリカ軍の新型輸送機・オスプレイの沖縄への配備への反対運動などを進めた。

しかし、この3人は、翁長の死後「オール沖縄」から距離を置き、いまは玉城県政と完全に距離を置いている。

「オール沖縄は終わった」

元副知事の安慶田は、こう訴えた。
「私が副知事の時、国を相手取った辺野古移設の訴訟で最高裁で負けた時、当時の翁長知事に『行政闘争は終わった。政治闘争に切り替えるならいいが、行政が訴えるのはやるべきではない。税金のムダだ』と伝えたんだ。良識ある県民は考えてもらいたい。『オール沖縄』を作った私だが、今の『オール沖縄』のやり方はおかしい、もう終わっている」

辺野古問題ばかりを争点化していると「オール沖縄」を批判する安慶田。

「反基地ばかり主張し、生活に直結しない政治は全く意味のないことだ」と切り捨てた。

「玉城発言は共産党と同じ」

県議会議長の赤嶺はさらに玉城を批判する。


「玉城知事がしゃべることは、共産党がしゃべることと同じと思ってもらっていい。翁長知事の後任というが、大きく変わっている」

かつて翁長を支援した企業グループのオーナーの平良にも、なぜ「オール沖縄」から離れたのか聞いた。
「翁長知事を支えていた我々は何も変わっていない。『オール沖縄』が革新側に振れただけ。『オール沖縄』は我々がいるべき場所ではない。革新共闘に変貌したんだ」と淡々と答えた。

保守、革新の枠を超えて誕生した「オール沖縄」から、保守がいなくなったというのだ。

まとめ役不在

その「オール沖縄」が全面的に支援する新人候補の岸本洋平(49)。

実は選挙の告示後、岸本陣営には不穏な空気が漂った。
情勢分析で、劣勢だという情報が駆け巡ったのだ。

劣勢の原因を「オール沖縄」の体制にあると話す関係者がいた。
玉城に近いこの関係者は、こう話してため息をついた。
「『オール沖縄』を束ねる人がいない。それぞれの支援政党、労働組合など一生懸命動くけど、まとめ役がいないから、シナジーが生まれない」

振り返れば、4年前の名護市長選挙もそうだったという。

共産党や自治労など各組織の運動員が全国から名護市に集結。

名護市内をくまなく歩いて現職の稲嶺進への支持を訴えたが大差をつけられて敗戦。

選挙戦のさなか、陣営の一部からは、「もっと一体的に行動すべきなのではないか」という声も聞かれたが、大勢の意見とはならなかったという。

「翁長知事がいたころは、まとまりがなくても圧倒的な勢いがあった。それに乗っかって戦ってきたが、もうかつての勢いはなくなっている。次の知事選挙に向けて体制を立て直さないといけない」と話す関係者もいる。

玉城に近い関係者は危機感を隠さない。

「この状況が続くなら、今後の選挙は『オール沖縄』と距離をとりたいと思っている」とまで話した。

「オール沖縄」は、結成から8年がたとうとしているいま、正念場を迎えている。

一貫性なき訴え

去年11月、沖縄県は、辺野古移設計画をめぐり、国が県に要請していた設置計画の変更を不承認にした。
これにより、政府と県の対立は一層激しさを増すことになった。

移設予定先の辺野古を抱え、名護市長選挙ではこれまでの選挙と同様、今回も移設問題についての両候補の姿勢が注目された。

現職の渡具知は容認も反対も述べることなく、国と沖縄県の争いを見守るという立場に終始。
これに対して、新人の岸本は辺野古移設反対の立場を表明した。

岸本陣営には、現職が子育て政策などで実績を積み上げてきている中で、基地問題を前面に出して戦うべきだという意見が大勢を占めていた。

しかし当の岸本本人は、立候補会見後、しばらくは基地問題に触れることは触れるが、前面に出すことはしなかった。
陣営内部や支持者からは「なんで辺野古反対を言わないんだ」と批判が相次いだという。

ところが告示日当日の演説では一変して、移設問題について発言した。


「沖縄、名護の未来を考えたとき、辺野古新基地を認めるわけにはいかない。いまここで市政を変えて、辺野古の新基地を止める。私は一歩も引かない」

「洋平は覚醒した」
移設反対の立場を鮮明にして、勢いのある岸本の語り口に、集まった陣営関係者や支持者は士気を高めた。

しかし、方針はすぐに変わる。

陣営の情勢分析で、20代から40代の「若者層」が、渡具知に大きく流れているということが分かったというのだ。

「基地一辺倒じゃ、市民は振り向かないだろう。もっと子育てを前面に出そう」

告示から2日後の18日に開かれた選対会議で、基地問題の優先度はあっけなく下げられた。
急きょ、子育て支援策や経済の活性化を打ち出すことに。

「オール沖縄」側の県議会議員たちも優先して訴える内容を変えた。
県議の1人は「選挙が始まっても、こんなに方針が変わるのでは、勝てる気がしない」と不満を漏らした。

揺れる岸本陣営のスタンスに名護市内の企業関係者からは「彼は伝えたいことがコロコロ変わっていてダメだ。市民をバカにしている」などと批判の声も出た。

陣営関係者は選挙後、「選挙期間中、辺野古問題の優先度を下げたのは間違いだったかもしれない。結局、子育ては相手の土俵に乗ってしまった」と肩を落とした。

期日前が勝負

名護市長選の特徴の1つに期日前投票率の高さがある。

前回・4年前は44.4%。

全体の投票率が76.9%だったことを踏まえると、半数以上が期日前投票をしたことになる。

前回の期日前の投票率の高さは「異様だった」と関係者は口をそろえる。

渡具知陣営は、期日前投票が勝負だと踏んで、県外の建設会社、県内の大手企業にまで声をかけて、取り引きがある名護市内の会社や名護に住んでいる従業員に期日前の投票を呼びかけた。

