鈴木さん、
あなたの心をのぞけたら

千葉県知事の森田健作が、今期限りでの退任を表明。
若き千葉市長が立候補の構えを見せるなか、自民党県連は競泳の金メダリスト、鈴木大地の擁立を模索しました。
「立候補へ」という報道も相次ぎましたが、結局、鈴木は立候補しない意向を県連幹部に伝えることに。
「出るのか、出ないのか」
メディアの前で語らない彼の判断にどう迫り、報じたのか。1か月半の取材を、可能な限り公開します。
(金子ひとみ)

私、出遅れていた!?

9月18日(金)
その日の朝、私は目を疑いました。
読売新聞の地方面に、「自民・千葉県連、鈴木大地氏擁立を検討」と出ていたのです。

なぜ、このタイミングで鈴木の名前が記事に…。

私、金子は千葉県庁で取材をする県政担当記者です。

ふだんから県議会の議員や政党関係者、それに県庁の幹部を取材しています。ですから次の知事候補として、鈴木と千葉市長の熊谷俊人の名前は、ずいぶん前から聞いていました。

当時スポーツ庁長官で、「バサロキック」で一世を風靡した金メダリストでもある鈴木。千葉県出身でもあり、東京オリンピック・パラリンピックの競技会場が設けられる千葉でなら「顔」になれると、地元の自民党関係者から、白羽の矢が立てられていました。

しかし知事選挙まで、まだ半年もあります。そして前回、党県連が支援した現職の森田は進退を明らかにしていませんでした。

ただ、鈴木のスポーツ庁長官退任が決まったこともあり、そのタイミングで報じておいたほうがいい、と考えたのかな…などと、いろいろと思いをめぐらせました。

正直、この時は「まだ先の話」と思っていました。

それが一変したのは、翌日。
千葉市長の熊谷が、立候補の意向を固めたことを明らかにしたのです。
まるで、読売の記事に反応するような動きでした。

もしかして私の取材、出遅れていたのか…不安がよぎりました。

水面下だった駆け引きが、見えた瞬間

9月19日(土)
情報を集めなければ、とにかく。
私が向かったのは、千葉市内のホテル。そこでこの日、自民党千葉県連のパーティーが開かれることになっていたのです。後輩の記者にも手伝ってもらいました。

初対面の議員もいたのですが、構っていられません。
パーティーが始まる前や終わったあとに、次々と議員たちをつかまえては話を聞きました。
「大地さんの名前も挙がってますけど、実際どうですか」
すると、議員たちは前向きな反応。思った以上に、擁立に自信をもって語りました。
2人、3人…どの議員も、やはり感触はいい。

そんな中で、ある議員がふと、「鈴木さんに影響力のある森さんが『うん』と言ってくれるか心配だよ」と漏らしたのが、気になりました。

あれ、森さんって?
そう、元総理大臣で、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長。今の立場上、自民党だけでなく、スポーツ関係者にも影響力はありそう。県連幹部としてはその顔色が心配なのかと、容易に想像がつきます。

なるほど、彼がキーマンの1人か…。

そのころ、一緒に行った後輩は、ほかの大勢の記者とともに、熱弁をふるう別の議員を囲んでいました。

石井準一。千葉県選出の参議院議員で、自民党での派閥は平成研(竹下派)。清和会の森のラインとは違います。何かと物議をかもす動きもすると言われる彼が、ここでも大勢の記者に囲まれて、何かを主張しているようでした。

「ねえ、何て言っていた?」

後輩の報告するその発言に、私は驚きました。

「鈴木ではなく、熊谷こそ知事には適任だ」

まさか。仮にも自民党県連のパーティー直後に、県連幹部と真っ向から対立する考えを明言するとは…予想していませんでした。
これまで見えなかった駆け引きが、表に出てきた瞬間でした。

これは、荒れる。
この日を境に、私は千葉県知事選挙の取材にどっぷり浸かることになったのです。

物事はすべて東京で動く

ただ、千葉の話なのに、物事は千葉では動かないのです。

すべて、東京。このあと、私の取材活動はとにかくGoTo東京にならざるをえなくなりました。
まずは「表の動き」をしっかり押さえておきましょう。

9月30日(水)
鈴木はこの日をもって、スポーツ庁長官を退任。ただしこれは、任期満了でもともと予定されていたものです。

10月5日(月)
明確な動きがあったのは、この日のことでした。
東京・千代田区のホテルで県連会長を経験した衆議院議員たちがランチ会を開き、そこに鈴木が呼ばれたという情報が、議員側から漏れてきました。報道機関は、ほぼ全社が知るところになりました。

