白ドミノ” 広島政界の激震

“仁義なき戦い”と言われた選挙から、たった1年。
東京地検特捜部は、前法務大臣の河井克行被告と、当選した参議院議員で、妻の案里被告を逮捕・起訴した。地元、広島政界の100人に、票のとりまとめを依頼して買収した罪に問われている。
法の番人である法務大臣経験者が、しかも議員夫妻がそろってという前代未聞の事態に、地元は揺れに揺れている。そして「受け取った側」の責任は…。
(五十嵐淳)

“河井事件”の衝撃

6月18日夕刻の広島市中心部。急きょ配られた地元紙の号外を受け取ろうと、人だかりができていた。
河井克行前法務大臣と、妻で案里参議院議員の逮捕を伝える号外だ。

河井夫妻をめぐっては、去年7月の参議院選挙で、陣営がウグイス嬢に法律の規定を上回る報酬を払っていたとして、秘書らがすでに検察に逮捕・起訴されていた。

そして事態は、河井夫妻みずからによる買収事件にまで発展した。票のとりまとめを依頼し、地元の地方議員や後援会関係者など100人に、合わせて2900万円を超える巨額の資金を配っていた罪で、2人は起訴された。

“仁義なき戦い”が引き金に

舞台となった参議院選挙。広島選挙区では、“仁義なき戦い”とまで言われるほど、熾烈(しれつ)な争いが繰り広げられた。(選挙について詳しくはこちら)

この争いの裏で買収が行われていた疑いが持たれている。
参議院広島選挙区の定員は2。長年、与野党が議席を分け合い、“無風選挙区”と呼ばれてきた。当時、自民党の現職は、溝手顕正。ここに党本部が2議席独占を狙い、地元の県連の反対を押し切る形で河井案里を擁立したのだ。

選挙戦は、溝手側を推す県連と、河井側を推す党本部の代理戦争ともいえる様相を呈した。

とはいえ、長年、強固な支持基盤を築いてきた県連。さらに、河井側の立候補が決まったのは、選挙直前で出遅れていた。党本部の強力な支援があるものの、当初、圧倒的に劣勢に立たされていた。

地元政界の関係者の1人は、こう語る。
「党本部に推されている手前、河井陣営には、何としても状況をばん回しようという焦りがあったんじゃろう」

現金の配布の意図は?

どういった人たちに現金が配られたのか。
配布先の地域を詳しく見ていくと、今回の買収事件の背景がさらに鮮明に浮かび上がる。

金が配られた疑いのある100人のうち、最高額は、亀井静香元建設大臣の秘書経験者で、300万円が提供されていた。亀井は、かつて県東部や北東部の自治体からなる衆議院広島6区を選挙区としていた。

河井夫妻が足場を持たない地盤だ。

このほか、40人は、地元の自治体の首長や地方議員たちだった。
40人に配られた金は、総額1680万円。このうち7割にあたる1190万円が、河井夫妻の地盤でない地域の議員ら25人につぎ込まれていた。

広島県呉市の奥原信也県議には200万円。当選12回のベテランで、議長経験もあり、県政界全体に大きな影響力を持つとされていた。

溝手顕正が地盤の1つとしていた三原市では、天満祥典市長(当時)に150万円。

河井夫妻が、県連が守る地盤をなんとか切り崩して、劣勢をはねのけようとした意図がかいま見える。

“告白ドミノ”

「河井陣営が現金を配っていた」
こうした情報は、ウグイス嬢への違法な報酬の支払いの疑惑が持ち上がった去年から地元政界でささやかれ、NHKでも関係者への取材を始めていた。しかし当時、関係者は皆、硬く口を閉ざし、語ろうとはしなかった。

河井夫妻の逮捕後、状況は一変。首長や地方議員たちが、せきを切ったかのように現金の授受を認め始める“告白ドミノ”が始まった。現金の提供が行われのは、統一地方選挙前の去年3月から参議院選挙が行われた7月にかけてだったとされている。

