2つの新党、なぜ誕生したのか

150人。ついに野党の合流は成った。
衆議院でみれば、かつて民主党が政権交代を果たした選挙の、直前に匹敵する規模だ。
これで離合集散の歴史は終わり、立憲民主党は政権の選択肢となれるのか。
「頑固な枝野」とともに貫き通した側近の福山、そして合流をよしとしなかった国民民主党の玉木に、その顛末と展望を聞いた。
(奥住憲史、米津絵美)

「これは政権交代へのチケット」

「この大きなかたまりは、政権交代の1つのチャレンジチケットだと思う」

そう語るのは、福山哲郎。
3年前、民進党が希望の党との合流をめぐって分裂したとき、枝野が結成した立憲民主党に真っ先に参加した。以来、幹事長として支えてきた側近中の側近だ。

合流新党の衆議院議員は100人を超え、11年前に民主党が政権交代を果たした衆議院選挙直前の議席に迫る規模になった。そのスケールメリットを生かしたいと言う。
「現職ではない候補者なども入れると、200人ほどのもっと大きな規模になり、面としての広がりが出てくる。大きなかたまりとなった野党第1党であれば、どういう政治路線や政策の選択肢を示していくのかが、有権者によりわかりやすく伝えられるようになる」

なぜ合流できたのか

9月15日に行われた、新しい立憲民主党の結党大会。
「合流新党は、政権交代の発射台となる規模となった。政権の選択肢を示すときだ」
枝野は語気を強めた。

旧立憲民主党と旧国民民主党などの合流協議は一時は頓挫しかけたが、8か月に及ぶ協議を経てなんとか結党にこぎつけた。
「巨大与党に対じする大きなかたまりをつくる」
その思いが、形になった日だった。

新しい立憲民主党でも幹事長を務めることになった福山。旧国民民主党などと交渉にあたり、話をまとめあげた立役者だ。その福山に、土壇場での交渉の内幕を尋ねた。

党名が「トゲ」投票は「2人で決めた」

そもそも、合流の話が持ち上がっていた1月、枝野と国民民主党代表の玉木は、何度も党首会談を繰り返していた。
それでも合意には至らず、私たちも「合流できなかった理由とは」という記事まで書いたほどだ。

しかし今回の交渉は、福山と平野、双方の幹事長どうしで進められ、むしろ党首会談は避けていた様子さえある。なぜか。
「まあ1月に4回(党首会談を)やってまとまらなかった。それではもうまとまらないので、双方がぎりぎりのところで大局的に考えて新党を作ろうというところまで、幹事長間で来ていた。その流れを切りたくなかったし、組織として対応するべきだと。個人プレーをやっているわけではないので」

党名を結局、投票で決めることにしたことについてはどうか。
「党名がトゲといわれていた。トゲが抜けるならそこは腹を決めようと、(枝野と)2人で話し合いましたね」

枝野が決断するまでのいきさつはどうか。
「枝野代表の党名に対する思い入れもあったでしょうし、3年間応援していただいている有権者への姿勢を示すということもあった。ただ、枝野代表が一定の度量を示すべきで、1票連記(同じ票に代表と党名の両方の名前を書く)の形でならと」

そうしたやり方は、誰とどう相談を。
「2人で決めました。それは『あうんの呼吸』で、こういうやり方ならという話が3つくらいあって、代表もうーんってうなりながら、まあこれですかねという話でお互い腹を決めた」

「枝野1強」は「しかたなかった」

合流を枝野と二人三脚で引っ張った福山。しかしこれまでの枝野の党運営や政治手法に、厳しい見方をする議員もいる。

旧立憲民主党の議員の中にも、
「ボトムアップを掲げながら、実態は“トップダウン”が過ぎる」
「意思決定が不透明だ」
「特定の議員ばかり日の目を見ている」
などという批判が根強くある。

その点を指摘すると、福山は「反省すべき点は反省するが、党内が圧倒的に閉鎖的かというと、あまりそうは思わない」と反論した。
「民主党政権時代に、分裂したり、意見集約ができなかったりした教訓は感じているし、至らなかった点もあったかもしれないが、互いに議論しあい、一体となれる党内運営にしようと留意はしてきたつもりだ」

福山はそうは言うが、こうした懸念材料は、旧国民民主党側の議員の耳にも伝わっていた。
合流新党の代表選挙で、旧国民民主党側が泉健太を擁立し、泉が「風通しのよい党運営」を掲げたのは、批判の受け皿になり、新党でも「枝野1強」になるのを防ごうという強い意図があったという。

