“ガラスの天井”その先へ
ジェンダー平等の視点を

日本最大の労働団体、連合。トップに初めて女性が就いた。
その名は芳野友子さん。中小企業の労働組合出身というのも異例だ。
“ガラスの天井”を打ち破るチャンスを逃してはならないと大役を引き受けた。
連合の活動にジェンダー平等の視点を入れたいと意気込む芳野さんに話を聞いた。
(米津絵美)

「まさか私が…」初の女性会長

「まさか私が推薦されるなんて思ってもいませんでした」

連合の新会長に就任した芳野友子さん。
就任前日の10月5日。東京・千代田区にある連合本部で、インタビューに応じてくれた。
冒頭、会長就任を打診されたときの心境を尋ねると、率直にこう語った。

日本最大の労働組合の中央組織である連合は1989年に設立。
働く人の地位の向上や権利を守るための活動を展開し、組合員は全国700万人に上る。

その会長の役割は、労働運動をけん引する情報発信や春闘交渉など、多岐にわたる。
労働界を代表して国の有識者会議に加わり政策提言することもあり、権限は大きい。

初代会長は政界にも大きな影響力のあった山岸章氏。
以来、これまでの7人の会長は全員男性だった。
そして、いずれも傘下に連なる大企業の労働組合のトップを経験している。

これに対し、芳野さんは女性。しかも、中小企業の労働組合出身。
産業別労働組合でも連合でもナンバー2の副会長は務めたが、トップの経験はない。

そもそも今回の会長人事は、政治との関わり方をめぐって連合内の路線対立が激しくなり、極めて難航した。会長候補が浮かんでは消えを繰り返すという異例の経過をたどった。そんな中、白羽の矢を立てられたのだった。

チャンスは逃さない

芳野さんにとって「まさか」という“青天の霹靂”の人事。
「私でいいのだろうか…」そう脳裏をよぎり、戸惑い、そして悩んだという。
それでも彼女は、打診を受けた。その理由をこう語る。

「一緒に運動に携わってきた女性の先輩たち。すごく優秀で、すてきな人たちがいました。でも女性にとっては『ガラスの天井』があって… その人たちの顔が浮かんで、これはもう、私がその天井を突き破るチャンスを逃してはいけないと思い、覚悟を決めました」

職場異動のつもりで

重責を背負い、意気込む芳野さん。
そんな彼女は、どういうきっかけで労働運動に身を投じるようになったのか。

芳野さんは、東京生まれの東京育ち。
1984年。高校卒業後に、ミシンメーカーのJUKIに入社し、翌年には、JUKI労働組合の専従職員となった。
入社後わずか1年で組合専従。やはり当初から熱い思いがあったのだろうか。尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。

「あの… そんなにたいした理由はないんですが… ある日、組合のほうから『専従にならないか』と声をかけてもらいました。普通に職場異動のようなつもりで、専従になったと思います」

彼女が社会に出たころ。働き方の意識はどうだったのか。

「私が入社したときは、男女間の賃金格差もありましたし、研修なんかも接遇がメインでした。電話の取り方だとか、お茶の出し方とか、かなり差がありましたね。女性は職場異動も珍しいし、そのうち結婚や出産を機に辞めていくのが普通だったんです」

本当は働き続けたい

当初は時代の空気に違和感を抱かなかったという。
この頃、男女雇用機会均等法が施行され、時代が変わりつつあった。
ある同僚のことばが意識の変化を生むきっかけになったという。

「『一生懸命やってきたのに、なぜ男の人たちはステップアップして、女性である自分は遅れるのだろうか』ということばを伝えられたんです。そこで考えるようになったんです」

そして、男女の働き方の違いや賃金格差などの実態把握や調査を行うようになった。多くの女性から聞いたのが「本当は長く働き続けたい」という思いだった。

あきらめきれなかった

女性が働き続けられる選択肢を増やしたい。
芳野さんが注目したのが育児休業制度だった。
大企業で導入の動きが出ていたが、JUKIでも取り入れられないか、会社側と交渉した。しかし、1年目はかなわなかったという。
それでもあきらめず、粘り強く必要性を執行部に説いて回った。
そして、翌年、制度導入は実現した。

「まだまだ『女性の幸せは、良き妻、良き母になることだ』という根強い風土がありまして。執行部を説得しきれなかったのがくやしくて。どうすれば説得できるかを深く考え、女性を含めた組合員の意見を集めて後ろ盾にしながら丁寧に幹部に根回しして、説得したのを覚えていますね」

