流協議は「いま9合目」

半年前に頓挫した立憲民主党と国民民主党の合流協議。ここに来て、再び活発な動きを見せている。
一気に合流に進むのか、またもや先送りとなるのか。野党の結集に向けた動きの最前線を伝える。
(奥住憲史、米津絵美)

幹事長の怒り

「もう辞めるからな!」
7月15日、国民民主党の党本部で開かれた役員会。幹事長の平野博文は、声を荒げて部屋を出た。

何が起きていたのか、背景はこうだ。1月に頓挫した立憲民主党との合流協議で、平野は自身のカウンターパート、立憲民主党の福山哲郎幹事長と水面下で協議を重ねてきた。党名や政策をめぐって折り合えなかった協議をなんとかまとめたいと、党代表の玉木雄一郎にさえ交渉過程のすべてを明かさず、打開策を探ってきた。

そんな中で、協議の内容が一部で報じられたのだ。

平野はこの日の役員会で進捗状況を報告した。これに対し、出席者からは、「聞いていない」という非難の声が出された。玉木も口を閉ざしたままだ。

「なんとかまとめたい一心で動いてきたにもかかわらず、何なんだ、これは。逐一相談しながら進めていては、まとまるものもまとまらないではないか」
やり場のない怒りで、平野は席を立ったのだった。

「機は熟した」と譲歩

その数時間後。立憲民主、国民民主の両党の幹事長、福山と平野が国会内で相対した。

この場で、福山と平野が水面下で進めてきた協議内容が白日のもとにさらされる。行き詰まった協議を打開するため、福山が、平野に対し合流に向けて正式に“新たな案”を示したのだ。

▽両党を解散して新党を結成する。
▽新党名は「立憲民主党」とし、党の略称と通称は「民主党」とする。
▽結党大会で代表選挙を行う。
▽綱領は協議して作成する。

福山は、「同じ会派で活動し、1つの政党として活動する機がいよいよ熟した」と述べ、速やかに回答するよう求めた。

立憲民主党は、これまで、立憲民主党を存続政党とする事実上の“吸収合併”を求めてきた。
両党を解散し、新党を結成するなどとした今回の提案は、平野との間でギリギリのラインを探り、立憲民主党側が最大限の譲歩をしたものだった。

これを平野は、持ち帰って検討する考えを示した。事前の役員会が険悪な雰囲気となったこともあり、党としての方針は白紙だ。
「示された内容を否定するつもりはないが、十分か不十分かは、これから議論する」

立憲民主党側からの提案に対して、平野は、党内の議論はこれからだと強調した。

始まりは1年前

ここで、両党の合流協議を振り返りたい。

合流協議の始まりは、およそ1年前まで溯る。与党に対抗するため、野党勢力を結集したいとして、去年8月、立憲民主党の代表・枝野幸男が、国民民主党などに国会の会派に加わってほしいと呼びかけた。

国民民主党などは、これに応じ、秋の臨時国会から衆参両院で会派を合流させた。

そして、臨時国会終盤の12月。枝野が再び動いた。政権奪取に向けて党を合流させたいとして、玉木らに協議を呼びかけた。

これを受けて、立憲民主、国民民主の両党は、幹事長間での協議を開始。
両幹事長は、「1つの政党になることを目指す必要性を共有した」として、党を合流させる方向で一致した。

しかし、年が明けて1月に入ると、雲行きが怪しくなる。

枝野と玉木の両代表が連日会談して詰めの調整を行ったものの、党名や政策の扱いなどをめぐる意見の違いが埋まらず、ぎくしゃくした関係が表面化した。

存続政党を立憲民主党とし、事実上の吸収合併を提案した枝野に対し、玉木は、対等な形での合流を主張。
2人は12時間にわたって意見を交わしたが折り合えなかった。

両党は、通常国会の論戦に集中するとして、いったん合流を見送った。
(当時の詳しい経緯はこちら)

通常国会が始まって…

そして召集された通常開会。当初、立憲民主党など野党側は、「桜を見る会」や、IR=統合型リゾート施設をめぐる汚職事件などで安倍政権への追及を強める戦術を描いていた。

ところが、その矢先に不測の事態が起きた。新型コロナウイルスの感染拡大だ。国会は何をなすべきか。与野党を挙げて、感染防止策や経済対策について議論することが最優先となった。

一気に「政局どころではない」という雰囲気が広がった。

その一方で、緊急事態宣言の解除が視野に入ってくると、枝野は衆議院の解散・総選挙を意識しはじめた。
「もたもたしていられない」
5月22日、枝野は、国民民主党の小沢一郎と国会内で会談。

