理番には、何が見えたか

被災地に入った総理番。追うのはもちろん、安倍総理。
岡山県から愛媛県、彼らはリレーで追ってゆく。
そしてそこで何を見たのか。三者三様?それとも…
(政治部「総理番」 並木幸一、佐久間慶介、山田康博)

1番手 並木記者「混乱」

7月7日(土)

「岡山県内の被害が大きい。取材応援に向かってくれ」
そう上司から指示を受けた。当初、新幹線で向かおうとしたが、豪雨の影響で新大阪駅より西への運転を見合わせていたため、急きょ空路で岡山県入りした。

大きな災害の時、総理が被災地を訪問するので、総理番はそれに同行して取材する。今回もその役割があるかも知れないと思ったが、そうではなかった。まだ、総理は東京で対応中だ。
岡山県の災害対策本部に向かい、県全体の死者数や行方不明者数の取りまとめを担当した。

午後4時ごろ、県庁2階に設けられた災害対策本部に初めて入った時は、自衛隊や他県の消防隊、内閣府防災担当の職員ら100人以上が狭いスペースにひしめきあい、さらに続々と人が集まってきている状態だった。
部屋の中に複数あるホワイトボードには、人的被害の詳細や自治体ごとのライフラインの状況が書きなぐられ、びっしりと文字が並んでいた。電話は鳴り止まず、情報は錯綜。被災者の安否やライフラインの情報がなかなか入らない状況に、怒号が飛び交う場面も見られた。

浸水や土砂崩れが広い範囲にわたっていることから、死者や行方不明者は相当数に及ぶ可能性があると話す県の職員もいたものの、状況はなかなかつかめなかった。

深刻だったのは、倉敷市の真備町。警察などから送られてくる映像で、浸水が進んでいる状況は確認できるものの、救助にあたる消防や自衛隊さえ現場に近づけない。地元自治体ですら被害がわからない状態が続いた。

「真備町が…」

7月8日(日)

災害対策本部にいるだけでは、詳しい被害の状況は分からない。
この日の午前、真備町を管轄する玉島警察署の副署長に電話をかけた。
「真備町の浸水現場で男女5人の遺体が見つかった。自衛隊や警察が捜索に出ているが、今も報告が次々に上がってきている。私の感覚でしか言えないが、死者数は十数人を超える」

真備町の人的被害は、甚大だ。それが、確信に変わった瞬間だった。
その後、県の発表でも死者数は増加の一途をたどり、死者数が増えるたびに速報原稿を書き続けた。

『浸水は広い範囲に及んでいるため(中略)各自治体の把握が進むのにともなって被害はさらに大きくなるおそれがあります』

被害をまとめる原稿を書くたびに、この一文を付けざるを得なかった。

「晴れの国」の災害

7月9日(月)

総理より前に、小此木防災担当大臣を団長とする政府調査団が岡山県に派遣された。

県庁で伊原木知事が小此木大臣に要望書を手渡した。
「岡山県にとって過去に前例がない災害になった。インフラや工場、農業関係など、あらゆるものを再建しなければいけないが、岡山県はこれまでそういったことが比較的少なかっただけにノウハウなどで支障があることが予想される」

岡山県は、北の中国山地と南の四国山地が季節風や雨雲を阻むことなどから、年間を通じて温暖で雨が少ない「晴れの国」として知られてきた。それだけに、災害に対処した経験や復旧・復興に向けたノウハウが少ない。知事はそれを率直に述べたのだと思う。

こうした自治体にこそ、これまで巨大災害を経験し、積み上げてきた対処のためのノウハウが用いられるべきだ。国による財政的な措置だけでなく、そうした面での専門家による支援が必要とされているのではないだろうか。

2番手 佐久間記者「負のスパイラル」

7月11日(水)

安倍総理大臣は、今回の豪雨災害の最初の視察先として岡山県を訪れた。「総理番」の私も同行し、取材にあたった。

総理は自衛隊機で岡山県内に入り、車で移動した。私たち内閣記者会の記者は、専用のバスに乗って車列の一部に加わった。
風光明媚な岡山県。車窓からは、青々とした中国山地の山々と、整然と稲が並ぶ水田という穏やかな風景を望むことができた。
だがそれは、倉敷市真備町に入ると、一変した。
家々も、田んぼも、目に入るものすべてが茶色の泥まみれ。その中で、被災した人たちが額に大粒の汗を流しながら、必死に片づけをしていた。

