新たな「防衛力」
経済安全保障とは何か

ファーウェイやTikTokなどをめぐって激しく対立するアメリカと中国。
その駆け引きを読み解くキーワードが「経済安全保障」だ。
実は今、「軍事力を使わない戦争」が始まっているという。日本はどうするのか。
(後藤匡)

「経済が武器」に?

「経済を使った戦争だ」
多摩大学大学院教授の國分俊史は、「経済安全保障」について、こう表現した。

國分は日本の「経済安保」研究の第一人者だ。「経済」と「安全保障」という異なる概念が、なぜ結びつき、重要な課題として語られているのか。
「今の米中の覇権争いは、軍事的な対抗措置を使わずに決着をつけるという大前提で始まっている。その代わりに、『経済』というツールのぶつけ合いで決着させるという『経済を使った戦争』になった。そこで『経済安全保障』という考えが不可欠になっている」

「安全保障」というと、かつての米ソ冷戦のように軍事的なことを想像しがちだ。國分は「いわゆる核抑止力によって軍事衝突の脅威が遠のいた結果、いわば『経済が武器』となり、『経済を使った戦争』になった」と説く。

この「経済安全保障」の概念こそが、先鋭化するアメリカと中国の対立の構図を読むうえで欠かせないと説明する。

中国企業への相次ぐ「制裁」

その象徴が、「TikTok」をめぐる米中対立だ。
動画共有アプリのTikTokは、中国企業の「バイトダンス」が運営している。トランプ政権が制裁を強め、この夏、アメリカ国内での事業の売却を命じ、これに応じなければ国内でのダウンロードの禁止措置をとる構えを見せた。

トランプ政権は、中国政府がTikTokを通じて個人情報を集め、それを悪用する懸念があると表明している。背景にあるのが、2017年に中国国内で施行された「国家情報法」という法律だ。「いかなる組織や個人も、国家の情報活動に協力しなければならない」という内容となっている。ただTikTok側は、アメリカや日本でも「中国側にユーザーデータを提供したことはなく、要請されたとしても提供することはない」としている。

対中国企業と言えば、「ファーウェイ」への制裁も記憶に新しい。
先月、トランプ政権は、アメリカの技術を活用してつくる半導体について、「ファーウェイ」への供給を認めないようにする規制を導入した。國分はこうした制裁の強化こそ、従来型の軍事的安全保障に変わる、「経済安全保障」による国益追求の象徴的な事例であり、これからますます増える可能性が高いと指摘する。

巻き込まれる日本

こうした状況は、日本企業にも影響を与えている。

東芝から独立した半導体メーカー「キオクシア」。
「ファーウェイ」は大口の顧客だったが、アメリカ政府の制裁強化を受けて、製品供給を停止した。その結果、今月予定していた東京証券取引所への上場が先送りとなった。

CMOSと呼ばれるスマートフォンに搭載されるカメラに欠かせない画像センサーで世界1位のシェアを持つ「ソニー」も出荷を停止。この2社は、アメリカ政府に対し、「ファーウェイ」への輸出の許可を求める申請を行っている。ある政府関係者は、「最も恐れていたシナリオが現実となった」と漏らした。

懸念の声が上がっているものもある。

中国は、「北斗」という新たな位置情報システムの運用も始めた。(詳しい記事はこちら)
アメリカのGPSに対抗したこのシステムは中国版GPSとも呼ばれ、全世界をカバーしている。

先に述べた「国家情報法」と合わせて、各国が運用を注視している。

日本の対応は

「経済安保」をめぐり、自民党内でいち早く危機感を訴えてきたのが、経済再生担当大臣などを歴任した、税制調査会長の甘利明だ。

甘利が「経済安保」について強い関心を持ったのは3年前。
アジアやヨーロッパなどの国々の結びつきを強め、巨大な経済圏を作り上げようという、中国の「一帯一路」の構想の実態を知るにつれ、経済的な優位性を築こうという「経済安保」狙いが見えてきたと言う。

「『一帯一路』について調べると、10年、15年前から計画されていたことが、だんだん明らかになってきた。中国は(経済安全保障を)戦略上、やっていると。アメリカやオーストラリアはそういう実態をみんな知っていて、世界ではこれが当たり前の話だと気付いた。日本はお人よしすぎた」