2人は、いつ衆議院選挙があってもおかしくないとして、合流協議の再開も視野に意見交換を続けることで一致した。会談のあと、立憲民主党の幹部は、こう明かした。
「この会談はキックオフだ。合流に向けて動き出すぞ」

選挙直前に慌ただしく合流したとなれば、「野合」のそしりを免れない。解散風が本格的に吹く前に決着をつけなければならないが、1月と同じ失敗もできない。

枝野と福山は、合流を実現するための“新たな案”を練る。そして、立憲民主・福山、国民民主・平野の両党幹事長による水面下の協議が動き出した。

水面下の協議

6月23日。この日、立憲民主党は、国民民主党に初めて“新たな案”を打診した。会談は極秘裏に行われた。福山が平野に示した文書には、「両党を解散し新党を設立する」ことなどが記されていた。

旧社会党出身で、党内に強い影響力のある赤松・衆議院副議長にも事前に根回しを行い、譲歩できるギリギリのラインを示した。
「力を貸していただきたい」
福山は、この案でなんとか党内をまとめてほしいと、平野に依頼した。

その後も、両幹事長は、水面下で会談を続けた。
7月1日、6日。回数を重ねるうちに福山は、平野から党として案を受け入れるのかどうか回答が得られず、いらだちを募らせることになる。

一方の平野。文書を見せられたものの、紙は受け取れず、福山が持ち帰ったこともあり、政党間の打診だとは受け止めていなかった。

会談を重ねても、進展にはつながらなかった背景には2人の“ちょっとした”認識の違いも大きく作用した。

“表”の協議へ

こうした状況を打開すべく、枝野が仕掛けた。

7月12日。合流協議が再び動くかも知れないと、各社の取材が活発になる中、枝野は視察先の千葉市で、記者団の取材に応じ、合流協議に言及した。
「いくつかの考え方を打診しているが、何の答えもいただけていない。秋の臨時国会までには決めなければならない」

合流協議を再開し、国民民主党からの回答を待っている状態だと明かした。

そして、7月15日。冒頭で紹介した、平野が怒りをあらわにした役員会の場面へとつながる。
立憲民主党は、国民民主党側から回答してもらうため、正式に幹事長同士の会談を要請し、協議の内容も明らかにした。

この動きについて、立憲民主党の幹部の1人は、こう解説した。
「合流するならする、しないならしないで良いが、早く決着をつけなければならない。最悪なのはズルズル延びることだ」

枝野の“苦渋の判断”

にわかに活発となった合流協議。

幹事長会談翌日の7月16日、枝野は、臨時に記者会見を開いた。定例会見は原則、月一度としている枝野にとっては異例の対応だ。

枝野は、“両党を解散、新党を結成”などと提案した思いを語った。
「合流のためとはいえ、解党の手続きを取ることにはためらいがある。一方で、志を共にするすべての議員が排除されることなく、過去の経緯を乗り越えて参加できる環境を整備することが必要だ」

事実上の“吸収合併”を求めていた枝野。合流を実現するため、大幅に譲歩したことをにじませた。そして、「苦渋の判断をした」と述べて、国民民主党に早期に回答するよう求めた。

玉木からの逆提案

立憲民主党の提案を受け入れるのか、否か。
枝野の記者会見から5時間後にセットされた、玉木の記者会見に注目が集まった。
「新党として新しいスタートを切るために解党することは高く評価している」

一方で、党名については、こう提案した。
「投票などの民主的な手続きを経て決める方が、過去にとらわれず、未来に向けた新しいスタートが切れるのではないか。党名も新しく選ぶことを提案したい」

さらに、合流にあたっては、消費税率の引き下げの是非を含めた経済政策や、憲法改正についての考え方のすり合わせが必要だという認識を示した。

記者会見のポイントは、2点だ。
①党名は、投票などの民主的な手続きで決めるべき。
②合流するならば、消費税率の引き下げと憲法についての考え方を一致させるべき。
つまり、党名と政策の扱いを合流する事実上の条件として示したのだ。

玉木の発言について、立憲民主党内には「合流つぶし」だという受け止めが広がった。幹部の1人は、取材に対し、こう吐き捨てた。
「合流したくないと受け止めざるえない。消費税や憲法など追加で条件を出してくるのは信義則違反だ」

別の幹部も、怒りをあらわにした。
「野球のボールを投げているのに、ピンポン球で返してくるような対応だ。こちらが示した案をのむか、のまないか、あとは国民民主党がそれを決めるだけだ」