福山にぶつけると、こう切り返した。
「政党で、そういう批判のない政党なんてないですよ。
『枝野1強』というのは、いい意味で言うと、安定したガバナンスの中で党運営ができたとも言える。合流前の立憲民主党は、枝野代表が1人で立ち上げたという経緯から言っても、そのリーダーシップへの依存度が高くなっても、しかたがない側面はあったと思う」

ただ今後については、配慮の必要性をにじませた。
「野党は委員会で質問してもなかなか報道されないし、委員会の理事などをやっても注目されない。陰で汗をかいている人や、縁の下で頑張っている人にも活躍の場をつくり、光を当てるということが大事だと思う」

執行部人事では不満の声も

党内融和の今後を占う意味で注目されていたのが、執行部人事だった。
代表が旧立憲民主党出身なら、幹事長は旧国民民主党出身にし、力の均衡を図るべきだという意見もあり、注目を集めていた。

しかし結局、代表も幹事長も旧立憲民主党出身者の枝野と福山という、同じ顔ぶれになった。旧国民民主党の出身議員では、泉を政務調査会長に、代表代行兼選挙対策委員長には平野博文を起用した。

この人事には、
「選挙が近いともされるなかで、実務型の現実的な人事だ」
「しっかりバランスもとった妥当な人事だ」
という評価の一方、
「結局、執行部の体制は変わらず、党内の風通しの悪さも変わらない」
「これでは事実上の吸収合併ではないか。党のイメージがあがらない。意味不明の人事だ」
という厳しい意見も出た。

なぜ玉木は「分党」したのか

今回、合流は成ったものの、完全には福山らの思惑どおりには行っていない。旧国民民主党の22人の議員が参加しなかったからだ。

「公党間で進めてきたものを、トップである代表が否定するようなことだったので、驚きましたし、残念でした」
福山がそう振り返るのが、「大きなかたまりを目指す」と同じように旗を振りながらも、みずからは合流をせず、「分党」を選択した国民民主党の玉木雄一郎だ。

玉木にも、その選択の理由を尋ねた。
「民主党時代、先輩たちがバラバラにしてきて、2度と繰り返してはいけないなと。1つになるのであれば、政策理念をバッチリ一致させることが必要だと思う」

バッチリというが、全ての議員の理念が完全に一致、という政党が存在するだろうか。玉木には、どうしても譲れない政策があったという。
「私、消費税については一致させたかったんですよ。振り返れば消費税で民主党は分かれたわけでしょ。減税するにしろしないにしろ、考え方を少なくとも一致してスタートしないと」

理解できる点もあるが、政策理念をガチガチに一致させようとすることで、党が分裂したとも見えるが。
「私の問題というよりも、私以外の21人が実際に行けなかった。それは彼らからしたら納得できなかったってわけでしょ」

そして玉木は、自民党と公明党の関係を引き合いに出し、1つの政党である必要はないと語った。
「一致していなくても、いまの自民党と公明党は憲法観も違うのに、連立政権という形で1つの政権を構成している。私は1つの政党になるかならないかと、協力して何かを実現できるかどうかは別の話だと思う」

あれ、「大きなかたまり」はどこに…

政策の違いは「原発ゼロ」

理念・政策の違いと語った玉木。
では実際に両党の理念・政策は、どう違うのか。それぞれの綱領を比べてみた。

基本理念の部分。
立憲民主党は、自由と多様性を尊重し、支え合う「共生社会」を掲げている。1人1人の日常の暮らしと、働く現場、地域の声とのつながりなどを重視し国民の期待に応えるとしている。

国民民主党はというと、こちらも、多様な価値観などが尊重される自由な社会、互いに認め合える共生社会を理想とするとしている。また「生活者」や「働く者」などの立場に立つと明記され、両党の路線の方向性に大きな違いはないように見られる。

ただ異なる点がいくつかある。それは、エネルギー政策だ。
立憲民主党の綱領には、「原発ゼロ社会を1日も早く実現する」とある。
国民民主党の綱領にはない。

「原発ゼロ」には、国民民主党を支援する「電力総連」や「電機連合」など、民間の産業別労働組合の反発があるからだ。実際、旧国民民主党にいた組合出身の議員9人が、それを理由に合流新党への参加を見送った。

玉木がそのいきさつの一端を語った。
「連合と立憲で問題になって議論が続いたが、エネルギー政策とか改革中道の立場とかについては、立憲民主党の案では納得できないという人が現にいたわけ。そういう人がいるのであれば、行動をともにするのが政党を率いていた私の責任だと思う」

「代表に固執しているわけではない」

政党を率いてきた責任というが、玉木自身が代表に固執しているのではないか、という批判も出た。

それについては玉木は否定しつつ、今の立場の苦しさを語った。
「今回、連合の神津会長からもずいぶん個人的にも嫌われたというか、ご批判をいただいていたので、連合や合流新党との関係を考えても、自分がやらないほうがうまくいくんじゃないか。新しい国民民主党では代表をしないといったん皆さんには申し上げました」

