“保守王国”が大分裂?
28年ぶりの新知事は誰に

過去60年近くの間、知事を務めたのは2人だけ。
平成生まれの県民にとっては物心がついたときから知事はずっと同じ人。
そんな石川県で、28年ぶりに知事が交代する。
しかし後釜をめぐって、自民党の国会議員経験者が激突し、保守が分裂して争う事態に…
“保守王国”石川の政治地図を塗り替える可能性をはらみつつ、告示前から盛り上がる知事選挙の舞台裏を追った。
(城之内緋依呂、竹村雅志)

全国最多選の知事

「無症状の方は、石川に来てください」
「兼六園を散策すればリフレッシュできる」

新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、東京で、週末の外出自粛が呼びかけられていた、おととし、2020年の春。
こんな発言で物議を醸したのは、石川県知事の谷本正憲(76)だ。

1994年に初当選して以来、現職の知事としては全国で最も長い7期目を務めている。
【リンク】前回4年前の知事選挙の模様はこちら

28年近い在任の間、北陸新幹線の金沢延伸や石川県内で2番目の空港となる能登空港の開港など、地域振興に関わる大小さまざまな事業に取り組んできた谷本の実績は、多くの県民が高く評価する。

地元の政財界からは「これまでの経験をもとに、ぜひもう1期務めてほしい」と8期目を期待する声が聞かれた一方、“兼六園発言”を受け、
「判断力も低下しているのではないか」、「年齢的にも限界だ」という声も漏れ、8期目を目指すのか否か、その去就に関心が高まっていた。

口火を切ったのは現職衆議院議員

衆議院選挙が迫っていた、去年7月19日。
自民党の現職の衆議院議員だった馳浩(60)が、突如、記者会見を開いた。


「退路を断って知事選挙に挑戦する」

秋の衆議院選挙には立候補せず、次の知事選挙に立候補することを表明した。

馳は、富山県小矢部市出身で、金沢市内の私立高校で教員を務め、レスリング選手としてロサンゼルスオリンピックに出場し、その後、プロレスラーに転身した。
そして1995年の参議院選挙で石川選挙区から立候補し初当選。
2000年からは7期連続で衆議院議員を務め、文部科学大臣などを歴任した。

ある県議は馳について「国会議員の経験が長く、すべての省庁に顔が利き、石川県のトップとして国と同じレベルで話ができる。必要があれば、総理大臣にだって直接指示を仰げる人はなかなかいない」と期待を寄せる。

馳は「社会的弱者を支えるため、住民により身近な場所で様々な課題に取り組みたい」と、知事として地域のために尽力したいと熱く語った。

さらに馳は「谷本知事の後継と思っているのは事実」と、自身を谷本の後継者に位置づけようとした。
しかし、この発言は後に波紋を広げることになる。

長期政権に幕

馳の動きに谷本は「現職の知事としての仕事に専念する」と、進退について沈黙を守った。
そして、衆議院選挙が終わり、寒さが増してきた去年11月17日。
谷本は記者会見を開き、今期限りでの退任を表明した。
谷本に近い県議からは「なぜ8期目を目指さなかったのか」などと惜しむ声が聞かれた一方で、「新型コロナの感染が広がる中、“兼六園に来てください”との発言は、やはりまずかった」との意見も漏れた。

自民党参議院議員も参戦

谷本の退任表明を受けて、知事選挙をめぐる動きは風雲急を告げた。

「山田も知事選挙への立候補を模索している」

馳が衆議院選挙を見送って立候補しようとしている中、同じ自民党の現職の参議院議員で、しかも同じ派閥に所属している山田修路(67)も立候補しようとしているというのだ。
取材先からの情報を受けて山田が出席した行事に向かうと、山田は取材に応じ立候補する考えを明らかにした。

「地域の発展のために、自分に何ができるのか考えて立候補を決めた」

山田は石川県加賀市出身で、農林省(当時)に入省し、水産庁長官や事務方ナンバー2の農林水産審議官などを歴任した。
2013年の参議院選挙で初当選し、総務政務官などを務め、12月に参議院の農林水産委員長に就任した。地元では、特に一次産業の関係者からの支持が厚いとされる。