両党が代表、幹事長に一任

7月17日、立憲民主、国民民主の両党は、それぞれ衆参両院の国会議員を集めた会合などを開いて対応を協議。

このうち、立憲民主党の会合では、「党名は譲歩できない」という意見が多数を占め、今後の対応を枝野と福山に一任することを決めた。

一方の国民民主党内の会合。
「党名は『民主党』など、『立憲民主党』以外にすべきだ」とか、「投票などの民主的な手続きを経て決めるべきだ」という声が相次いだ。

およそ5時間にわたる議論の末、玉木と平野に対応を一任した。

国民からの正式回答

立憲民主党の提案からちょうど1週間となる7月22日。平野は、福山と再び会談し、国民民主党としての回答を文書で手渡した。

新党の設立や代表選挙を行うこと、綱領を協議して作成することには賛同するとした。一方で、党名は民主的な手続きで決めるべきだと明記した。玉木がこだわる政策のすり合わせは文書の中に盛り込まず、口頭で要請するにとどめた。「追加で条件を出してくるな」という立憲民主党側の反発に配慮した形だ。

回答を受け取った福山は、平野にこう念を押した。
「提案のうち、党名以外は賛同、党名は民主的な手続きで決める知恵さえ出せればよいということか」
平野は「それで結構だ」とうなずいた。

この結果、党名は幹事長間で、政策は政策責任者の間で扱いを協議することになった。

会談のあと、福山は記者団にこう述べた。
「ほぼ9合目近くまできているという認識だ」

党名の壁

結局、立憲民主党と国民民主党は、合流するのだろうか。

取材の実感としては、“現状では、まだまだ波が高い”と言わざるを得ないだろう。なぜなら、党名をめぐる主張の溝が容易には埋まりそうもないからだ。

立憲民主党側は、民主的な手続きを経て「立憲民主党」に決めたいのが本音だ。党名は、結党以来、安倍政権への対立軸として「立憲主義」の旗を掲げてきた党の歩みそのものを示している。

投票を行えば、新党は船出のタイミングからしこりが残ることにもなりかねない。枝野は党名について譲歩するつもりはない。

一方の国民民主党。
「投票以外の民主的な手続きはイメージできない」
玉木は、記者会見でこう述べ、党名は投票で決めるべきだと強調した。

リベラルな印象が強い「立憲」の響きは、幅広い支持を集める妨げになると考える玉木。党名は「民主党」にすべきだと周辺に語っている。
「投票を行えば、立憲民主党からも『民主党』に票を入れる議員が出る可能性がある。投票をしてみなければ分からない」
玉木の側も、安易に「立憲民主党」を受け入れる気は無い。

このように、民主的な手続きで党名を決める“知恵”は、現時点では見いだせていない。国民民主党の合流推進派の幹部は、福山の「ほぼ9合目近くまできている」という発言を念頭に、「最後の1合が酸欠になるくらいつらくて大変だ」とため息を漏らした。

協議の帰趨は

こうした現状について、枝野は、国民民主党からの回答を受けた2日後の7月24日、記者団にこう述べた。
「幹事長間で真摯に前向きな協議を進めている。交渉当事者ではない執行部の人間が外部に対してものを言うことは、まとめたくないという意思表示としか思えない」

“福山と平野の両幹事長で協議をしているのだから、玉木は口を出すな”。
分かりやすく言えば、こういうことだろう。

1月には、党首会談を重ねた結果、合流は見送られた。
枝野の発言は、“玉木とはもはや直接話し合う意味を見いだせない”という意思表示にも見える。

こうした中、福山と平野は29日も国会内で会談。合流した場合の新党の綱領と規約の検討を始めることを決めた。合流した場合に結党大会で行うとしている代表選挙の規定についても検討する。合流推進派の2人は、来たるべき日に向けて着々と準備を進めたいのだろう。慎重派の玉木に対し、合流を既成事実化することで、“外堀”を埋めようとしているようにも見える。一方、課題となっている新党の党名については、引き続き幹事長間で決め方を模索する。

立憲民主、国民民主の両党が合流するには、
▽枝野、玉木のどちらかが党名をめぐって譲歩するか、
▽幹事長間で民主的な手続きで党名を決める画期的な知恵を出すか、
いずれかが必要な状況となっている。

ただ、いずれの場合にせよ、最後に決めるのは党代表だ。
枝野、玉木両代表の決断にかかっている。
(文中敬称略)

政治部記者
奥住 憲史
2011年入局。金沢局初任。政治部では外務省担当などを経て、立憲民主党を担当。
政治部記者
米津 絵美
2013年入局。長野局から政治部。国民民主党を担当。