Go Toトラベル突然停止
“政治決断”の舞台裏

新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからない。だが、厳しい状況が続く経済を止めるわけにはいかない。感染防止と経済の両立を掲げる菅総理大臣は、その「肝いり」ともいわれる「Go Toトラベル」を全国一斉に一時停止することを突如表明した。その“政治決断”の背景には何があったのか、舞台裏に迫った。
(瀧川学)

突然の方針転換に驚き

12月14日夕方、総理大臣官邸で対策本部が開かれた。
「今月28日から来月11日までの措置として、『Go Toトラベル』を全国一斉に一時停止することとする」


淡々とした口調で総理大臣の菅義偉は「Go Toトラベル」の全国一斉の一時停止を表明した。事業の継続を重視し、これまでは、感染拡大地域に限定した見直しを重ねてきただけに、突然の方針転換に関係者の間には驚きが広がった。

経済との両立目指して

「Go Toトラベル」は新型コロナウイルスの影響で大きく落ち込んだ観光需要を喚起する事業で、感染拡大の防止と経済の両立を図るため菅が官房長官の当時から強い思い入れを持って推進してきたとされている。

7月22日にスタートした当初は、感染が拡大していた東京都は除外されたものの、2か月余りたった10月1日からは全国で実施されることになった。観光庁によると、利用した人は11月15日までに少なくとものべ5260万人、支援額は12月1日までに少なくとも3080億円に上るという。

導入時から、感染拡大につながりかねないという指摘も出ていたが、菅は、リスクは限定的だとして、必要性を強調してきた。
9月27日の公明党大会に招かれた菅は力を込めてこう語った。

「『Go Toキャンペーン』は悩みながら判断をさせて頂いた。『コロナ感染を全国に拡大するからやめた方がいい』と多くの批判があった。しかし専門委員に相談し『3密』をしっかり守って大声を出さないでマスクをすれば、移動によって感染する人は、ほとんどいないということだった。感染拡大防止と経済を両立をさせる。悩ましいことではあるがしっかりと推進しなければこの国は立ち行かなくなる」

広がる感染 強まる危機感

10月下旬、横ばいだった感染状況に増加の兆しが見えるようになってくる。
政府は、会食などのマスクを外す場面でクラスターが多く発生しているとして、旅行会社に対してもバスの中での食事を禁止するよう求めるなど対策の徹底を図った。
しかし11月に入ると増加のペースに拍車がかかる。1日の感染者数が“過去最多”を更新する日が相次ぎ、11月18日には初めて2000人の大台を超えた。

この状況に専門家は危機感を強めていく。
11月20日、政府の分科会は「Go Toトラベル」を見直すよう提言した。
感染が急増している「ステージⅢ」にあたる地域では、都道府県の知事の意見も踏まえ、対象から除外することを含め運用の見直しを検討するよう求めた。

“エビデンス”はないが… 除外を決定

提言から4日後、菅は経済再生担当大臣の西村康稔や国土交通大臣の赤羽一嘉と協議し、感染が拡大していた札幌市と大阪市を目的地とする旅行を対象から除外することを決めた。

ただ「Go Toトラベル」が感染拡大の主要な要因となっているエビデンス=証拠はないというこれまでの立場は堅持する。一方で、感染拡大の状況が一定のレベルに達した地域では、感染リスクが低い行動でも制約せざるを得ないと決定の理由を説明した。

運用の見直しにあたって、各知事との調整を担った西村。
NHKのインタビューで専門家の強い危機感と地方からの継続を求める意見のはざまで、難しい判断を迫られたと胸の内を明かした。

「地方からは、地域経済を支え回復基調にするために継続への期待も強く伝えられていた。例えば北海道の場合は、札幌の人によって釧路や函館、稚内などの観光地がにぎわってきたこともあったので、鈴木知事とかなり調整し地域の支援を行うことも伝えた。鈴木知事も苦渋の選択をされた」