それでも「玉木やれ」と言われたということで、とりあえず代表選までは引き受けたという。
「正直言うと、もう疲れたので誰か代わりにやってっていう感じがあるんだけど、ここまでやってきたんだから、次につないでいくところまでは自分の責任を果たそうという感じ」

「憲法改正」も 「ベンチャー新党」目指す

さらに、政治路線の隔たりも浮き彫りになった。
国民民主党の綱領には、「穏健保守からリベラルまでを包摂する改革中道政党を創る」と明記され、左でも右でもない「中道」を1番に掲げているのだ。

党内では、立憲民主党が共産党と選挙協力を進めようとしていることに批判的な意見が根強かった。中でも玉木とともに新しい国民民主党を立ち上げた、元外務大臣の前原誠司が、この点を明確にしている。
「非自民・非共産の『保守』という自負を持ってきたが、選挙や国会活動で共産党との協力が進んでいくことに、居心地の悪さを感じていた。これからは日本維新の会や無所属の議員など、『リベラル保守』のグループをどう糾合していくかが問われている」

新しい党は15人の所帯だ。玉木は「ベンチャー政党」として政策提案型を目指すとしているが、政策の実現のためには「数」が必要。前原の言うように維新と手を携えたり、自民にも寄っていったりするのではないかという見方も出ている。

その点を玉木に問うてみると、以前、維新の幹部の口から出たのと、同じような回答が聞かれた。
「与野党関係なく良いものは良いし、悪いものは悪いという是々非々で向き合っていくのが少数野党としての生きる道かなと思う」

何ができるのか。
「たとえば憲法改正草案を出していきたい。データ社会になっていく中で、自分のデータが正しく使われているのかといった、データに関する自己決定権を憲法上の新しい権利として明記していく必要があるのではないかと。私ははっきりいって安倍政権の出した(9条改正の)4項目は反対なんだけど、リベラルからの憲法改正論議なんかもあってよいのでは」

逆に言えば、「決死の覚悟で残った15人だからこそ、できることがある」と、玉木は前を向いた。
「いろんなことをオープンで決めたいなと。一部の幹部が決めるだけではなく、みんなで集まって討議し、決めていく。民間のネットワークとうまく接続して、知恵、アイデアも借りながら政策を作っていきたい」

結局は「選挙事情」

そういった政策や理念がありながら、なぜ多くの議員が合流新党の方に参加したのか。

玉木は、つまるところは「選挙だ」と答えた。
「秋にも選挙という中で合流した人もたくさんいるので、合流したい人にはできる道を作るし、そうでない人にはもうひとつ受け皿を作るというのが、ベストではないかもしれないが、セカンドベストの着地点だった。結果を見たら分かるが、衆議院は31名が合流し9名はしない。参議院は合流する人が少なく残る人が多かった。衆議院議員の心理からしたら、しかたない面もある」

一方の福山は、合流新党が一枚岩になれるかどうかは、選挙で結果を出すことだと強調した。
「まず、衆議院選挙で一定の成果を得なければいけない。最も大きな成果は、政権を取ることだけれども、一定の成果を得れば、つまり有権者の支持をいただけるような政党であると形に示せば、党内は求心力が出てきて、遠心力が働くことはない」

次の選挙は「官房長官対決」

「実は、次の選挙は官房長官対決です」

福山は、東日本大震災に対応した枝野と、新型コロナウイルスに対応した菅を並べて、ともに「国難」と向き合った官房長官どうしが与党と野党のトップとして対決する選挙だと語った。
そして合流を成し遂げたいま、もはや「政権担当能力」の有無が争点ではないとも。

「政治の中枢で手腕をふるってきた2人が与党と野党で戦うことになるので、リアリティをもって国民生活を守るか、命と暮らしを守っていくのかということが争点になると思っているので。どの政党が、国民のために汗をかき、闘っているのか。それを適切に政策に反映して、たくさんの人に期待され、選挙に行ってもらえるような合流新党にしていきたい」

衆議院議員の任期満了まで1年余りとなり、早期の衆議院解散・総選挙の可能性もささやかれる。
「大きなかたまり」となった枝野新党、「ベンチャー政党」を掲げた玉木新党の真価は、そう遠くない時期に問われることになる。
(文中敬称略)

政治部記者
奥住 憲史
2011年入局。金沢局初任。政治部では外務省担当などを経て、9月15日まで立憲民主党を担当。
政治部記者
米津 絵美
2013年入局。長野局初任。政治部では、現在、立憲民主党、国民民主党などを担当。