義偉、彼は何を狙うのか

「あの人の体力と精神力はどうなっているのか」
菅義偉(すが・よしひで)69歳。
タフな政治家がそろう永田町でも、驚きをもって語られる。
いまでは数少ない、たたき上げの政治家。酒もたばこもやらない姿は、まるで修行僧。一方で、中央省庁の人事権に大きな影響力を持ち、「強権的」「影の総理」との批判もつきまとう。
第2次安倍政権が発足して2000日余り、官房長官として在任期間が歴代最長となった。追いかけてきた記者として、その姿を余すところなく書こう。
(政治部 高橋佳伸)

そもそも官房長官とは

総理大臣と並び、もっとも国民の目に触れる機会が多い政治家が官房長官だ。「内閣の要」「番頭役」などと称され、大規模災害などの際の危機管理から、省庁にまたがる政策調整、それにスキャンダル対応に至るまで幅広い。1日に2回、長官会見で政府の基本方針を説明する。

また、総理大臣官邸と党とを結ぶパイプ役も担い、国会対応で定期的に幹事長や国会対策委員長らと意見を交わす。菅氏はおととし(2016年)7月7日に、自らの在任期間が森内閣と小泉内閣で官房長官を務めた福田康夫氏を抜いて在任期間が歴代1位となった。7月24日時点での在任期間は2037日だ。

2012年12月26日に就任して以来、5年半にわたり激務をこなしてきた。官房長官に就任してから1度も横浜市の自宅に泊まったことはなく、基本的に赤坂の議員宿舎で過ごしてきた。北朝鮮が繰り返し弾道ミサイルを発射していた際には、秘書官よりも早く官邸に駆け付け、記者も揃っていない段階で記者会見を行ったこともある。

(写真は2015年2月)

非公表の官房長官「動静」は

菅官房長官の日程は、ほとんど公表されない。ただ、これまでの密着取材と関係者の話から、平均的な1日の骨格を再現することはできる。「総理動静」ならぬ、「官房長官動静」を公開しよう。

5:00 起床。
主要新聞すべてに目を通し、6時のNHKニュースもチェック。読売新聞に掲載される「人生案内(読者の悩みに有識者が答える)」は必ず読むという。「じっくり1時間ぐらいかけて新聞とテレビニュースを見て、社会で何が焦点になっているかを把握する大切な時間」だと話す。

6:40 毎朝40分のウォーキング。
「唯一のリフレッシュ。健康管理はもちろん、頭をリセットして物事を整理する時間」だという。

7:30 ホテルで朝食。
情報収集のためで、相手は与野党の政治家、財界人、学者、官僚など。「さまざまな分野の人に意見を聞き、自分なりの最善の判断を見つけ出すのが目的」

9:00 官邸に入る。

10:40 午前の記者会見に向けた打ち合わせ。
秘書官のレクを受けながら頭を整理し、会見で話せる範囲をこの場で判断する。

11:00 午前の記者会見。
「何回もやっているが、毎回、緊張感がある」と話す。

12:00 昼食。
ほとんどが「そば」。5分程度で食べ終わる。

15:40 午後の会見に向けた打ち合わせ。

16:00 午後の記者会見。

18:45 官邸を出る。

19:00 有識者や政界関係者などと夕食。
「貴重な情報収集の場。会合が多いので、炭水化物はできるだけ取らないようにしている」と話す。

23:00 就寝。

こうした日程の合間に、官僚からの報告や自治体関係者からの陳情など、1日に平均20件の面会などが入り、面会者の数は1日で100人を超えるという。多くの面会をこなすために、1回の面会時間は10分から15分に制限されている。加えて必要に応じて国会の委員会や閣僚会議に出席するほか、外国要人との会合や講演会、それにテレビ出演もこなす。

休日の「動静」

休日は休まない。平日にできないことをこなすためだ。
北朝鮮が弾道ミサイルの発射や核実験を行っていた際は都内に待機していたが、米朝首脳会談以降は、9月の自民党総裁選挙も意識して、週末を利用して地方を訪れる機会も増えてきた。

今月の日曜日に限れば、1日は秋田、22日は仙台を訪れた。このほか7日は和歌山、15日は兵庫を訪問することにしていたが、こちらは西日本を中心とした豪雨災害の対応を優先してキャンセルした。