渡具知陣営の関係者は「投開票日の3日前の段階で勝利を確信するほど、期日前の反応はよかった」と振り返る。

今回はどうだったか。

元知事も頭を下げる

去年12月17日、渡具知陣営の事務所2階には、県外の大手建設会社の関係者が集められていた。その数およそ40社。
最近は表舞台で見かけることが少なくなったあの人の姿があった。

「名護市長選挙は言うまでもなく、重要選挙です。どうかみなさんの協力で勝たせて下さい」
こう言って、元県知事の仲井真弘多は深々と頭を下げた。

自民党沖縄県連は、選挙まで1か月に迫っても、ムードの盛り上がりに欠ける状況を憂慮。
県連の最高顧問を務める仲井真も精力的に名護に入り、支持を呼びかけたのだ。

期日前投票率を40%に

沖縄県連は年内に名簿を作成し、年明けから期日前投票の呼びかけを一気に行うという絵を描いた。

沖縄県連は、アメリカ軍基地に端を発したオミクロン株の広がりから、年明けに予定した幹事長の茂木敏充や、広報本部長の河野太郎を名護に呼んでの集会は実施できない可能性が高いと踏んでいた。

集会ができないなら、期日前投票に全力投球するしかない。

「期日前投票率で40%にもっていき、その6割を取って、2万票を狙う」

こうした目標を掲げて実現に向け、企業には「5票でも10票でもいいので確実に丁寧にお願いして欲しい」と指示を出した。

名護市内の企業に、仲井真みずから足を運び、期日前投票を呼びかけた。

仲井真に近い関係者は本人の考えをこう解説してくれた。
「仲井真さんは、なんとしても県政を奪還したいんだ。そのためには、名護市長選挙は絶対に落とせない。名護を落としたら、知事選挙に向けて立て直しができないから」

仲井真は、2年前の県議会議員選挙から精力的に選挙応援に取り組み始めたという。
最終的に、前回よりは下回ったが、期日前投票の投票率は42%に達した。

自民党関係者は「知事選に向けて首の皮がつながった」と胸をなで下ろした。

70%の壁

71%。

NHKが開票日当日に行った出口調査で、投票を終えた有権者に玉城県政への評価について尋ねた結果、「大いに評価する」が24%、「ある程度評価する」が47%で、足し合わせた数字が71%だ。

自民党や公明党の関係者はこの数字を見た瞬間、現実に引き戻された思いがしたという。

71%という高い壁をいかに越えるか。

自民党沖縄県連は、夏の参議院選挙と秋の知事選挙を一体と捉え、選挙戦を戦う方針で、現在、候補者の人選を進めている。

しかし玉城ほどの支持があり、知名度もあると衆目が一致する候補は見当たらないのが現状だ。

沖縄県連としては、両方の選挙の候補者を早く選定し、2人セットで時間をかけて活動して有権者への浸透を図っていく方針だ。しかし課題もある。

沖縄経済界は一連の選挙では結束して、自民党が推す候補を支援する構えだが、自民党にかつて所属していた前衆議院議員、下地幹郎の動向しだいでは、一部の企業が離れる可能性もあり、そうした企業とどう連携を図り、経済界を一枚岩にするかという課題があるのだ。

1ミリもぶれない

初戦に敗れた玉城だが、主張は譲るつもりはない。

新人候補が負けたあと、顔をこわばらせていたが、記者団に移設計画について問われると、
「相手候補を応援した人の中にも、辺野古への移設に反対だと思っている人はいたかと思う。
私はこの選挙結果に何か懸念を持ったわけではなく、反対する思いは1ミリもぶれていない」と力を込めて語った。

みずからを支える「オール沖縄」は、4年前の前回の知事選挙の時と比べると、保守系の支援者が離れ、革新勢力が主体となっている。

玉城は、選挙翌日、「オール沖縄」の体制の立て直しにも取り組む考えを明らかにした。

「名護市・南城市の有権者に我々の主張がどのように受け止められたか、選挙を取りしきった人たちや外部からの支援についても、総括をする」
「考え方や政策、公約などで幅広くいろいろな考えを持っている方々が結束をするということが、『オール沖縄』の真骨頂だ。広範な方々が、結集するという方向性についても、点検はその都度、必要だろうと思う」

玉城みずからリーダーシップを発揮して、幅広い勢力を結集できるのか、そして「オール沖縄」を再生できるのか、その手腕が問われている。

選挙イヤー

ことし沖縄県は重要選挙がめじろ押しの選挙イヤー。

2月27日には石垣市長選、4月24日には沖縄市長選、秋には知事選と宜野湾市長選、冬には那覇市長選が行われる予定だ。

その中の天王山の知事選に向けて、沖縄政界・経済界は熱を帯び始めている。

(文中敬称略)

沖縄局記者
後藤 匡
2010年入局。経済部、政治部を経て、2021年11月から沖縄局。現在、県政を担当。酒は飲まないが取材先との飲み会を大事にする。(コロナ禍では自粛中です)
沖縄局記者
西林 明秀
2015年入局。松江局を経て、2020年から沖縄局。玉城知事の担当。沖縄県内の防波堤で夜釣りをするのが好き。
沖縄局記者
安藤 雅斗
2017年入局。事件・事故担当などを経て現在は沖縄中部支局で基地問題や名護市政を担当。大学時代はソフトボール部に所属、部活に打ち込んだ。