甘利は、中国がさまざまな国際機関が決めていくサービスや技術基準などのルールに影響を与えていくことも懸念していて、会長を務める自民党の「ルール形成戦略議員連盟」では、こうした動きへの対策の検討を進めているという。

NSSの「経済班」とは

その対策の1つが、経済安保の“司令塔”の設置だった。

去年、アメリカのNEC=国家経済会議にならって、経済安保政策を立案する組織を立ち上げるよう、当時の安倍総理大臣に提言。それに基づいて設置されたのが、NSS=国家安全保障局の「経済班」だ。

「政治マガジン」の読者なら、覚えがあるかもしれない。
1月8日の特集「『危機管理』に強いという政権、その中身は?」で詳しく紹介したNSC=国家安全保障会議の事務局がNSSで、9月16日の特集「鎖国ニッポン いつ開国に」にはNSSの中の「経済班」が登場している。現在、新型コロナウイルス対策の入国制限措置の緩和などの水際対策にも当たっているのだ。

6年前に誕生したNSSは、総理大臣官邸の裏にある9階建てのビルに入っている。7つの班で成り立ち、その中でことし4月設置された最も新しい班が「経済班」だ。

セキュリティーを通り、エレベーターで上がると、あるフロアに各班が集まる部屋がある。指紋認証の扉を抜けた先の大部屋には各班ごとの「島」があり、経済班もこの一角にあると言う。機密事項が多く、その実態はほとんど知られていない。

班を仕切るのは経済産業省出身の内閣審議官の藤井敏彦。その下に、財務省・総務省・外務省・警察庁から出向している課長級の4人の参事官がいて、「経済班」には各省から20人ほどがいると言う。

約90人とされるNSSの20%強が「経済班」というわけだ。

資格制度とサイバー攻撃対策を

「経済班」は、「経済を使った戦争」にどう立ち向かうのか。

経済班の「生みの親」とも言える甘利は、「ようやく日本でも経済とインテリジェンスを表裏一体で考えて政策を立案する部署が誕生した」と評価する一方、「日本の体制はまだ幼稚園レベル、アメリカは大学院レベルくらいの差がある」と強調する。

では、日本が「大学院生レベル」になるには何が必要なのか。
甘利は、先端技術など重要な情報を企業や研究機関などの民間人が取り扱うことを保証する資格制度の創設が欠かせないと指摘する。
「機微情報を扱っていながら無防備ということは、対峙(たいじ)する国にそれを持って行かれるのと一緒のことだ。国家の命運をかけるような研究に携わる人間のバックグラウンドチェックができないというのは、世界の先進国からすれば考えられないことで、現代社会ではそれでは通じないことをしっかり受け止めないといけない」

さらに、世界的に急速なオンライン化が進む中、サイバー攻撃なども含めて経済安保に関わる情報の漏洩を防ぐため、関係機関の連携強化を進めるべきだと進言する。
「安全保障上の機密情報だけではなく、経済に関わるインテリジェンスを収集・分析し、対応するシステムが日本にはできていない。外務省、経産省、警察庁などが協力しあい、連携を強化していくかが大きな課題だ」

「日本では、『経済』と『インテリジェンス』は無縁の関係だったが、『経済班』の設置によって『経済』と『インテリジェンス』は表裏一体だというスタートラインについた。経済への攻撃やその防衛に関するインテリジェンスの収集と分析を関係省庁がしっかり連携してやることだ」

経済安保という「防衛力」

経済安保に特化した法整備の動きも出てきた。
自民党は、「経済安全保障一括推進法案」の策定に向けた準備に着手。政務調査会長の下村は、「経済の視点から安全保障に取り組むことを先手先手でやっていく」と意気込む。

NSSの「経済班」は、中長期的には外交・産業政策・情報セキュリティー・学術など各省にまたがる政策を一元的に集め、戦略的に「経済安保」に取り組む方針だ。

ただ、アメリカの巨大IT企業、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)や、中国のBATH(Baidu、Alibaba、Tencent、Huawei)などがしのぎを削る中、日本企業は大きく引き離されている。

目まぐるしい技術革新や米中の終わりの見えない対立の中で、「経済安保」という新しい「防衛力」がどのように機能していくのか。政府が実施するインテリジェンスが、民間が担う経済と具体的にどう結びつけていくのか。注目していきたい。
(文中敬称略)

政治部記者
後藤 匡
2010年入局。松江局、経済部を経て政治部。自民党で税制や経済政策を中心に取材。麻生派を担当。