コロナ禍の首相交代劇
山口那津男の証言
「その一言の意味は…」

コロナ禍で日本社会が大きな岐路に立った2021年。
総理大臣の座は、菅義偉から岸田文雄へと移行した。ワクチン接種をコロナ対策の切り札として推し進めながらも支持率が落ち込み、志半ばで退任した菅。その舞台裏で何があったのか?
そして前回の自民党総裁選挙で大敗した岸田は、どのように総裁の座を手にすることができたのか?
キーパーソンによる証言からコロナ禍の政権移行の内幕に迫り、日本政治の行方を展望。
NHKスペシャル「永田町・権力の興亡」の取材をもとに、詳細な証言を掲載する。
今回は、公明党代表の山口那津男に話を聞いた。

菅政権について

Q)菅政権は「国民のために働く内閣」というスローガンを掲げて、当初は60%超の支持率を誇ったが、すべり出しをどう見ていたか?

A)菅さんは安倍政権のもとで官房長官を長く務められた方ですから、安倍政権の道行きというものをよく心得た上で、ご自身のカラーを出そうと。仕事師と言われるくらいの方ですから、その出発点は具体的で分かりやすい面があったと思います。特に公明党としては、長く訴えてきた不妊治療に対する保険適用、あるいは携帯電話料金の大幅な引き下げを真っ先に掲げて実行する姿勢を見せました。また縦割りを打破して改革していく姿勢にも共感を覚えました。そんな菅政権のスタートは、まさに公明党の支持者のみならず、国民から歓迎されていたと思っています。

Q)菅氏は、公明党や支持母体の創価学会と良好な関係を築いていた。連立を組む党代表として、信頼関係や結束をどう見ていたか?

A)官房長官を長く務めたということは政権の要、特に内閣の要の1人です。しかも、選挙に対する情熱や取り組みも、かなり具体的で成果を表してきた方でもいらっしゃいました。自公連立政権が安定を保つためには、政策面の協力と、選挙の面での協力と、両方必要です。そういう両面を担ってこられた方で、かなり濃いパイプを持っていたと思っています。私自身も長い関係があります。

コロナと支持率

Q)菅政権の支持率は、コロナの感染者数の増加と連動するようにして下がる傾向にあった。コロナ禍で社会全体の不満の矛先が政権に向かっていたようにも見えたが?

A)安倍政権の時からコロナの感染が広がりましたが、それ以降ずっと、感染が広がると、支持率は反比例して下がるという関係を繰り返してきました。ですから第5波の時も同様で、特に変異株であるデルタ株の感染が拡大していく過程にありました。結果としては、これまでの波をはるかに上回る感染者数、医療のひっ迫の状況と大変困難を極めたわけです。そうした中で、菅政権の支持率も大変厳しい状況になっていった過程だと思います。その間、東京オリンピック・パラリンピックの開催なども重なってくるわけで、大変苦慮する中で必死に進んでいったと思っています。

横浜市長選挙について

Q)8月の横浜市長選挙で小此木・元国家公安委員長が野党候補に敗北したが、敗因はどこにあったと思うか?

A)横浜市長選挙は、大変注目を浴びる選挙でした。与党側、特に自民党は、現職閣僚を辞めた小此木さんを候補者として擁立するという決断をしたわけです。そして、かねてから横浜市は、いわゆるカジノ建設の候補地と言われていました。菅総理も推進する側の人と見られてきたわけですが、小此木さんは、公約としてカジノを「やらない」と明言したわけですね。
しかし、感染状況は大変厳しく、どんどん8月上旬(感染者数が)増えていきましたから、それと重なる中で、カジノは争点としてあまり浮上しなかった。対立する候補は元々、カジノ反対ですから相殺し合ってしまうわけですね。そうすると、何が一番の市民の関心だったかと言うと、コロナの感染状況を早く収めてもらいたい。ここをずばりと具体策を訴える候補に注目が集まったという状況だったと思います。結果として、菅さんの推した小此木候補が敗れるということですから、公明党も、小此木候補を推薦しましたけれども、非常に残念な結果になって、落胆もあったと思っています。

Q)小此木氏の立候補には期待感はあったのか?

A)横浜市長選挙は、事前の予想では地元の市議会議員や県議会議員の数、陣営のボリュームから言って、楽観的な見通しもあったんですね。しかし、いざ近づいて始まるや、感染が拡大して増えていく状況。それと医療ひっ迫が重なる状況でしたから、事前の予想はどんどん覆って大変厳しさを感じていました。公明党も応援する立場ですが、やはり現場の議員は極めて厳しい状況を認識しながら、自民党の陣営ともすり合わせをして共に動けるように活動をしたわけです。しかし、自民党の陣営も、市議会議員はカジノ推進派が多かったですから、その点で、林前市長も候補として賛成の立場で名乗りを上げましたので、なかなか自民党の陣営が一体になりきらないと。そういうジレンマも感じていたと思います。

Q)衆議院選挙が目前に迫る中で、菅総理のお膝元で敗北。率直にどう受け取った?

