大逆風と言われたが
都民ファーストそれぞれの戦い

「勝者なき選挙」と言われた東京都議選。都民ファーストの会は、議席を減らしたものの、自民党と最後まで第1党争いを演じ、苦戦の予想を覆した。

都知事の小池百合子代表を前面に押し出し、旋風を巻き起こした前回の選挙から4年。

さまざまな経歴を持つ候補者たちは、選挙戦をいかに戦ったのか。その群像を追った。

(桜田 拓弥)

小池の微風が吹いてきた

告示2日前の朝。私は、練馬区(定員7)に駆けつけた。
前夜、小池が過度の疲労を理由に入院したとのニュースが大きく報じられていた。

駅前で、現職の尾島紘平(32)が通勤途中のサラリーマンらに頭を下げて、挨拶活動をしていた。
練馬区は、小池が衆議院議員だった時の地元で、尾島自身も秘書として2年半、その後も区議、都議として地盤を固めていた。

都民ファーストの会の特別顧問を務める小池の入院が選挙戦にどんな影響を与えると思うか。尾島に尋ねた。

「ネットの反応を見ていたら、同情の声が圧倒的だった。前回ほどではないですが、微風が吹く可能性がある。自分たちの選挙にとってはマイナスにはならないと思います」

選挙戦中盤、情勢の変化を探るために再び尾島のもとを訪れると手応えを語ってくれた。

「有権者の反応は思っていたよりいいですよ。特に年配の女性。『頑張って小池さんを支えてあげてね』って言われる。自分もきつねにつままれたような感じです。
ちまたでは都民ファ惨敗と言われているけど、意外としぶとく残るかもしれない」

そして、こんな予言を口にした。
「今の状態で最終盤に小池さんが出てきたら“チェックメート”ですよ」

小池には頼らない

今回から定員が1減り7となった大田区。
15人が立候補し、激戦を繰り広げていたのは2期目を目指す現職の森愛(44)だ。
森は、民主党の区議会議員を3期務めた後、前回の都議選では、都民ファーストの会から立候補して初当選していた。

街頭演説を聞いていると、ある特徴に気づいた。小池に言及することがほとんどないのだ。

本人にその意図を尋ねてみた。

「もともと私が民主党だったということもあって、支持してくれる人の中には必ずしも小池さんを全面的に評価しているわけではない人もいる。選挙ビラに小池さんが写っていないのは私くらいじゃないですか?」

しかし、森は、党の存在そのものが有権者に認知されていないと危機感を強めていた。
「衆院選の前哨戦という形で語られてしまうと、どうしても埋没してしまう。街頭でも都民ファーストの会ってまだあったの?なんて言われてしまって」

4年前のような風が期待できない中、森が頼りにしたのが区議時代から苦楽をともにしてきた選挙スタッフたちだ。

「国政政党と違って私たちには政党助成金もないから、今回の選挙でも事務所は設けていないんです。それでもこうやってなじみのスタッフたちが集まってきてくれる。厳しい戦いですけど、みんなの思いも背負って戦い抜きます」

出るべきか、退くべきか

「実は今回立候補するかどうか、悩んでいたんです」

選挙期間中にそんなことを打ち明けてくれたのは、武蔵野市(定員1)の鈴木邦和(32)だ。

党の1次公認申請の締め切りだった去年10月、一度は申請を出すことを見送ったという。

東大在学中、有権者に政治に関する情報を発信するサイトを立ち上げたことなどが評価され、アメリカの経済誌・フォーブスで「アジアを代表する若者」の1人に選ばれたこともある鈴木。

小池が掲げた東京大改革に共感し、前回、小池の政治塾「希望の塾」出身者として立候補した。

市長を22年、衆議院議員を3期務めた自民党の土屋正忠と元総理大臣の立憲民主党の菅直人が長年にわたって熾烈な争いを繰り広げ、「土菅(どかん)戦争」と呼ばれるほど激しい戦いを見せてきた武蔵野市。
鈴木は両勢力の間に割って入り、初挑戦で議席を獲得した。

「本来なら、自民でも民主でもない自分が勝てるはずがないんです。でも4年前は小池さんのパワーで当選できた。そういう意味では小池知事には感謝していますよ」

鈴木はなぜ、立候補を見送ろうとしたのか。

「当選して以降、『あいつは地元に顔を出さない』といろいろな人から言われました。4年前僕に託された期待は、都政をよくして欲しいということであって、地元のお祭りに出るためじゃない。都議会で自分が正しいと信じる政策を実現するためにこの道を志したはずなのに、自分の理想の政治家像と地元の有権者に求められることとに大きなギャップがあるなと思ったし、期待されていた東京大改革までたどり着けなかった。議員としてできることの限界を感じたんですよね」