安倍総理大臣が視察に訪れたのは、200人余りが避難している小学校の体育館。

ここは冷房が効いていて、少し涼しく感じられた。この冷房、政府が地元からの要請を待たず支援物資を送る「プッシュ型支援」で、急きょ設置されたという。

被災者の体調を維持し、災害関連死を減らすことができれば、災害初期には有効な手段だろう。ただ、9日に菅官房長官が会見で明らかにしたところでは、真備町の避難所にエアコンなど45台を配送したとのことなので、全ての避難所に行き渡っているわけではない。

私はNHKに入局して最初の5年間、福島放送局で原発事故の被災地を取材してきた。
生活環境が悪化する。それで住民が移住する。住民の減少で商店などが閉鎖する。それによって、さらに生活環境が悪化するーーそういう「負のスパイラル」に苦しむ様子を間近に見てきた。

原発事故と豪雨災害とでは性質は違うが、住宅や生活インフラが破壊されたという意味では共通している。
すぐに全てを元に戻すのは、無理な話だ。しかし、「負のスパイラル」に陥らせないためにも、国や地方自治体が現場のニーズを正確に把握し、息の長い支援を続けていく必要がある。

視察した避難所で、1人のお年寄りの男性が安倍総理大臣に対し、「体が元気になったらこれから水害があった所を直していく」と話していた。
総理を追うだけの総理番でなく、被災地の今後と、国に何ができるかを追う、それが私の役目だと改めて肝に銘じた。

3番手 山田記者「終災はない」

7月13日(金)

愛媛県に視察に向かった安倍総理大臣。「総理番」の同行取材をバトンタッチして私が担当した。

松山市から乗ったバスは2時間ほどかけて、被害が大きかった西予市、大洲市、宇和島市のある南の方向に走っていった。

最初の目的地は西予市。
炎天下、マスクをし、大きなスコップで住宅に入った泥をかきだしている人がいた。
土砂が建物全体にこびりついた、誰もいない美容室が見えた。
尋常な災害ではない。一変した街並みを見て、慌てて取材ノートを取り出した。様子を書きなぐっていった。

思い出したのは、「特別警報」が初めて発表された平成25年9月の台風だ。
私は入局2年目に、京都放送局でその大雨の取材をした。観光地の飲食店や寺社、それに多くの住宅地が水につかり、発生から1週間が経っても、片付けに追われる人たちが大勢いた。
「亡くなった夫の形見の着物などすべてを失いました」と話しながら、住宅の床をはがしていた女性がいた。今も、その表情は頭を離れない。
「特別警報」が発表されるとは、こんなに恐ろしいことなのか。当時そう思ったが、今回の豪雨災害はさらに想像を絶するものだ。

安倍総理大臣が訪れたのは、西予市の野村町。河川の氾濫で多くの住宅が浸水し5人が犠牲となり、断水が続いていた。

土砂が流れ込んだ住宅地を歩いて回り、椅子や玄関の扉など使えなくなった物の後片づけに追われる住民や消防団の人たちに、「暑いので体に気をつけて下さい」などと声をかけた。

その後、陸上自衛隊が前日から行っていた給水活動を視察。陸上自衛隊によると、活動を始めた初日は、およそ500人が利用し、1万リットルの水を配ったという。

このあと、宇和島市の避難所となっている吉田公民館を訪れ、陸上自衛隊が行っている入浴支援活動を視察した。避難所では見慣れない「男」と「女」と書かれた看板。男湯と女湯のテントがそれぞれ設置されていた。前日には120人余りが利用したという。

「生の情報に基づいて被災地のニーズを先取りし、事務方トップとしてスピーディーに判断し、対策を実行に移す」ーーこれは視察の前に開かれた、政府の「被災者生活支援チーム」の初会合で安倍総理大臣が述べた言葉だ。地元自治体は、様々な災害対応に追われ、自分たちではどうにもできない部分がある。刻々と変化するニーズをくみ取って、対応していけるか。これからこそが、政府の支援の正念場だと思う。

「発災」はあっても「終災」はない。

 

 

政治部記者
並木 幸一
平成23年入局。山口局から政治部へ。現在、総理番と復興庁を担当。趣味は、ミュージカル・プロレス鑑賞。
政治部記者
佐久間 慶介
平成24年入局。福島局から政治部へ。現在、官邸クラブ総理番。ゴルフ、スキーが趣味。
政治部記者
山田 康博
平成24年入局。京都局から政治部へ。現在、総理番。小此木国家公安委員長を担当。