沖井純 広島県議 現金50万円授受

「河井前大臣から『当選祝いです』と言われ、現金が入った封筒を渡された。危ない金だと思ったので、5日後に返却した」

沖宗正明 広島市議 2回に渡り現金50万円授受

「事務所や自宅を訪れた河井前大臣から受け取った。受け取るべきではなかったと思う。返すと代議士のメンツをつぶしてしまうと思い、返す機会を逸した。家で保管したあと、生活費などに使った」

石橋竜史 広島市議 現金30万円授受

「河井前大臣の事務所で、『当選おめでとう』と言われて、白い封筒を出された。『勘弁してください』と断ったが、『2人だけの秘密だ』と言って、胸元にねじ込まれた。政権の中枢に近い河井前大臣とのパワーバランスもあり、あらがえなかった」

水戸眞悟 安芸高田市議(当時) 現金10万円授受

「河井前大臣が副議長室を訪れた際、『参議院選挙をよろしく頼む』と言って、現金を渡してきた。買収だと思って、その場で返そうとしたが、『いいから』と言って足早に立ち去った」

このほかにも、飲食店の個室や車のなかで渡されたり、ホテルのトイレのなかでポケットに現金の入った封筒を押し込まれたと受け取った側が証言するケースもあった。初対面で現金を渡されたとされるケースもあり、河井陣営があの手この手で、幅広く支持獲得に動いていた様子が見て取れる。

関係者によると、河井夫妻はいずれも、今回起訴された内容を一貫して否認し続けている。
このうち河井前大臣は、地方議員らに現金を配ったことは認めたうえで、「現金を配ったのは、統一地方選挙の陣中見舞いや、党勢拡大などのためで、票のとりまとめを依頼する趣旨ではない。妻とは共謀していない」などと話しているという。

党から1億5000万円 どう使った?

なかには、気になる証言をした地方議員もいる。

繁政秀子 前府中町議。去年の参議院選挙の際は、案里氏の後援会長を務めた。

河井前大臣から、現金30万円を受け取ったことを認め、辞職。彼女は、現金の授受を報道陣に認めた際、河井前大臣に「安倍総理から」と伝えられたと証言した。

去年の参議院選挙では、安倍総理大臣の地元秘書らが、隣県の山口から広島に入り、各企業や団体に河井陣営の応援を要請して回った。新人候補に対し異例の力の入れようだった。

また選挙の前、自民党本部から河井陣営には、溝手陣営の10倍の1億5000万円が振り込まれていた。

これについて、6月17日、自民党の二階幹事長は記者団の取材に対し、「言われているような買収資金などに使うことはできないのは当然のことだ」と述べ、党本部からの資金が、買収に使われたことはありえないと述べた。一方、菅官房長官は25日、「捜査中の案件だ」として、コメントすることを避けた。

真実はいかに。解明を求める声はやまない。

不信に拍車をかけた「嘘」

揺らぐ広島の政治への信頼。極めつけは、自治体のトップの嘘だ。
今回の事件では、広島県の3つの自治体の首長が、河井陣営から現金を受け取っていたことを認め、辞職する事態に陥った。

このうち現金150万円を受け取っていた三原市長の天満祥典(当時)は、当初は、報道陣を前に「現金は受け取っていない。これだけは固く約束する」と語っていた。しかしその後一転して、現金の授受を認めた。

その後、辞職することになるのだが、嘘をついた理由について、硬い表情でこう語った。
「河井前大臣と秘密の約束をしたと理解していたので、それを守っていた」

現金60万円を受け取っていた安芸高田市の児玉浩市長(当時)は、ことし4月に県議から市長に転身したばかりだった。当選時、児玉は報道陣を前に現金の授受を明確に否定していた。

だがその後、発言を一転。授受を認め、丸刈り頭で謝罪会見したことで、全国を騒がせた。

「頭を丸めれば済むという問題ではない。広島の恥だ」
有権者からは厳しいことばが相次いだ。

受け取っても無罪放免??