1日の秋田訪問の際は、自民党の会合に先立って生まれ故郷の湯沢市の実家を訪れて墓参り。

同級生などが主催する懇親会にも顔を出した。「2年ぶりで親父の墓参りをしてきた。いぶりがっこや納豆汁を食べたので、こんな元気な顔になった。本当にふるさとはいい。皆さんに会い、これでもう1年分のエネルギーは十分にもらった」と話していた。

記録的な回数

在任日数だけでなく、記者会見の回数も並外れている。就任以来、きのう(7月24日)までの回数は、定例会見が2254回、臨時会見が100回で、合わせて2354回。
外務省によると、アメリカやイギリスなどG7各国を含む主要国で、閣僚クラスが定例の記者会見を行っている国はないという。アメリカのホワイトハウス、国務省、ニューヨークの国連本部では1日1回の定例会見があるが、いずれも報道官が対応する。外務省関係者によると、官房長官が毎日2回、定例の記者会見を行っていることを聞いた国連事務総長の報道官は「驚きに値する」と述べたいう。菅官房長官の周辺では「ギネス世界記録に申請すべきだ」という声が出ているそうだ。

たたき上げ

菅氏は最近では数少なくなった、たたき上げの政治家だ。
昭和23年、秋田県雄勝町(現湯沢市)で、いちご農家の長男として生まれた。地元の高校を卒業した後に上京し、ダンボール工場に就職。しかし将来への展望を見いだせず、悩んだのちに大学進学を決断。アルバイトで資金を貯め、2年遅れで法政大学に進学した。
卒業後、民間企業に就職するが、政治の世界に関心を持ち、その場所で働きたいと考えるようになった。そこで大学のOBの紹介を得て、小此木彦三郎 元通商産業大臣の秘書となった。

その後、小此木氏の地元、横浜市で2期、市議会議員を務めて頭角を現し、平成8年の衆議院選挙で初当選。そして国政進出から10年で総務大臣、16年で官房長官になった。

パンケーキと携帯が好き

体質的に酒は飲めず、好物はパンケーキで大の甘党だ。

8年前のダイエットで14キロ減量して以来、今も体重をキープしている。趣味は渓流釣りとゴルフ、それに海外旅行だが、官房長官就任後は基本的に自粛している。

座右の銘は「意志あれば道あり」。梶山静六 元官房長官を政治の師と仰いでいる。

「役人の説明を鵜呑みにせず、いろんな人から話を聞いて自分で瞬時に判断する力を養え」という梶山氏の言葉を心に刻んでいるという。

携帯電話は、肌身離さず持ち歩く。

マスコミ各社の世論調査を参考に世論の動向に注意を配り、気になることがあれば「菅です。あの件だけど…」と電話で問い合わせる。秘書官などからは、突然の電話に何の件か分からず、即座に対応するのに苦労するという声が聞かれる。

365日の街頭で得たもの

秋田県出身の菅氏、知り合いもまったくいない横浜市の選挙区で支持を拡大するため、ほぼ365日で駅前で街頭演説を繰り返したという。

私が12年前に政治記者になり、初めて菅氏にあいさつした場所も、早朝の街頭演説を終えた後の駅前だった。街頭演説を行っても共感が得られなければ意味がない。
菅氏が思い入れがある政策には、そういう場所で培った感覚が反映されているという。
「ふるさと納税」は菅氏が総務大臣時代に主導した政策だ。「自分のふるさとを大事にしたい」「思い入れのある土地に貢献したい」こうした発想からヒントを得たという。

「皇居・迎賓館の一般公開」「古民家活用の推進」「ジビエの利用拡大」これらも外国人観光客の増加や地方創生を図るため、菅官房長官が推進したものだ。
変わり種は「栄典制度見直し」。叙勲や褒章の対象者に、自治会など地域で功績をあげた人や、保育士、介護職員などの民間人、それに日本で活躍している外国人への授与数を増やすことを決めた。