A)横浜市長選挙は政令市の中でも大変大きな市、しかも東京の隣ですので、ここの有権者の動向は、やはり大きく、その後の衆議院選挙に影響を与えると思っていました。ですから、当初のもくろみが崩れて結果的に敗れることになったのは、やはり大変ショックでして、衆議院選挙にどう態勢を立て直すか、大変心配な面もありました。
公明党としては、当面のコロナ対応に対する横浜市民の反応ですから、しっかり対応して、つまりワクチン接種をどんどん進めて、治療薬も新しいものを投入して、医療体制も立て直して、国民が安心できる状況をつくることが最優先だと考えていました。

菅氏の変化、退陣へ

Q)与党内には、菅政権のまま衆議院選挙に臨むのは厳しい状況だという見方もあったが、どう感じていたか? 菅氏とはどんなやりとりがあったのか?

A)安倍政権から一貫して、政府はコロナ対応を最優先の目標に掲げ、菅総理もそれを最優先の課題として実行してきました。かたや衆議院の任期満了が迫り、いつ解散をするのか、いつ選挙になるのかというのは国会議員の最大の関心事でもあったわけです。そういう中で、コロナ対応に追われて、タイミングがどんどん狭まっていく中での非常に苦しい状況が続いたと思います。また、自民党の総裁選挙の日程も決まっておりましたので、衆議院選挙と総裁選挙の関係もあり、かなり追い詰められた状況で、9月2日に党首会談を持ちました。
その時は、菅総理は、総理を続けるために総裁選挙に立候補するという意思を明確に持っていらっしゃいました。その上で、党幹部の人事を断行すると。また総理大臣として、コロナ後のことも視野に入れながら経済対策を政府に指示すると、この2つを私にも明言されました。ですから、会談では「経済対策を指示するとすれば、その中に、公明党から何点か、こういうことを入れてほしい」という話もして意思疎通ができたわけです。「(自民党役員の)人事も行った上で、公明党に新しい陣容で挨拶に行きます」とまでおっしゃっていたわけですね。その瞬間の意思は明確だったと思います。ただ、会談の途中でメールが入ったり電話が入ったり、かなり切迫した状況が菅総理の周囲にはあることは肌で感じました。
で、明けて3日。人事を断行することが最終的にはかなわなくなって、その経過まで私は詳しくは存じ上げませんが、夕刻、電話をいただきました。総裁選挙に出ないということを明言されたわけです。もう総理として続投することを断念したということで、大変言葉少なく、落胆の様子が電話から伝わってまいりました。その時に、ひと言述べられたのはですね、「ようやくなんとか間に合いました」という言葉だったんですね。それが何を意味するかは、いろいろ奥深い意味があるかもしれません。私が受け取った意味は、コロナ対応最優先でワクチンの接種をしっかり行ってきて、ようやく感染のピークを越えて下降線をたどり始めた。オリンピック・パラリンピックの開催もなんとかやり遂げることができそうだと。せめてもの自らの取り組んだことが成果を上げつつあると。そういう意味が含まれていたと、私は受け止めました。

Q)9月2日の党首会談は、昼食をともにしていたのか?

A)そうですね。月に1度、定例的に昼食をともにしながら、ざっくばらんに話をするという中の一環でした。例えば当時は、ワクチンだけではなくて抗体カクテル療法が注目をされて、病院や宿泊療養施設とかで拡大して、効果が実証されましたから、政府で入手したカクテルの量とか、これからどう使うかとかいうことも、詳しく話をした記憶があります。治療薬とワクチンの両面で展望が開けつつあったという確信を持っていらっしゃいました。

Q)その会談の際、山口氏から見て、菅氏は通常の様子だったか?

A)ここは菅総理の心中いかばかりかと言うことですが、やはり総理として、責任ある者として何をやるべきかという目標は明確にお持ちになっていたと思います。それは総裁選挙や衆議院選挙のことは、また別に考慮しなきゃならないとしても、最優先で何をやるべきかということは、はっきりと認識されていたと思います。
私は、その責任感の強さというものは、総裁選挙の立候補を断念したあとも、最終的に次の人にバトンを移すまでは責任があるわけですから、やはりコロナ対応最優先と、ワクチン接種進捗という目標を堅持しながら、責任を持ってあたられていたと思います。
ですから、そのあとの展望も視野に置きながら、(菅氏は)「経済対策の指示をするとすれば、こういうことも必要だ、ああいうことも必要だ」と。そういう中で、公明党の主張も真摯に受け止めて下さったと思っています。そういうことが結果としては、岸田政権にも受け継がれていると思っています。

Q)安倍氏に続いて菅氏も退陣することになったが、連立政権のカウンターパートとして何を感じたか?

