業要請 水面下の攻防

「散髪には行っていいの?」
「居酒屋で飲み会はやっていいの?」
緊急事態宣言を受けての休業要請の検討に、いち早く着手したのが東京都の小池知事。しかし宣言が発出された7日には要請対象は示されず、10日になって具体的に公表した。
この間、いったい何が起きていたのか。都と国の1週間の「攻防」を振り返る。
(成澤良)

変わった休業要請の対象

国の「緊急事態宣言」を受けて、東京都が出した“休業要請”。
まずは当初の案と、10日の確定版の違いを見ていただこう。

「基本的に休止を要請する施設」の分類が変更になり、当初は休業を要請するとしていた理髪店は対象から外れた。

また、食品や医薬品などの生活必需品の売り場を除いて、百貨店、マーケット、ショッピングモール、ホームセンターにも休業を要請するとなっていたが、確定版では、具体的な業種や施設は明記されず、生活必需品の販売以外の店舗には休業を要請するという内容になり、ホームセンターなどは営業できるようになった。

居酒屋は、当初、休業要請する方針だったが、国との協議の結果、休業要請はせず、営業時間を朝5時から夜8時まで、酒を提供する時間は夜7時までとすることになった。

当初案から確定版が公表されるまでの「空白の期間」に都内各地でさまざまな混乱が発生した。
私が通っている馴染みの理髪店の店長からも、「とりあえずは数日間、営業時間を短縮して様子を見る。あとは、小池知事や安倍総理大臣の発表を見守るしかないね…」と不安の声が聞かれた。

こういった「うちの店は対象になるの?」という問い合わせは、公表後、都のコールセンターに殺到。都は急きょ、休業を要請する具体的な業種や施設の一覧をさらに細分化してホームページに掲載した。
(東京都を含む7都府県の休業要請などのまとめはこちらのリンクから)

4月6日(月)から10日(金)までの間に何があったのか?

ひそかに用意した案

4月6日(月)
「安倍首相『緊急事態宣言』あすにも出す方向で最終調整」
「首相、緊急事態宣言へ」
メディア各社が一斉に報じたこの日の午後、小池の姿は、閉会中の東京都議会の一室にあった。

翌日の宣言発出を前に、都知事の権限で実施する措置=「東京都緊急事態措置」の案の内容を、都議会の各会派の代表に説明していたのだ。

都内での感染者の急増に危機感を抱いていた小池。前日5日に出演したNHKの番組でも、
「国家としての決断が今、求められているのではないか」
「国家としての法的なサポートをぜひともお願いしたい」
と、安倍に緊急事態宣言を出すよう、強く促すような発言をしていた。

宣言が出されれば、法律の裏付けがある中で、それまでの「お願いベース」から1歩踏み込んだ形で、都民や事業者に、外出や営業の自粛を要請・指示することができる。

小池は、ひそかにあたためていた「東京都緊急事態措置(案)」を都議会に説明した。

都議会への説明を受けて、都の案の内容を各社が一斉に報じ、事実上、公表された状況になった。
都庁担当の記者たちは、「あとは知事の記者会見での“正式”公表を待つばかり」と、準備を進めていた。

始まらない記者会見

しかし、その記者会見がいっこうにセットされない。

当初の想定は午後5時。それが二転三転し、最終的には午後9時半からとなった。

そこで私たちはさらに驚かされた。
公表される予定だった休業要請の対象となる具体的な業種や施設が、「国と調整中」であることを理由に示されなかったからだ。

何か想定外の事が起きている――

記者会見終了後、都の幹部から情報が寄せられた。
「都の要請の基準に対し、国から『厳しすぎるので、もう少し対象を緩くして欲しい』という意見があり、調整している」

国が「待った」

翌7日。
国会では、正午から衆議院議院運営委員会が開かれていた。
安倍とともに委員会に出席していたのは、新型コロナウイルス対策の特別措置法を担当する西村経済再生担当大臣。その答弁が、前日に抱いた疑問への答えを示した。