みんなの働きやすさを

会社での女性の労働環境の改善に貢献した芳野さん。

労働界で着実にステップアップし、産業別労働組合「JAM」の副会長、連合の副会長を務めるようになる。組織外では、政府の男女共同参画会議の審議会メンバーも務めるなど、活動を広げてきた。

そんな彼女は、いまの課題をこう指摘する。

「一応、法律の部分などでは、平等になったかのように見えるんですが、まだまだ意思決定の場に女性が少ない。管理職に占める女性の比率、政治の場でも女性の参画割合がまだ低いです。まだまだ法律がいかしきれていないと思いますね」

さらに、こうした取り組みは、男性も含めてみんなが働きやすい社会につながっていくと強調した。

「目指したいのは、性別に関わらず働きやすく生きやすい社会です。女性が仕事を頑張りたいのに妊娠や出産を機に活躍の機会を失う一方で、男性が長時間労働で子育てに加われず、昇進や周りの空気を気にして育児休暇の取得に二の足を踏むケースもある。いろいろな立場の人が、うまくバランスを取り、みんなが働きやすい環境にしていきたいと考えています」

コロナ禍は弱い人の立場明確に

なお続く新型コロナウイルスの影響は、中小企業を苦しめている。
初の中小企業出身の連合会長でもある芳野さんは、現状をどう捉えているのか。

「中小企業は遅れて影響が出るので、さらに厳しさが増してきます。『コロナ禍』では、本当に弱い立場の人が明確になっています。非正規雇用の人、障害のある方、若者、外国人などにさまざまな困難が生じているし、それが複合的に混ざり合っているケースも多くある。『これだけを改善すればいい』ということではなく、もっと全体を見ていく必要があると思います」

また、働く人を取り巻く環境そのものも厳しさを増している。
不安定な非正規雇用の割合は増加傾向。さらに最近では、オンラインなどを通じて単発の仕事を請け負う「ギグワーク」という新しい働き方も広がっている。
雇用契約を結ばないことも多いとみられ、労働法制や社会保険が適用されないことから、仕事中にけがをしても労災事故として補償されないなど、厳しい状況に置かれるケースも指摘されているのだ。

「短期的な支援と長期的な環境改善の双方に取り組まなければなりません。また『ギグワーカー』へのサポートも必要です。実は少人数でも労働組合は作れるんですよ。まずはそのことの周知と、小規模で労働運動を継続するのはハードルが高いので、どう支えていけるかを考えていく必要があります」

心に響かせる

働き方を変え、弱い立場の人たちを支えていきたいという。
だが連合自体も難しい課題に直面している。その最たるものが賃上げだ。

連合は、春闘をひっぱってきた。
1990年代からは、時の総理大臣と連合会長が会談する「政労会見」が定期的に開催。賃金などの要望を直接伝え、組織の存在感や影響力を示してきた。
しかし、2012年に第2次安倍政権が発足してからは、政府が、経済界に直接賃上げを要請する「官製春闘」が定着。政労会見は開かれなくなり、連合の存在意義を問う声すらあがってきた。
労働組合の組織率低下も課題だ。厚生労働省の推計では、昭和のピーク時に50%を超えていたが、去年6月時点ではおよそ17%。低下の一途をたどっている。

芳野さんは、その原因に労働組合の役割が認知されなくなっていることをあげた。
どう向き合うのか。

「今後、連合のPRの仕方も少し変えていく必要があると思っています。ネットなどの新しいやり方も始めていますが、やはり人は心に響かないと振り向いてもらうのは、なかなか難しい。『心に響く』とは何かというと、みなさんが困っていることを、私たちがしっかり受け止めること。さまざまなチャンネルを通じて実態をしっかり把握し、それを運動に反映させるということだと思います」

声を上げ続けること

インタビューの締めくくり。これまでの経験から、大切にしていることを尋ねた。

「大事なのは、根気強く言い続けるということですね。何事も相手があることなので、そう簡単には物事って進まない。だからこそ、問題解決のためには根気強く言い続けるしかないし、連合はその支えになりたい」

ジェンダー、格差、貧困、コロナ禍など、彼女が語ったように、働く人を取り巻く課題は多岐にわたり、そして重い。
さらに連合は、傘下の労働組合によって、支援する政党が、立憲民主党と国民民主党に分かれて路線対立が鮮明となる一方、与党との関係構築を模索する動きもみられ、組織内融和の取り組みも急務となっている。

語ってくれた抱負や意気込みを、今後、どう具体的な行動に、そして形にしていくのか、早速、手腕が問われる。

政治部記者
米津 絵美
2013年入局。長野局を経て、政治部。現在は野党クラブで立憲民主党、国民民主党などを担当。