冷徹なるリアリスト

一方、民意とは相いれないとも言える政策を推し進める一面も兼ね備えている。
その代表例が、沖縄県のアメリカ軍普天間基地の移設計画だ。

沖縄では根強い反対論があり、移設計画に反対を掲げた翁長知事もおよそ4年前に当選した。

しかし、その直後の記者会見でも、菅氏は微動だにしなかった。

移設計画を白紙に戻せば、長らく日米両政府間でトゲとなってきた問題が漂流しかねず、批判を受けても、長い目で見て基地の返還が進めば、県民の利益につながるはずだという判断からだと見られる。

また以前、選挙区で対立した公明党や支持母体・創価学会とは、今では太いパイプを築いている。解散戦略や消費税をめぐる判断など、局面局面で公明党の意向も重視することで政権の安定を図っている。

さらに派閥政治を否定しながら、自民党内の中堅・若手議員との勉強会などを複数、定期的に開催している。自民党内で75人、18%を占める無派閥議員などへの影響力を強め、9月の自民党総裁選挙に向けて安倍総理大臣の再選に布石を打っている。現実の政治を動かそうとする冷徹なリアリストとも言える。

主従を崩さず

菅氏は安倍総理大臣の6歳年上だ。しかし総理執務室に入る際は「失礼します」と必ずあいさつするそうだ。
また安倍総理大臣が親しみを込めて「すがちゃん」と呼ぶのに対し、菅氏は、どんなときも「総理」と呼びかけ、主従関係を崩すことは絶対にないという。

しかし、閣僚人事や重大局面では「こうすべきだ」と自分の考えを強く押し出すという。
菅氏は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉に仕え、ナンバー2に徹した弟、豊臣秀長の生き方を参考にしているという。

私も菅氏の支援者から「菅氏は若い頃から、将来は幹事長か官房長官をやりたいと言っていた」という話しを聞いたことがある。ナンバー2に徹する姿勢で、信頼関係が築けているのだろう。

「首相案件」ならぬ「菅案件」

「最強の官房長官」「影の総理」とも言われる菅氏の政治手法には「強権的」「威圧的」との批判もつきまとう。各省庁が作成した人事案を覆し、年功序列を原則とする霞が関の慣例を壊すことがたびたびあるというのだ。こうした菅氏の振る舞いを目の当たりにする官僚からは「菅人事」「菅案件」などと揶揄される。政治の世界で抑制的に使われるべきだとされる人事権を行使しすぎだというのだ。

長官会見でも、「全く問題ない」「批判は当たらない」といった断定的な発言が批判されることがある。加計学園の獣医学部新設をめぐっては、新聞社が報じた文書を「怪文書のような文書」と指摘したことで批判を浴び、各種の世論調査で内閣支持率が下落した一因とも指摘された。

10人の官房長官に仕えた石原氏、どう見る

官房長官の補佐役の官房副長官として、竹下内閣から村山内閣まで10人の官房長官に仕えた石原信雄 元官房副長官(91)。こうした菅氏の政治手法をどう見るか。

「官房長官は総理を支えることが1番大きな仕事。まさに女房役ですから。安倍さんと菅さんは性格的にも、生まれも育ちも違うが、その違いを生かしながら官房長官が安倍内閣を支えているように見受けられる。官房長官としては、高い点数が与えられるのではないか」
「かつての内閣と今の内閣では人事面で大きく違う。私が官房副長官をしていた頃の内閣は人事権は完全に各省が持っていた。官邸は幹部人事の報告は受けるが、直接どうこう言う権限はなかった。今は官邸が法律的にも、各省の人事について大変強い立場に立ち、実質的な人事権が官邸に移ったという面がある」

菅氏が、人事権を行使することに強権的との批判があることについては。

「私は敢えて批判はしない。ただ官邸が強大な人事権を掌握したことは事実だ。官邸が伝家の宝刀を持ったということだ。伝家の宝刀というのは抜かなくても威力がある。だから、たびたび抜いてはいけないものだ。その辺の認識は官邸もお持ちではないかと思う」

石原氏は自身の経験も踏まえてこうも指摘した。

「私自身の経験から申すと、各省の役人の中には、官邸と接触する機会の多い職員がいる一方で、直接、官邸とは接触する機会はないがコツコツと仕事をしている職員もいる。そういう人たちが浮かばれないということにならないようにして欲しい。基本的には、各省庁の大臣が任命権を持っているわけですから、各大臣の意見をできるだけ尊重して欲しい」

