「差別は許されない」はダメ?
LGBT法案に揺れた自民党

「差別は許されない」
LGBTと呼ばれる性的マイノリティーの人たちへの理解を促進するための法案は、この一言が書き加えられたことで自民党内の意見がまとまらず、国会への提出が見送られた。
性的指向を含むあらゆる差別を否定する五輪憲章を踏まえ、東京オリンピック・パラリンピック前の成立が目されていた。
各党の賛同も得ていたにもかかわらず、なぜ実現に至らなかったのか。
(古垣弘人、中村大祐)

与野党合意の法案が…

国会の会期末を半月後に控えた6月上旬。
東京・永田町ではLGBTの人たちを支援する団体メンバーが訴えていた。

「命に関わる法案だ」「来年まで待てない」「今国会での成立を」

その声は、法案を通常国会には提出しない方針を決めた自民党に向けられていた。

みずからもトランスジェンダーで、団体の杉山文野代表は、性的マイノリティーへの差別をなくすための法整備が進まないのは問題だと言う。

「特に子どもたちは、今も日々差別に苦しみ自殺を考えることもある。まさに命に関わる法案で、来年まで待てる状況では無い」

法案には、LGBTの人たちへの理解を促進するため、政府が基本計画を策定することや、自治体や学校による知識の普及を図ること、それに相談体制を整備することなど具体的な取り組みが盛り込まれていた。

「せっかく与野党で合意できたのに、非常にもったいない」
自民党の稲田朋美は、立憲民主党など各党の実務者との間で法案を取りまとめた経緯を振り返り、思わず唇をかんだ。

“マイノリティーの人権を守りたい”

稲田は保守色が強い政治家として知られてきた。
その稲田が、リベラル色の濃いLGBTの課題に取り組むきっかけとなったのは、2015年に党の政務調査会長として行ったアメリカでの講演だった。
息子の友人に当事者がいた個人的な経験もあり、LGBTの人たちの悩みに政治が向き合う必要があるのではないかとの見解を示したところ、反響があったという。

「『自分は保守政治家だけれどもマイノリティーの人たちの人権にも取り組みたい』ということを話した。それで反響があって、その後当事者の方などから『ぜひ取り組んで欲しい』という見解も寄せられた。イデオロギーの右と左とかの問題じゃなくて、人権を守るということで自民党として取り組みたいと思った」。

翌年には、党内に「性的指向・性自認に関する特命委員会」を設け、LGBTの人たちを支援するための法案の概要をまとめた。
しかし、伝統的な価値観を重視する党内の保守派の理解を得るのに時間がかかり、政府の担当部署も決まらず、提出に向けたプロセスに入ることができなかった。

“東京五輪・パラ前に着目”

稲田が再び動き始めたのは、去年の秋。法案を検討する党の特命委員会の委員長に就任していた。

日本の取り組みは、国際的に後れをとっていた。
性的マイノリティーへの差別をなくすための法整備の状況について、2019年にOECD=経済協力開発機構が35の国を対象に調べたところ、日本は下から2番目の34位となっていた。
党の特命委員会には、差別を禁止する法律の制定を求める10万人分以上の署名が国内外から届いていた。

こうした中、稲田は東京オリンピック・パラリンピックに着目した。
五輪憲章は性的指向を含むあらゆる差別を否定し、東京大会は「多様性と調和」を理念に掲げている。
党内外の理解を得て法整備を実現するには、絶好の機会だという読みがあった。

ことしの通常国会での成立を目指し、4月には改めて法案の概要をまとめた。

自民「理解増進」vs野党「差別解消」

法案の国会提出では、野党側が先んじていた。

2016年に当時の民進党など野党4党は、LGBTの人たちへの差別を解消するための基本方針の策定などを義務づける法案を共同で提出。
2018年には立憲民主党など野党6党派が同様の法案を提出している。

稲田は、議員立法として提出する以上、できるだけ多くの党から賛同を得たいとして、LGBTの課題を考える超党派の議員連盟などを通じて野党側との協議を進めた。

ただ、野党側の法案は「差別の解消」を目的としていた。このため野党側は、みずからの性別をどのように認識しているかという「性自認」を理由とした差別を禁止する規定を設けるよう強く求めた。

一方、自民党がまとめた法案の概要は、あくまでLGBTの人たちへの「理解増進」を目的としていた。
党内には「何が差別にあたるのか、定義もあいまいな中で禁止規定を設ければ、逆にLGBT以外の人の人権を阻害する恐れがある」などという意見が根強くあった。

協議は難航し、4月中に結論を出すという目標はかなわなかった。

超党派で合意 ヒントは憲法に

事態を打開するすべはないか。
稲田は野党側も受け入れが可能な代替案に考えをめぐらせた。

「これならいけるかもしれない」

ヒントとなったのは、憲法14条の「法の下の平等」だった。
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

この条文の趣旨を基本認識として、法案の目的などに盛り込むことができないか。
稲田は、改めて野党側の実務者と詰めの協議に臨んだ。

そして5月14日。
およそ1か月に及んだ交渉の結果「性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下」という文言を加えることで、各党の実務者が合意した。