ランチ会の時間は1時間ほど。県連の幹部が出てきたので記者たちが囲みますが、「意見交換した」ことを繰り返します。

そうこうするうちに「主人公」の鈴木の姿が。いっせいに記者たちが取り囲みます。
しかし鈴木の口から出たのは、やはり「意見交換しただけ」ということばだけ。ただ、取材を嫌がっている様子はありませんでした。前向き?いや、でも…

以前から知り合いの議員が出てきたので、つかまえてみると、「後ろ向きな印象はなかった」と。やっぱり前向き?
ところが車に乗ったあと、急に窓を開けて「成果なし」と。あれ、これは微妙に前言を修正したということなのでしょうか…。

らちが明かないので、あとで複数の幹部に改めて取材しました。
すると鈴木は県政の課題について説明を受けたものの、「やる」とも「やらない」とも言わなかったといいます。ただスポーツ庁長官を退任するにあたって、「森喜朗元総理大臣らに挨拶が必要だ」と発言していたとのことでした。

その上で県連幹部は、「慎重に手続きを進める必要がある。これは県連としての『要請』でも『打診』でもなく『立候補を検討してほしいという働きかけ』だ」と強調しました。

二転三転、もやもやと

それから私の取材は一進一退、もやもや期間に入っていきました。

10月21日(水)
県連会長の渡辺が数日前に森に会い、鈴木擁立の了承を取ったという記事が、朝日新聞の地方面に出ました。
その夜の産経新聞のネットには「森が鈴木に会って立候補を要請か」という記事も。
ただ、私にはそのころ、鈴木の立候補に森などのスポーツ関係者が反対している、という話も聞こえていました。記事に違和感は覚えたものの、まだどちらとも確証は持てません。

10月22日(木)
午後、現職知事の森田が、東京・晴海のビルに出向きました。オリンピックの競技会場のある千葉県のトップとして、森に相談があるという名目でしたが、もちろん次の知事選挙についての話も出ました。すると森は旧知の森田に「千葉なんていう難しい県の知事をよく3期もやってるなあ」と語ったといいます。

そして会談後、車寄せで待ち受けていた私たちに森田は、前日の報道を打ち消すようなことばを発したのです。
「(記事に出ている話と)全然違った」
ええ?どういうこと。森は鈴木の立候補に、了承も要請もしていない…。

その時、目の前に現れた!

10月23日(金)
何か突破口はないのか…その日、私は取材先に悩み、永田町の議員会館のロビーで考えをめぐらせていました。ダメだ、完全に行き詰まった…。

午前10時半、その時、私の前に人影が。あれは…鈴木本人だ!

本当に偶然でした。
5日の「ランチ会」以来、直接話を聞けていません。これは絶好のチャンス!
「知事選挙の話をしに来たのですか」と、とっさに尋ねました。

「何にも、何にも」
それだけしか答えない鈴木。いや、諦められない。何をしにここに来たのだろう。

入っていったのは、ある議員の部屋でした。

林幹雄。経済産業大臣などを歴任した千葉政界の重鎮、そして自民党幹事長である二階俊博の側近です。つまり選挙というものと、深く関係している人物です。

何のために林に会いに来たのか、測りかねました。

断りにきたのでは…いや、でも熟慮の末、立候補を決意し伝えに来たのかもしれない…。絶対に何かにおう。

すぐに千葉放送局に電話し、デスクに報告。そのまま会談が終わるまで、廊下で待つことにしました。デスクは「立候補する、しない」の両方のバージョンの予定原稿を用意してくれました。

でも結局、この日は原稿を出せませんでした。なんと、見失ってしまったのです。

部屋の真ん前で待つのもどうかと、少し離れた場所で鈴木が出てくるのを待っていました。エレベーターを使うにせよ階段を使うにせよ、見つけられる場所にいたつもりでしたが、気づけませんでした。
まさか、やってしまった…。

あとで関係者に取材したところによると、「世間話的な感じ」で、鈴木は明確には回答しなかったといいますが…。

実は長官時代の鈴木を取材した記者たちから「鈴木さんは慎重な性格だ。まだ物事が進んでいる段階では軽々しく取材に答える人間ではない」という話を聞いていました。それでも何度か鈴木周辺の関係者のつてを頼るなどして本人に直接話を聞こうとしましたが、うまくいきませんでした。千載一遇のチャンスだったのに…。