「高齢者、基礎疾患のある人は利用控えて」

菅は東京都知事の小池百合子とも会談し、高齢者と基礎疾患のある人は利用を控えるよう呼びかけることも決めた。
小池によると、東京都としては事業の「一時停止」または「自粛」を求めたが、協議の結果「自粛」の呼びかけに落ち着いたという。

分科会の提言に沿って、感染が拡大している北海道、首都圏、中部圏、関西圏の4つの地域に絞って運用を見直すものの、あくまで事業そのものは継続するという菅の方針は変わっていなかった。

経済も死活問題

国会でも「Go Toトラベル」を巡る審議が行われ、野党側からは「小出しの対応ではなく、責任を持って根本的に見直すべきだ」といった批判があがった。

菅は「『Go Toトラベル』を見直さないまま感染を広げてきたことに反省はないのか」と問われ、こう強調した。
「『Go Toトラベル』は、のべ4000万人以上が利用して、感染者はおよそ180人ということだ。感染拡大を防ぎながら地域の経済を下支えする『Go Toキャンペーン』は、こんにちの感染拡大と直結はしていない」

ある政権幹部は、当時の菅の思いをこう代弁する。
「菅総理大臣は、増加傾向にあった自殺者の数を強く懸念していた。『Go Toトラベル』を全国一斉に見直すことになれば、感染が拡大していない地域の土産物店なども含め日本全国に大きな影響が及ぶことを気にしていた」

感染拡大続き 板挟みにいらだち

ところが、その後も感染拡大には歯止めはかからない。
感染者数の増加に比例するかのように、各種のメディアでも「Go Toトラベル」に批判的な論調が強まっていった。

12月11日、再び政府の分科会が開催された。


専門家は、感染が急速に拡大している地域で、感染状況が高止まりしている場合などは「Go Toキャンペーン」の対象地域から除外するなどの対策を重ねて求めた。

この日、菅は動画配信サイト「ニコニコ生放送」で、分科会から強い提言が出されたという認識を示しながらも、一時的な停止などを検討するのかという質問に対しては「まだ、そこは考えていない」と明言した。

一方で、菅の発言からは、板挟みの状況にいらだっているようにも感じられた。
「経済を壊してしまったら大変なことになる。アクセルとブレーキを踏みながらやっていることについて、いろんな批判もされているが、暮らしが壊れたら地域そのものも壊れてしまう。いつの間にか『Go Toトラベル』が悪いことになってきてしまったが、移動では感染しないという提言も頂いていた」

遂に“政治決断”

翌12日土曜日の夕方。
菅は議員会館の自室に、新型コロナウイルス対策を担当する厚生労働省と内閣官房の幹部職員を呼び込み、各地の感染状況や医療体制などについて説明を求めた。およそ1時間にわたって、入念な説明が行われたという。その後、菅が赤坂の議員宿舎に帰宅したのは午後6時ごろ。
それからおよそ50分後、NHKのニュース速報は、1日の感染者数が3031人と初めて3000人を超えたことを伝えた。

翌13日、菅は日曜日の総理大臣官邸に官房長官の加藤勝信と厚生労働大臣の田村憲久、それに西村を呼び集めた。

通常、会談に同席する関係省庁の幹部や大臣秘書官は、この日は総理大臣の執務室の外で待機するよう命じられたという。
関係者によると、この場で菅が「Go Toトラベル」を全国一斉に一時停止する方針を明らかにし、閣僚からは異論は出ず全員が賛同したという。
専門家から強い提言が出されてから2日後、“政治決断”が下された瞬間だった。

西村は決断の席での菅の表情をこう証言する。
「全国一律に止めるということは、分科会からも言われていないかなり高度な政治判断だった。地域の経済は守らなければならないが、何としても感染は抑えなければいけない。菅総理大臣はいつも真剣な表情だが、この時の表情には強い決意の色がにじんでいた」

方針転換の裏にあったのは

何が菅の判断を変えたのか。

会社や工場が休みとなり経済活動が低下する年末年始を前にしたタイミングだったことも要因の1つとみられる。
西村は夏に感染が拡大した際の愛知県での成功事例が参考になったと明かした。