それぞれ党内の手続きを進め、6月の通常国会会期末までに成立を目指すこととなった。
自民党内の手続きが済めば法案を提出できる…。そのはずだった。

自民 賛否で紛糾の事態に

5月20日に始まった自民党内での議論は、稲田の予想に反して紛糾した。

「差別に苦しんで自殺する人もいる」
「多様性を認める社会づくりを急ぐべきだ」
法案の提出に賛同する議員は少なくなかった。

一方「差別は許されない」という文言に強い懸念を示す意見が相次いだ。

「行き過ぎた運動や訴訟につながるのではないか」
「自分は女性だと主張する男性が、女湯に入ることを要求するようなケースが生じかねない」

「禁止規定にすると問題が」

懸念を示した1人、党の政務調査会長代理の西田昌司はこう指摘する。

「みんなが互いを理解しあって寛容な社会を作っていこうという方向性が自民党の元々の案だ。そこに『差別は許されない』という1文が入ると、法律の目指すところが『寛容な社会』とは意味がちょっと変わってくる。ある意味で、事実上の禁止規定になってくるから、さまざまな問題点が出てくるのではないか」

西田はことし5月のある裁判の判決を念頭に置く。性同一性障害の経済産業省の職員が職場の女性トイレの使用が制限されているのは不当な差別だと国を訴えた裁判で、2審の東京高等裁判所が1審とは逆にトイレの使用の制限は違法ではないと言い渡した判決だ。

さらにLGBTの人たちの権利をめぐっては、世界的にも議論がある。
アメリカでは、男性の身体的特徴を持つものの、心と体の性が一致しない「トランスジェンダー」の選手が、女性を対象としたスポーツ競技に参加して上位に入っているのは不公平だとして、去年、出場の禁止を求める訴訟も起きている。

西田は、今回の法案の内容のまま成立させれば、急激な社会変化と混乱を招き、かえってLGBTの人たちを受け入れられない事態につながるのではないかと警鐘を鳴らす。

「LGBTの人も、そうでない人も、互いの違いを認めて、寛容な精神で受け入れるというバランスが大事だ。『こうでなければならない』という形で書いてしまうと、社会一般的には受け入れられない人のほうが多くなる。推進派の人は、法律を作ることに重点を置いてしまって、社会全体にもたらす影響というのが見えなくなっているんじゃないか」

一方、稲田は、差別を理由とした訴訟が増えるなどという見方に反論する。

「訴訟が増えることはないと思う。法案に差別の禁止条項は1つも入っておらず、裁判の根拠にはならない。男性なのに女性と偽って女湯に入ってくることを受忍しろなどとは、どこにも書いていない。むしろガイドラインなどができることにつながり、そういうことをする人が減りはしても増えることは絶対ない」

4日間の党内議論の末に…

稲田が短期間で了承を得られると踏んでいた自民党内での議論は、4日間であわせて8時間を超えた。しかし、意見集約には至らなかった。

5月28日の総務会で、法案の取り扱いは幹事長ら党3役に一任することになり、会期末が迫る中、結局、提出は見送られることが決まった。

稲田はLGBTの人たちの権利を守る責務を果たさねばならないと強調する。
「保守というのは多様性に寛容であるべきで、偏狭な保守からは何も生まれない。傷ついて困っている人たちをどうしたら救えるかという視点を忘れた議論に終始するのはよくない。少数者、性的マイノリティーの皆さんの権利を守るというのも、保守政党である自民党の責任だ」

一方の西田は、次の国会以降で冷静に議論を進めるべきだと主張する。


「LGBTの人たちの中には、この法案を望んでおられる方ももちろんいるだろう。一方で『いらない』という方がいるのも事実で、もう少し冷静に、深く広く、掘り下げて考えるべきだ。LGBTの方の人権を守ろうという考えには皆、賛同している。元々の案で時間をかけて国会審議をすれば野党だって乗る。そういうやり方をすればいい」

衆議院選挙の論点にも?

与野党の実務者で合意した法案が、自民党内の事情で頓挫したことに野党側は批判を強めている。

2019年の参議院選挙で自民党が掲げた政策集にはこう明記されている。
「性的指向・性自認に関する広く正しい理解の増進を目的とした議員立法の速やかな制定を実現する」

自民党内には「党内の根回しや十分な議論を経ないまま、野党側と話を進めた稲田さんたちのやり方が混乱を招いてしまった」などと恨み節を唱える議員も少なくない。
ベテラン議員の1人は「自民党の支持基盤である保守層の票を失うとともに、野党の批判も受けて無党派層の票も目減りする結果につながるかもしれない。衆議院選挙を前に何も得をすることはなかった」と嘆く。

LGBTの人たちを含め、多様性を認める社会の実現については論を待たない。
与野党を問わず政治に問われているのは、それをいかに実現させるかだ。
次の衆議院選挙でも論点となることが予想される中、各党がどのように実現に向けた道筋を描くのか、注目していきたい。
(文中敬称略)

政治部記者
古垣 弘人
2010年入局。京都局を経て2015年に政治部へ。2018年秋から、自民党の細田派担当に。
政治部記者
中村 大祐
2006年入局。奈良局、福岡局を経て政治部。2020年までの3年間スポーツニュース部に在籍。現在は参議院自民党担当。