ついに「立候補へ」という記事が

10月26日(月)
朝日新聞の朝刊に「鈴木、出馬へ」という記事が出ました。
記事には直前に鈴木は県連会長の渡辺と会い、その場で「立候補の意向を確認されると『意欲はあります』と答えた」と書かれています。

実は前日、私も県連関係者から「鈴木は立候補に前向きだ」と聞いていました。

でも会長である渡辺に直接、会っていたことには、気づいていませんでした。

しまった。あの時の林との会合ももしかすると…。

早く記事を「追いかけ」なくてはいけないと思い、早朝から関係者に電話。県連の幹部は記事を否定しません。ただ「鈴木が立候補を決意した」とまでいうと「書きすぎだ」といいます。

そこで「県連が立候補を正式要請へ」という原稿を、ほぼ書き上げましたが、デスクのゴーサインは出ませんでした。冷静に考えれば、何よりも鈴木本人への取材ができていません。鈴木を擁立したい県連の希望的観測が込められている可能性も払拭(ふっしょく)できていないのです。

それに自民党と連立与党を組む公明党の一部が「熊谷支持」を明言していました。当初から鈴木が求めてきた「自公が一枚岩で支援する」という条件は、整っていませんでした。

「上機嫌」の理由と新たなキーマン

10月27日(火)
もやもやが続き、一度は「立候補へ」を書きかけた中で、ついに取材の糸口がつかめる日が訪れました。

その日の朝の自民党本部。
中から出てきたのは、鈴木擁立に否定的で「熊谷を知事に」とぶち上げていた、あの参議院議員の石井準一だったのです。

私が声をかけると、すこぶる上機嫌な様子で車へ。これは、何かあったに違いない…。
いったい、何をしていたんだろう。

探ってみると、石井が話していたのは、馳浩だったというのです。

馳浩。元文部科学大臣の衆議院議員で、レスリング日本代表として1984年のロサンゼルスオリンピックにも出場。鈴木と同じオリンピアンです。しかも選挙区は森喜朗の地元でもある石川県で、派閥も同じ清和会。森の影を感じる人物です。

派閥も地元も違う馳と石井が、何の用件で会っていたのか。
理由は一つしかないのではないか。もし熊谷を推す石井にとってプラスの情報が、馳からもたらされたのだとしたら…。

千葉放送局で待つ、デスクに進展を報告すると、思わぬ反応が。
「ちょっと待って、馳のブログを見てみて!」と。

10月26日に「鈴木大地くん、激励慰労会」という書き込みが。


会っていた…馳と鈴木は、きのうの夜に会っていたんだ!

政治の世界でもスポーツ界でも「先輩」に当たる彼が、選挙について何らかの考えを鈴木に伝えたことは想像に難くありません。

行こう、馳のところに。さっそく私は、議員会館に向かいました。

でも、確証があるわけではありません。
「千葉の選挙の取材なのに、何で私は石川県の議員に話を聞きに来ているのだろう」
そんなことも頭に浮かべながら廊下を歩いていると、ちょうど外出しようと部屋から出てきた馳と鉢合わせになってしまいました。

いけない、心の準備が全くできていない。でも…
歩きながら質問をぶつけてみました。
「昨夜、鈴木さんと会ったんですよね。知事選挙について、どんな話をしたんですか」

馳の答えは「ノーコメント」「内緒」

焦る私とは対照的に終始余裕で、笑みさえ浮かべていました。
そしてこう、つぶやいたのです。

「知事ってさあ、それはもうものすごい大変な仕事だよね。簡単にできるものじゃないよね」

あ…やはりこの人は、鈴木の立候補を前向きにとらえていない。このニュアンスは、間違いない。

点と点が結びついた気がしました。動いている。事態は動いたんだ。

ならば近い。鈴木が「断りを入れる」タイミングはもうすぐのはず!
想像は確信に変わり、すぐさまその情報を取るための行動に移りました。

実際、鈴木が立候補辞退の意向を県連幹部に伝えたのは、その翌日だったのです。

「鈴木はやっぱり出ない」

10月28日(水)
「鈴木大地はやっぱり出ない、これは堅い」
裏取り取材を進める中で、ある人が発したことばです。
やはりそうなのか…このひとことが突き刺さり、「立候補断念」という原稿を用意して、決定的なタイミングを待ちました。