河井夫妻が起訴された一方で、現金を受け取った側は、刑事処分が見送られる方向となっている。

公職選挙法では、現金を受け取った側も処罰の対象と規定され、返金した場合も罪は成立するとされる。にもかかわらず、今回は、なぜ見送られることになったのか。

検察当局は、今回の事件は、河井前大臣が一方的に現金を渡したケースが少なくないとみられることなどを、総合的に判断したようだ。

こうした結末に、地元政界からは安堵の声も聞かれた。
一方で、「現金を返した人も、もらって使った人も同じ対応になるのはおかしい」とか、「甘すぎる」などと検察の対応を疑問視する声も相次ぎ、受け取った議員に辞職勧告決議を行う議会も出てきている。

有権者からも、「罪を犯したのが事実ならば、処罰されないのは、まるで特権階級だ」などと批判があがる。

刑事処分が見送られた場合、現金を受け取った側の責任はどうなるのか。
今回の事件での現金提供は、去年4月に行われた統一地方選挙の前後も多くあったとされ、検察の事情聴取に対し、「陣中見舞い」や、「当選祝い」として渡されたと説明する議員もいるようだ。司法に詳しい専門家は、「陣中見舞い」などの名目であっても、「妻の選挙をよろしく」などという依頼を行った実態があれば、買収罪は成立すると指摘する。一方、買収の意図が立証されず、現金を受け取ったことが政治資金収支報告書などに記載されていれば、正当な政治活動の範囲とみなされ、罪には問われない。

今回の事件が、実際に買収罪にあたるのかどうか。最終的な判断は、今後の裁判に委ねられる。ただ、それでも、疑惑を招いた政治的、道義的責任は免れないという声は根強い。市町の議員らが次々と辞職をする“辞職ドミノ”の動きもある一方で、現金を受け取った議員を多く抱える県議会では、記者会見すら開かず、黙って“時がすぎるのを待つ”議員も少なくない。

有権者の厳しい目線が注がれる中、責任の取り方が今後も問われる。

政治資金に詳しい日本大学の岩井奉信教授は、「現金を受け取った側も、公職選挙法違反の被買収という罪にあたり、おとがめなしなのは、『もらい得』となる。これでは、法の下の平等は果たされず、有権者も納得がいかない。100万円以上などの金額で線引きをし、見過ごせないものは起訴の対象とすべきだった」と今回の検察の対応を疑問視する。

その上で、現金を受け取った側については、「政治家として何らかのけじめをつけることは必要だ。また、有権者の思っている疑惑をもっと深刻に受け止めて、きちんと納得のいく説明を1日も早くすべきだ」と説明責任などを果たす必要があると指摘する。

そしてこうも語った。
「今回はたまたま広島で問題になったが、全国どこにでも起こりうる問題で、氷山の一角に過ぎないのではないかと見る向きもある。この事件を、政治のあり方や選挙制度そのものを、もう一度、根本から見直すきっかけにすべきだ」

“仁義なき戦い”の果てに

参院選で敗れた溝手顕正を推した、自民党広島県連の副会長で、県議会の中本隆志議長は、事件を受けて次のように語った。
「『“保守分裂”は、地元の組織に亀裂が入り、禍根を残す』と訴えた地元の声を無視し、案里氏を擁立した自民党本部にも多大な責任がある。きちんと説明してもらいたい」

県連内にも、政権や党本部の責任を問う声がくすぶり続ける。
「今回の事件は、河井夫妻だけが責任を問われて終わる話ではない。振り回した党本部の責任だ」
「党本部から河井夫妻に振り込まれた1億5000万円はいったい誰が判断し、どういう意図があったのか。説明が必要だ」

“仁義なき戦い”とも言われた激しい選挙戦の裏で飛び交った巨額の資金。熾烈な選挙戦が広島県政界に残したのは、修復不能な亀裂、深い疑惑の渦、そして、かつてないほどの政治不信の高まり。ただそれだけだった。

ある地方議員は、こう語った。
「広島のまちを覆った黒く深い霧が晴れるのは、相当な時間がかかるじゃろう」

(文中敬称略)

広島局記者
五十嵐 淳
2013年入局。横浜局、山口局を経て、広島局。現在、行政や選挙の取材を担当。