「理美容、ホームセンターはいずれも、私たちが安定的な国民生活を営む上で必要な事業であり、継続して事業ができるように考えている。小規模で身近なところでやっておられる理容室は、利用制限の対象とすることは考えていない。ホームセンターについても考えていない」

すでに報じられていた都の当初案を真っ向から否定したのだ。

午後8時。
宣言発出についての安倍の記者会見はまだ続いていた。そのさなかに小池は記者会見を開いた。

しかし、そこで示されたのは、徹底した外出自粛の要請の話のみ。前日に続いて、休業を要請する具体的な業種や施設は公表されなかった。

小池らは「国と調整中」と繰り返した。休業要請に関して、唯一、公表されたのは、スケジュールだった。
「4月9日までに都として成案を得て、外出自粛の効果も踏まえながら、10日の発表、11日の実施というスケジュール感でいきたい」

都が目指していた、宣言の発出と同時に休業を要請するという当初のスケジュールを断念した瞬間だった。
実はこのとき、すでに都は、抗うことが難しい「あるもの」を、国から突きつけられていた。

攻防の「引き金」は

それは、国の「基本的対処方針」だった。
「基本的対処方針」は、特別措置法に基づいて「政府対策本部」が策定する。対策の実施に関する重要事項を盛り込むことになっている。

国は7日の「緊急事態宣言」にあわせて、これまで発表していた「基本的対処方針」の“改正版”を公表した。
この“改正版”に加わった新たな記述こそが、都と国の攻防の引き金になった。

1つは、「休業要請は、都道府県が国と協議の上、外出自粛の要請の効果を見極めて行う」という規定だ。
宣言が出されてすぐに休業を要請するのではなく、外出自粛の効果を見極めた上で、休業を要請する場合は、必ず国の理解も得てください、という内容だ。

外出自粛の効果を見極める期間は、一般的には2週間だ。速やかに休業要請ができない内容だった。

2つ目は、都が休業要請の対象に考えていたホームセンターや理髪店などに対し、事業継続を要請するという内容だった。

いずれも東京都がやろうとしていた対応とは正反対の内容。

政府関係者の間では、「基本的対処方針」で事業継続を求める「理美容」について、都の当初案では、「理髪店」の記述があるのに「美容室」の記述がないことで、混乱に拍車がかかったという指摘も出ていた。

「都の案のあとに出された“改正版”の内容は、『都を暴走させない』という国のメッセージだ」
都の幹部は、そう受け止めていた。

他府県の知事、同調せず

翌8日午前。
西村と「緊急事態宣言」の対象となった7都府県知事が参加するテレビ会議が行われた。
この会議での出席者の発言が、小池にさらに追い打ちをかける。

神奈川県の黒岩知事。
「小池知事は外出の自粛要請と同時にやらないと実効性がないと言うが、補償の措置がないままに制限をかけた場合にどうなるのか。『協力金』を出すと言ったようだが、われわれは東京都と財政規模が全然違うし、なかなか追いついていくことはできない」

黒岩以外にも「休業要請を行う場合、補償の問題を避けては通れない」という発言が相次いだ。

政権中枢から

関係者によると、この日の午後、政権中枢からも小池に直接、電話があったという。
「休業要請の対象を公表するのを、2週間待って欲しい。きょう都心部の繁華街は、あちこちですでに店の9割が閉まっている」

都幹部は、こう呟いた。
「店が閉まっているのは、都の案が報道を通じて世の中に漏れ伝わったからだ。小池が記者会見で4月10日の公表を表明したのに、『2週間待て』というのは、根拠もはっきりしないし、2週間後も感染拡大が続いていたら手遅れだ」

政府内では、小池が「ロックダウン」=「都市の封鎖」という強い言葉を使ったことが都民や国民に過度な不安を抱かせたとして、いきなり緊急事態宣言を発出したり、休業要請を行ったりすれば、パニックが起きかねないと危惧する声が出ていた。国としては、経済活動へのダメージを抑えることに加え、重症患者に対応できる医療体制を整えるまでの時間的な猶予が欲しいという思惑もあった。