午後4時ごろ、県連幹部らが森のいる東京・晴海に向かったようだという情報が入り、私は永田町からタクシーに飛び乗り、晴海に向かいました。

そういえば6日前、森田を追いかけて千葉から向かったんだった…その時とは全く違う気分です。

そして20分足らずで終わった森田との会談とは違い、今回の会談は1時間近くかかりました。
県連は2日後の30日に会議を開き、正式な鈴木への立候補要請を決める手はずでした。しかし会談を終えて出てきた県連幹部3人の表情は、一様に厳しいものでした。

「お墨付きは出ましたか」という質問に「いやいや、そんなもんじゃない」
「30日は予定どおり要請決定ですか」には「いやいや、それは、まあね」

会談の後半には、記者の目につかない入口から鈴木も建物の中に入り、同席していたということです。鈴木はずっとこうべを垂れ、ひと言も発さなかったといいます。

この日の会談後、森は記者団の取材に「スポーツ庁長官が終わるやいなや知事選挙に出るべきではないと思う。スポーツ界の発展に尽力すべきだ。しかし、決めるのはあくまでも本人だ」などと述べていました。

県連会長の渡辺のもとに鈴木本人から「立候補を辞退させていただきます。申し訳ありません」という電話が入った、その情報を私がつかんだのは、このあとまもなくでした。
やはり森や馳をはじめ、スポーツ界関係者の反対が大きいことが影響したのか…。

「鈴木が立候補を見送る意向を伝えた」

その夜のニュースで伝え、1か月半にわたるミッションは、一つの区切りを迎えました。

そして自民党県連はどうするのか

10月30日(金)
午前8時。本来なら鈴木に立候補を正式要請することを決定するはずだった会議が開かれていました。

永田町の、自民党本部5階のブロック5会議室、千葉県選出の国会議員が一堂に集まりました。鈴木の立候補見送りが報告されたあと、党として今後新たな候補を探して擁立を目指すことで一致しました。

この席でベテラン議員の1人は、擁立に向けた道筋が全く付いていないのにランチ会の日程が漏れ、県連内部での意思統一や鈴木本人への意向を十分確認しないまま進めた対応を念頭に、「候補者が決まらなかった重大さを認識すべきだ。軽々に誰々にやってくださいという話を表でするのは決して良くない」と述べたといいます。

別の議員からは「千葉県知事選挙は党側がお願いして擁立するもんじゃない。何としても出たい!千葉県のためにこれをしたい!という人がいてその人を党が支える形にならないとうまくいかない」という声も聞かれました。

去年相次いだ台風や豪雨で千葉県は大きな被害を受け、復興はまだ道なかば。新型コロナウイルス感染拡大の収束は見えず、観光業をはじめ県内経済への影響も甚大です。県民が望んでいるのは、そうした千葉県政の舵取りを担うリーダーではないか。その人物は、どう選ばれるべきなのか、改めて考えさせられました。

誰も、心まではのぞけない

立候補の意向を示していた千葉市長の熊谷俊人は、11月2日、正式に立候補を表明しました。
「政党の推薦は求めないが、グループに支援してもらえるならば断る考えはない」と述べています。
それについて自民党県連会長の渡辺は7日、「熊谷さんを推すことはしない。必ず自民党として誰か別の人物を立てたい」と答えています。

そして現職の森田が12日の記者会見で、立候補せず今期限りで退任することを表明しました。
一方、元船橋市議会議員の門田正則が立候補を表明しているほか、共産党が独自候補の擁立を検討しています。

およそ1か月半、県政担当記者として、翻弄され続けた日々でした。

議員会館の廊下やカフェで、東京に向かう電車で、鈴木の心の中を想像しては、もんもんとしました。夢にまで出てきました。でも、そもそも人の心なんて、本人以外に分かるはずがありません。

彼は立候補の見送りを決断したあとも、無言を貫いていましたが、11月7日、みずからのツイッターで「いろいろあって遅くなってしまったけど」とひと言添えたうえで、フルーツタルトの写真を載せ、息子の誕生日を祝っていました。

自治体のトップに誰が就くのかは、多くの人の暮らしに関わることです。だからこそ公人の決断を伝えることは、報道の重要な役割だと考えています。ただ心の内側を知ることが、取材の目的ではありません。

それでも私はこのツイートを見て、なぜ立候補を見送ったのかは、もう説明はしたくはないのだろうな。親として苦しい日々だったのかも知れない、と、またしても彼の心の中を想像してしまったのでした。
(文中敬称略)

 

千葉局記者
金子 ひとみ
2006年入局。札幌局などを経て社会部。いったん退職し、18年に4年ぶりに再入局。千葉県政などを担当。3歳の双子の母