実は前回4年前の知事選挙でも、自民党内の一部から山田を推す声があがっていた。
しかし7期目を目指していた谷本と対抗する形で立候補すると、その後に控えていた衆議院選挙で、谷本が自民党の候補者を支援しなくなるのではないかとの懸念から断念していた。

谷本が退任を表明すると、地元の漁協はすぐさま山田に知事選挙への立候補を要請する書面を提出。
さらに、文化団体などからも立候補を求める声が山田のもとに相次いだという。
こうした声を受け、山田は知事選挙への思いを強くしていった。

「4年前は期待に応えられず申し訳なかったが今回は県のために仕事をしようとしっかり決意した」

山田は地元の後援会の集まりで力強く語った。

山田の動きに、馳を支援する県議は「4年前に立候補を要請したときは出てくれなかったのに、馳がすでに立候補を表明した状況で、意向表明するとはどういうことなのか」といらだちを隠せなかった。

さらに金沢市長も!?

県内最大の都市、金沢市の市長、山野之義(59)も知事選挙への立候補に意欲を示した。

金沢市出身の山野は、金沢市議会議員を務めていた当時は自民党に所属していた。
2010年の市長選挙で、前の市長の「多選」を批判して初当選を果たし、現在3期目だ。
2011年には、自身を対象として市長の任期を最大で連続3期12年を超えないよう努めるべきとする「多選自粛条例」が制定されている。
3期目の任期満了が、ことし12月に迫っており、山野の去就も県政界の大きな関心事になっていた。

分裂回避を模索も

保守王国・石川で突如生じた保守分裂の可能性。
自民党本部は見過ごすわけにはいかなかった。

「馳氏が知事選挙への出馬を前提に準備を進めており県連も党本部もその方向だった。率直に言って(山田氏が)参議院議員の任期も残っているなか、突然立候補を表明することは驚きを隠せない」
山田の立候補表明からわずか2日後、幹事長の茂木敏充は記者会見で、不快感を示した。

自民党としては、夏に参議院選挙を控える中で、組織の足並みが乱れるのは良くない。さらに山田が議員辞職することで、夏の決戦を前に、参議院の補欠選挙まで戦わなくてはならなくなる事態は避けたいという思いもあった。

党幹部らが、山田への説得を続けた。

しかし山田は、態度を硬化させていく。
「茂木幹事長は、すでに石川県で馳さんに決定をしていて東京でも決定していると勘違いされているのではないかと思う」

強気の理由は?

なぜ山田は強気に出られるのか。
背景に浮かび上がってきたのが、馳の立候補表明のタイミングの早さと会見での発言だ。

知名度のある馳がはやばやと立候補を表明したことで、谷本が絶対に勝てるとは言い切れない状況になった。

「そんな状況だから谷本知事は退任したのではないか?」
「馳によって谷本は事実上の退任に追い込まれた」
そんな声が、続投を強く願ってきた”谷本ファン”の県議から聞かれた。

「谷本知事の後継と思っている」という馳の会見での発言は、こうした県議の気持ちを逆なでし、“谷本ファン”の県議らは、山田支持で固まっていったのだ。

山田支持を鮮明にするベテラン県議は報道陣を前に、こう力を込めた。

「自民党の県議32人のうち22人は山田さんを推すと言っている。この勢力をさらに伸ばしていきたい」

元首相の影

今回の取材では、石川出身の元首相、森喜朗の名前がよく出てくる。
政界入りの道筋をつけた馳を知事にするために動いているというのだ。

「森が右と言えば右を向く」

あるベテラン県議は、かつて森が石川県政界に及ぼした影響力を、こう評する。
今も県南部の加賀地方を中心に、森の秘書を務めた、あるいは父親の代から世話になったという自治体の長や県議会議員などがいる。