A)安倍総理が体調の関係で退陣される時も、最後に1対1でお会いする場面がありました。大変残念な悔しい思いが、体全体に顔の表情に表れていました。それを対面で間近で見るのはつらい思いもありましたけれども、我々としては、やはり連立政権の器を保っていくことが大切だと。苦しい状況にあり、辞めていく総理大臣からバトンを受けて、その器を保っていくことの重要性。公明党の側でリーダーとしてとどまる私が、きちんと次の自民党のリーダーにも協力をして受け渡しをしながら、この器を保っていきますと、そういう誓いをさせていただきました。
菅総理の時も電話でしたけれども「なんとかようやく間に合いました」と。そのあとに「ありがとうございました」と、お言葉がありました。「こちらこそ、ありがとうございました。お世話になりました」と、お伝えした上で、その言葉の奥には「政権が代わったとしても、連立の絆はいささかも揺らぐことなく、菅総理の意思も、安倍総理の意思も引き継いでいきますよ」と。そういう意味を込めて私の方から言葉を発したわけです。

Q)菅氏は、なぜ総理を辞めざるを得なかったと思うか?

A)菅総理の胸中は推し量る事はできませんが、(9月)2日の党首会談で「人事を断行して、決まったら来週早々にも公明党に挨拶に行きます」と、おっしゃってましたが、あの状況で、本当に幹事長や党の要職をどなたが引き受けてくれるのかなというのは、大変予測が困難でした。それが翌日に結果として表れたと思います。菅総理の強い、固い意志があったとしても、やはり自民党の中で求心力を持って進めていくことがやり遂げられなかったんだなと実感しました。
衆議院選挙の党の顔がどうかということは自民党自身の考えるべきことですが、菅総理が総裁選挙に出ないとなったあとも、やはり国民・有権者の心配は、まさにコロナ対応にあるということをはっきり見通して、菅総理とともにやるべきことを着実に進めていこうと。党内にも呼びかけ、地方議員にも呼びかけて、それがある意味で最大の衆議院選挙への対策でもあるという認識のもとで進めてまいりました。

公明党の役割 権力とは

Q)今後の日本政治について。公明党は連立与党の一翼として、どのような役割を果たしてく考えか?

A)公明党と自民党の連立政権は20年以上にわたります。その間、民主党政権の前後で違いはありますけれども、この長い間の連立の信頼の絆というのは極めて強いものがあると思います。近年、いろいろな政治学者の皆さんの分析も踏まえますと、2つの要素がある。それは政策の違いがあっても、しっかり議論して最終的には合意をつくって実行するという経験値を持っている。もう1つは、選挙協力が実態の伴うもので、どんな苦しい状況でも、どんなに風に乗れる状況でも、協力の実をいかして成果を生み出している。この2つの要素がずっと継続していることが、自公連立政権の強みであると。他の組み合わせでは、こうしたものはなかなか期待できないというのが、大方の学者さんの今日の分析です。
これからのことも考えますと、公明党から見て、いくつかの政権交代を経験したけれども、政治が不安定になることは、国民にとっても、また国全体にとってもマイナスが多いということを実感しています。さまざまな改革、あるいは国際社会の激しい動きに対応していくためには、政権基盤の安定と政策の実行力、それを生み出すもとになる中身のある選挙協力。この要素を持つ自公政権の責任、重みというのはずっと続くと思っています。
もちろん、それ以外の政党に対しても、謙虚に耳を傾けるべきところもあるし、時にはきちんと反論する場合もあると思いますけれども、よく見極めながら、自公連立政権、揺るぎなく国民の期待に応えていく必要があると思ってます。

Q)山口氏にとって、権力とはどういうものか?

A)政権を持つ意味というのは、国民に対する責任を持つということです。使うべき手段を任されてるわけですから、最大限に力を発揮できるようにコントロールしていく使命があります。
いまは連立の時代であり、自民党には自民党が受け止めるべき声もありますが、自民党で受け止めきれない声もあります。まさに公明党がキャッチできる部分もあるわけで、幅広い国民の声。違いがあったとしても、議論して合意をつくり出して、実行する。意見の言いっ放しで実行できなければ、信頼は生まれません。ですから、政権の持つ力を上手に使うためには、そうした合意形成能力と国民の声を幅広くキャッチする力と、両方必要です。特に公明党は小さな声を聞く力という表現をする場合もありますけれど、やはり国民のささやかな願い。あるいはかき消されそうな声、そういうものを敏感に捉えて、それを政策実現に活かしていく。このような過程が国民に見える事によって、連立政権に対する期待や信頼もつながれていくと思います。
しかし、そこにおごりや力の偏りがあると、国民の皆さんは不安に思うし、反発も生まれてきます。ですから、よかれと思って進んだ道でも、違う声があれば、それはそれで謙虚に受け止めて柔軟に対応していくという姿勢も持っていなければなりません。それを自公連立政権のいわば原点として、今の政権になっても政権合意の中に「国民の声を聞き」ということをしっかりと入れ込んであるわけです。衆議院選挙が終わったあとも「一層気を引き締めて国民の声を聞き」という言葉に改めました。この姿勢を今後も保って、実際の政治に生かしていきたいと思っています。