菅氏、どう答えるのか

こうした指摘をどう受け止めるのか。最後に、菅氏本人にインタビューを行った。

省庁の幹部人事を掌握し、霞が関ににらみを利かせる手法には強権的だという指摘もあるが。
「基本的に政府が何をするかということを私ども明確に打ち出している。ですから、それに向かって動いてくれる人というのは評価する。だけど従来型の『今までこうだったからこうだ』とか、そういう人はダメだと思う。意外に『今までの路線が正しい』みたいなのがいますよ。そういう人は評価しない。それは明快だ」

今国会では、政治への忖度が問題となったが、望ましい政と官のあり方をどう考えるのか。
「基本的に方向性は政治が決める。方向性に基づいて官には、まさに明治から培ってきたいろんな仕組みなどを蓄積しているから、そこをうまく活用したら非常にうまくいくと思う。ただ壁を破るのは政治だ」

「具体的に言うと、赤坂と京都の迎賓館を一般に開放した。最初に赤坂の迎賓館に入ったのは総務大臣の時だった。当選4回で。それまで私は入れなかった。初めて行って、こんなにすばらしいのが日本にあるんだと、入って初めて思った。それを私は、両親にも国民にも見せてやりたいと思ったが全然歯が立たなかった。これは賓客、国賓の接遇の場所だからと。だけど実際に使うのは1年間でせいぜい5か国ぐらいですから。それ以外は全部空いていて、その間、職員がいるわけですから」

「官房長官になって、私の所管だったから、すぐに一般公開をやったが、やるにあたって、できない理由がものすごかった。(役所は)できないことばかり言うわけだから。一冊本が書けるぐらいですよ。それはすごいですよ。いろんな人を使ったり」

政治学者の御厨さんが「菅さんは息子が東大なんで、東大出身の官僚に対するコンプレックスがまったくない」という話をしていた。
「そういうコンプレックスはない。ただ横浜市会議員になって感じたのが、(先輩議員が)ものすごく遠い存在、すごい人ばかりだと思ったけど、意外に自分で物事を考えて決められる人は多くなかった。国会に出てきても同じだ」

決められない政治に批判がある中で、政権交代を成し遂げ、決める政治を標榜してきたが、今、強引だという批判がある。そういう世論の変化をどう受け止めるか。
「今、進めていること、そんなに早いとは思っていない。今まで10年も20年も議論して先送りしてきたものを今、やっているということだ。
特定秘密保護法も絶対に必要だったし、平和安全法制、これだって必要だったし、それとテロ等準備罪、これは10年以上前から言われてきているヤツですから」

「例えば特定秘密保護法は『オスプレイをスマホで撮って送ったら逮捕される』とか言われていた。平和安全法制がないと、本当に北朝鮮のミサイルには、アメリカの協力が得ることができたか。それは難しかったと思う。ですから私どもとすれば、掲げたことを1つ1つ成立させていきたい。しかし、それが強引だと思われているということであれば、そこは色々な意見によく耳を傾けていくことですよね。ただ国会で成立しないとダメなわけですから、民主的に手続きをとってやるわけですから。
そういう意味で、やはりマスコミ対策も必要なんですかね。なかなか難しいですけど」

長官が総理を目指すべきだという声もあるが。

「それはない。自分のことを1番よく知っていますから。政治はいろんな人の組み合わせでできていくと思う」

彼はどこに行くのか

菅氏は自らの今後について多くを語らないため、永田町では「ポスト安倍」「幹事長狙い」などの風聞が流れる。しかし、安倍氏と菅氏の信頼関係は、第1次安倍政権が終わった後、ともにどん底から這い上がる過程で、より強固なものになり今に至っている。菅氏は、自らが再起を促した安倍氏を支えるため、幹事長よりも総理大臣との一体感が強い官房長官として最後まで支えるはずだ。安倍政権が続く限り、官房長官続投とみた。

政治部記者
高橋 佳伸
平成12年入局。秋田局を経て政治部に。以来12年間自民党を担当。現在、官邸クラブで菅官房長官番6年目。