“最終決戦”
翁長知事 対 自民党

5月に梅雨入りした沖縄。いま、沖縄の政治は、夏を思わせるほど、熱を帯びている。最大の政治決戦、県知事選挙に向けて、現職の翁長知事、対立してきた自民党の双方が動き出したからだ。しかし、いずれも、懸念材料を抱え、先行きは見通せていない。
(沖縄局記者 瀧川学)

「がんだった」入院から復帰へ

「精密検査の結果、すい臓の腫瘍という診断結果を受けた」
4月下旬に手術を受け、入院していた翁長知事。
5月15日、昼前に医師らに見守られながら退院し、直後に県庁で記者会見を開いた。

入院前に比べて痩せたという翁長知事。腫瘍は「がん」だったことを明らかにした。
「1日も早く公務に復帰し、与えられた知事としての責任を全うしていきたい」と意欲を示した。

一方で、秋に予定される知事選挙への対応は明らかにせず、「公務をしっかりこなすことがわたしの眼目だ」と述べるにとどめた。翁長知事は、当面、週1日程度、登庁し、体力の回復状況を見ながら、徐々に本格復帰を目指すという。

力の源泉「オール沖縄」

翁長県政を支える政党や団体は、「オール沖縄」という連合体を組織している。「オール」という言葉通り、沖縄で支持基盤の厚い、共産党や社民党といった革新系の政党だけでなく、自民党を支援していた保守系の企業や地方議員なども参加。政治家としての出発点が自民党だった翁長知事は、自民党沖縄県連の幹事長を務めた経験もある。保守と革新の連合体、「オール沖縄」こそ、翁長知事の力の源泉と言える。

飛ぶ鳥を落とす勢い

翁長知事の誕生は、2014年11月。アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設計画の賛否が最大の争点になった知事選挙で、現職だった仲井真弘多氏らを破って初当選した。
翁長知事は那覇市長を務めていたため、那覇市でも市長選挙が行われ、翁長知事の後継候補が勝利。
翌12月に行われた衆議院選挙では、沖縄県内の4小選挙区を翁長知事が支援した候補が独占するなど、文字通り「飛ぶ鳥を落とす勢い」を見せつけた。

激戦 そして厳しい結果が

その後、去年10月に行われた衆議院選挙では、翁長知事が、最も力を入れて支援した候補が敗れ、4小選挙区の独占はならなかった。

そして、今年に入り、1月の南城市長選挙では、支援候補が勝利し、全国的に注目された2月の名護市長選挙を迎える。激しい選挙戦の末、翁長知事が推した当時の現職は敗れた。現職は、翁長知事とともに、普天間基地の辺野古移設反対を訴えてきた、いわば「盟友」だっただけに、「名護ショック」とも言えるほど、支援組織への衝撃は大きかった。その後、石垣市、沖縄市の市長選挙も、翁長知事の支援候補と、自民・公明両党などが推薦する候補の対決型の構図となり、いずれも厳しい結果を強いられた。

こうした状況について、沖縄では、「おととし12月に最高裁で、辺野古移設問題をめぐる裁判で、県の敗訴が確定したことが背景にあるのではないか」と見る向きもある。ある自民党沖縄県連の幹部は、「『オール沖縄』に奪われていた支持が戻っている手応えを感じる」と話す。とりわけ、名護市長選挙以降は、潮目が変わった感じがするという。

自民党の“底力”

勢いにのる自民党は、3月、経済界などとともに、知事選挙の候補者選考委員会を立ち上げた。国会議員や県議会議員、沖縄県の元幹部、自治体の長、マスコミ関係者、県出身の中央官僚など、さまざまな名前が浮上している。4月28日に那覇市で開かれた県連大会も、さながら、知事選挙への決起大会の様相を呈した。

大会アピールでは、「『オール沖縄』も、音を立てて崩れている。今こそ自民党の底力を発揮し、翁長県政に終止符を打たなければならない」と気勢を上げた。自民党は、名護市長選挙などを共に戦ってきた公明党や日本維新の会とも連携できる人物を念頭に、5月中の決定を目指して人選を急ぐ。

水を差すようなことも

しかし、その勢いに水を差すようなことも起きている。県連大会が終わったあと、4月29日未明、沖縄県連会長に就任したばかりの國場衆議院議員が、酒に酔って、通りかかった観光客ともみ合いになるトラブルが起きた。そして、5月10日、傷害の疑いで書類送検され、事務所も「関係者の皆様にご心配をおかけして、申し訳ございません」とコメント。こうした事態に、候補者の選考作業への影響を懸念する声も出ている。自民党関係者は、「決して我々が有利に立っているわけではない。これまでの『保守』対『革新』という構図に戻ってきただけであって、県民の多数の支持を得られるかは、これからの勝負だ」と、脇を締める。

「民意はわれらに」

一方、「オール沖縄」は、知事選挙に備えて3月から協議を重ねている。5月1日の会合では、翁長知事が再選を目指すことを前提に、今後の状況を見て立候補を要請することを確認した。

「辺野古移設阻止の民意は依然根強い」として、支援体制づくりを着実に進めたい考えだ。辺野古沖では、普天間基地の埋め立て予定地を囲う護岸工事が進められている。

国は、早ければ7月にも、土砂を投入する構えだが、翁長知事は、「あらゆる手段で移設を阻止」とする主張を崩していない。ただ、「名護ショック」以降、「オール沖縄」にも変化がみられる。退院したとはいえ、翁長知事の体調に加え、参加していた保守系の大手企業2社が、相次いで、活動から距離を置くことを表明。革新系の活動が目立ちすぎて、“オール感”が薄れているという、不満や焦りが蔓延していた中での出来事だった。

“最終決戦”へ

沖縄県民の間には、「移設阻止」を求める声がある一方、「国との対立をこれ以上続けるべきではない」という声も広がっているという見方もある。普天間基地の移設問題をめぐって長年続いてきた国と県の対立の“最終決戦”とも位置づけられる沖縄県知事選挙。秋まで「熱い」日々が続く。

沖縄局記者
瀧川 学
平成18年入局。佐賀局、福岡局を経て報道局政治部。去年、沖縄局に赴任し、現在、県政担当。趣味はランニング。