史上最年少!? 18歳の選対事務局長

そんな鈴木を翻意させたのは、当時まだ17歳の高校3年生、川上大和だった。

川上は、中学生だった2016年の都知事選で聞いた小池の演説がきっかけとなり、各地の街頭演説を自転車で回り、地元の市議会や都議会に足しげく通って、議事録も読み込んでいるという。
さまざまな議員が都議会で質問に立つ姿を何度も傍聴してきた川上は、鈴木の話しぶりや、彼が提案する行政手続きのデジタル化、満員電車の混雑緩和対策といった政策の具体性に“惚れ込んだ”と話す。

「絶対都政に欠かせない人だと強く思いました」

次第に鈴木と話をするようになっていた川上は、去年の夏頃に鈴木の雰囲気から異変を察知したという。

“もしかしたら鈴木さん、次の選挙に出ないんじゃないか”

そして去年10月、鈴木が公認申請を出さなかったと聞いた川上は直接、こう迫った。

「来年、僕は18歳になって初めて投票に行ける。僕が初めて手にする投票用紙に“鈴木邦和”って書かせてください」

鈴木が振り返る。
「都議会での仕事が一般の人たちには全然見えないと思っていた中で、『鈴木さんが必要だ』と言ってくれて。しかも高校生からですよ。それでゴメンっていうのは政治家として以前に、大人としてどうなのかなと。大和のひと言は、強烈に胸に刺さりましたね」

悩んだ末、再び立候補することを決めた鈴木。選挙戦の中核となる選対事務局長に据えたのは、ことしの春高校を卒業し、浪人生となっていた川上大和だった。

「小池さんとの2連ポスターものぼり旗も全部大和が作ってくれたんです。しかも全部公職選挙法に抵触せず、完璧にできている。これはただ者じゃないなと。選対の経験がなくても、自分で全部調べて進めていく力がある。何より一番情熱を持った人を中心に置くべきだと思ったんです。今回の選挙は大和がいないともう全然回らないですよ。全国で史上最年少の選対事務局長じゃないですか?」

選挙戦の9日間、時には川上がマイクを握り、鈴木を応援する。

「鈴木邦和、この4年間、公約の実現のために誰よりも真面目に、誰よりも真剣に働いてきました。小池知事のいいなり、子分ではありません。しっかり知事に対し、いいものはいい、悪いものは悪いとしっかり進言できる議員、それが鈴木邦和なんです」

鈴木みずからも小池都政に足りない部分があると主張した。

「満員電車の混雑解消は小池知事が訴える2階建て車両の導入などではできません。鉄道の時間帯別料金、ピーク時は料金を高くする。海外では実績があります。知事を超える政策を提案する、それが私たちの仕事です」

議席を争う自民党や立憲民主党が国会議員を次々と投入する中、二人三脚の選挙戦が続いた。

新たな4年は?

感染拡大、梅雨まっただ中で行われた今回の都議選。
開票の結果、尾島は14人中4位、森は15人中6位で議席を死守した。一方、1人区で戦った鈴木は自民党候補を上回ったものの、次点での落選となった。

2期目を迎えることになった練馬区の尾島は、今回の結果をこう振り返った。

「勝者なき選挙だったと言われるけど、実質的には都民ファーストの勝ちですよ。いつまでも“小池さん頼み”だとちゃんとした地域政党になれないとずっと言ってきましたが、今回当選したのは“小池不在の中で勝った人たち”です。これまでとは違う存在感を示せるようになる」

落選した武蔵野市の鈴木は、開口一番、「やっぱり負けると悔しいですね」と話しながらもどこか吹っ切れた表情で取材に応じてくれた。

「小池知事とは完全に同じ感覚だったわけではありません。例えばコロナ対策は、知事は政治的な感覚としてわかりやすいことばの方が届くと思って発信をする。でも僕ならきちんと科学に基づく根拠が欲しいのでああいう発信はしない。政治に対するスタンスの違いはあります。ただ政策的判断という意味では、知事は必要だと思ったら自分の提案にきちんと耳を傾けてくれる。次の時代に必要なものを見極める直感力という意味では並みの政治家ではないと思います」

これからの都民ファーストの会に期待することを尋ねた。

「知事のチェック機能や監視役という役割で言えば、都民ファーストの会はまだ持てていないと言われても仕方ないと思います。ただ、議員個人を見れば、デジタルに強い議員、ダウン症の子どもがいる議員など、行政にはない視点で専門的な政策提案ができる人がいて、今回の選挙で勝ち残れた人も多くいる。みんなには政策の実現に向けて前に進めていってほしい」

古い政治との決別を訴えて結党された都民ファーストの会だが、この4年間、小池のイメージに変わる特徴を打ち出せたとは言い難い。

小池の看板で選挙を勝ち抜くための寄せ集め集団か、多様性を体現する個性派集団か。

小池からの自立が問われる2期目が始まる。

(文中敬称略)

 

選挙プロジェクト記者
桜田 拓弥
2012年入局。佐賀局、福島局を経て選挙プロジェクト。今回の都議選は3か月の息子と投票に行きました。