「7月から8月にかけて感染が増えたとき、愛知県はトヨタグループがお盆で一斉に休みに入る時期に合わせて営業時間の短縮要請などを行い、経済的なダメージを少なくする中で感染を抑えた。年末年始は人との接触機会を減らす有効なタイミングだ」

与党内には世論の動向も判断材料になったのではないかという見方もある。
NHKの12月の世論調査では、「Go Toトラベル」をこのまま続けるべきだと思うか、いったん停止すべきだと思うか聞いたところ「続けるべき」が12%だったのに対し、「いったん停止すべき」が79%にものぼった。


また、菅内閣を「支持する」と答えた人は、11月の調査より14ポイント下がって42%となった一方、「支持しない」と答えた人は17ポイント上がって36%だった。

自民党幹部のひとりは「『Go Toトラベル』が感染を広げている象徴になってしまった。事業をいったん止めて感染を抑え込まないと、支持率の回復は望めないと判断したのではないか」と指摘した。

今回の“政治決断”について、菅自身はこう説明している。
「専門家から『ステージⅢ』の地域では見直すべきだという提言を頂いた。1日の新規感染者数が3000人を超える中にあって年末年始は、集中的に対策を講じられる時期だと思った」

そして、次のように国民に呼びかけた。
「年末年始には医療機関の体制も縮小せざるを得ない状況になる。ぜひ国民の皆さんには、年末年始を静かに過ごして頂き、感染を食い止めることにご協力を頂きたい」

波紋広がる

突然の方針転換は、各方面に波紋を広げた。

野党は、後手の対応がかえって傷口を広げたと指摘している。
立憲民主党の枝野代表は、政府の失策だと批判を強める。


「われわれは1か月以上『Go Toキャンペーン』の見直しを求めてきたが、政府は結局、何の手も打てずにこの事態を招いた。後手に回った対応の結果として、経済活動を止めるよう求める時期が年末年始のかき入れ時にあたってしまい観光・飲食業により多くの打撃を与えた。政府の失策であり、速やかに補償措置を打ち出すことを強く求めていきたい」

観光事業者からは「感染を抑え込むためには仕方がない」と一定の理解を示す意見の一方、「今後の経済が心配だ」という懸念もあがる。

全国知事会からも「一方的に発表され、現場で混乱が生じた」という指摘が出された。
知事会は、一時停止の期限が過ぎる来年1月12日以降の運用方針を早期に示すとともに、感染が落ち着いている地域から順次再開するよう求めている。

「解」の模索続く

年末年始は医療体制が手薄になりがちだ。
「Go Toトラベル」の全国一斉の停止で感染を収束に向かわせることはできるのか。
政府の分科会の会長、尾身茂は、国会で一言一言力を込めながらこう訴えた。
「政府と地方自治体によって環境は整った。あとは、われわれ一般市民もそれに呼応する、今まで以上の努力が求められている。社会全体が心を一つにしてやれば沈静化は可能だ。ボールは一般市民に投げかけられた」

西村は、とりわけ若い世代の行動を変えることがカギを握ると指摘する。

「若い人へのメッセージが十分届いているかどうかということを痛感している。ある研究では4月、5月は活動の自粛や行動変容が起こっていたとのことだが、感染と対策が長い期間続いているので『自粛疲れ』のようなものもあるかもしれない。メッセージをしっかり届けて理解してもらい行動につなげてもらう努力を、私たちももう少し重ねなければいけない」

来年1月末がメドとされてきた「Go Toトラベル」の期限は、感染状況を踏まえて柔軟に制度を見直しながら、来年6月末までを基本に延長することが決まっている。
未曽有のウイルスとの闘いが長期化する中、感染防止と経済を両立させるための「解」の模索は、なお続くことになる。
(文中敬称略)

政治部記者
瀧川 学
2006年入局。佐賀局、福岡局を経て政治部。その後、沖縄局を経て再び政治部に。現在は、官邸クラブに所属し政府の新型コロナウイルス対策や経済政策を取材。