森は、長年、谷本との不仲がささやかれてきた。

保守分裂の構図となった、おととしの富山県知事選挙でも表面化した。
谷本は5期目を目指した現職知事にエールを送った一方、森は対立候補の新人側についた。

応援演説で森は「石川の知事は1人で7期もやっている」などと谷本を名指しで批判したという。

森が、地元の知事選挙に執着をみせるのはなぜか。

前述のベテラン県議は、その背景を次のように語る。
「森さんは自分の意に沿う候補者を知事に当選させたことがない」

石川県知事選挙が保守分裂の構図となった1991年。
8期目を目指した現職の中西陽一に対し、森は中西を支えてきた元副知事を支援したが、僅差で敗れた。

その中西の死去に伴い行われた1994年の選挙で、副知事として中西を支えてきた谷本は非自民勢力の支援を受け、自民党が推した候補を破って初当選を果たす。


当時、森は自民党幹事長で“選挙の責任者”の立場にあった。

谷本は、その後次第に自民党と協力関係を築いていった。
しかし、自治省のキャリア官僚だった谷本はみずから国との間で調整することが多く、森は「自分に相談もない」と不満を抱いていたという。

「石川県庁の知事室に呼ばれて入ってみたい」

ある県議は森の気持ちをこう代弁してみせる。
森にとっては、自分に近い人物を知事にすることは、いわば“悲願”だというのだ。

森は、かつて自分の秘書だった石川県内の地方議員にみずから電話をかけて馳への支援を求めているという。

ついに“分裂”へ

馳の「おひざ元」ともいえる自民党金沢支部は、12月24日の支部の会合で、最終的には県連に従うとしつつも金沢支部としては馳を推薦することを決定。

これに対し山田は同じ日に、参議院議員を辞職して退路を断った。

年が明けて1月8日、自民党県連は会合を開き、馳と山田の双方を支持するとした上で、自主投票とすることを決めた。

県連会長で参議院議員の岡田直樹は「馳氏、山田氏ともに知事選挙への決意は固く、それぞれに支持者もいる。
県連として1人に絞ることは非常に困難」とした上で、選挙後はノーサイドの精神で結束していきたいと述べ、党内融和に配慮する姿勢を強調してみせた。
公明党県本部は、自民党県連の方針を受け、自主投票とすることを決めた。

自民党の自主投票が決まったことをきっかけに、県議の中では、馳、山田それぞれを応援する動きが相次いでいる。
医療や一次産業など各地の職域団体も、馳、山田それぞれを支援する動きを見せている。


一方、立候補の意欲を示した金沢市長の山野は、一連の自民党の対応を受け、近く立候補するのか最終的な決断を下す見込みだ。

“勝ち馬”見極める

立憲民主党や社民党などは今のところ独自に候補者は擁立せず、立候補を表明した人物から推薦願いが届いた場合に改めて対応を協議する方針だ。

「自民党がはっきり分裂して引き返せなくなってから、どちらかの人物をしっかり支援して勝たせたい」

非自民系の県議はこう話し、自民党の分裂に乗じて選挙で恩を売ることで新たな知事のもとでの県政運営に影響力を確保したいとのねらいが透ける。

また、共産党は独自候補の擁立を目指し、石川維新の会も対応を検討している。

告示前から散る火花

28年ぶりに新しく知事の座に就くのは誰か。
石川の政治地図は大きく塗り替えられるのか。
地方議員や首長を巻き込みながら、2月24日の告示前から県政界には火花が散り、厳しさを増す石川の冬を熱くしている。
決戦は、3月13日だ。
(文中敬称略)

注)金沢市長の山野氏は1月13日に石川県知事選挙への立候補を表明しました。

金沢局記者
城之内 緋依呂
2018年入局。初任地金沢局、21年11月から県政担当。知事選取材に日々かけまわる。
金沢局記者
竹村 雅志
2019年入局。初任地金沢局、警察担当を経て、21年11月から県政担当。知事選の取材では東京へ弾丸出張することも。