この日の夜遅く、小池は西村に直談判したが、合意には至らなかった。

タイムリミット

小池が「成案を得る」タイムリミットと位置づけた4月9日。

夕方になっても「合意」の1報は聞こえてこない。時刻は午後8時を回った。

小池は、メディアの声かけに応じず、足早に都庁舎を離れた。向かった先は、国会近くにある中央合同庁舎8号館、西村の大臣室だった。

このとき、小池は腹を固めていた。
「国が譲歩しないのであれば、特別措置法によらず、都独自に、事業者に休業への協力を呼びかける」
週をまたぐ気はなかった。

午後8時半ごろから1時間近く行われた会談のあと、小池は国との合意を強調した。

「危機感を共有できた。東京都として、きょうの協議をベースにして、特別措置法24条9項に基づく緊急事態措置について、詳細をあす、発表させていただく」

土壇場での決着

肝は「24条9項」だった。

【特別措置法24条9項】
都道府県対策本部長は、当該都道府県の区域に係る対策を的確かつ迅速に実施するため必要があると認めるときは、公私の団体又は個人に対し、その区域に係る対策の実施に関し必要な協力の要請をすることができる。(抜粋)

この条文が指すのは、知事の権限で行うことができる「休業の協力要請」だ。それは、国の緊急事態宣言がなくても出せる。

国との調整が必要とされる「休業要請」は、特別措置法の45条に規定されている。

【特別措置法45条2項】
都道府県知事は、緊急事態において、必要があると認めるときは、学校、社会福祉施設、興行場、その他の政令で定める多数の者が利用する施設の使用の制限、停止、その他政令で定める措置を講ずるよう要請することができる。(抜粋)

45条に基づけば、実際に「要請」を行う際に、個別の施設の管理者を特定して行えるほか、施設の管理者などが応じない場合には、より強い措置である「指示」ができる。「指示」に罰則はないが、事業者名などが公表されるので、事実上の強制力があると考えられている。

「休業の協力要請」であれ、「休業要請」であれ、法律の条文よりも、対象を公表することにこだわった小池の選択だった。

意見が割れていた、要請の対象についても、決着した。

「寝泊まりしている人が行き場を失う」と懸念が出ていたネットカフェへの要請をめぐって、都は、ビジネスホテルなどを無料で提供することと引き換えに、国の理解を得た。

居酒屋などの飲食店への要請をめぐっては、感染者が相次ぐ、都内の夜の繁華街への対策の重要性を共有し、休業は要請しないものの、営業時間などの短縮はやむをえないという譲歩を引き出した。

ただ政府関係者の間では、決着後も小池への批判がくすぶっている。
「『24条9項』による『休業の協力要請』であれば、緊急事態宣言を待たずに、特別措置法が成立した段階で都独自に行うことが可能だったはずだ」

「社長」から「中間管理職」

10日午後2時、小池の定例記者会見。
小池は予定通り、休業の協力要請の対象を公表した。同時に、独特の言い回しで、国を批判することも忘れなかった。

「地域の特性にあわせた対策を決める権限は、それぞれの都道府県知事に与えられたもので、代表取締役社長かと思っていたら、天の声がいろいろと聞こえてきて、中間管理職になったような感じだった」

このあと、ほかの6府県の知事も続々と“休業要請”を行う考えを明らかにした。

都は、休業などの要請に全面的に協力してくれる都内の中小企業や個人事業主に支給する「感染拡大防止協力金」を創設し、店舗などの数に応じて、50万円または100万円を支給することになった。
都としては、休業に伴う損失は補償できないとしつつも、協力金を通じて事業者が都の要請に応じやすい環境を作ることがねらいで、中小企業などの協力も得ながら、要請の効果を高めたいとしている。

都以外の宣言の対象となった府県からは、厳しい財政事情を理由に、都と同様の対応は難しいという声もあがっているが、福岡市のように、家賃補助などの独自の支援策を打ち出すところも出てきた。

一方で政府内では、「休業しているかどうかをどうやって確認するのか」「仮に1つの事業者に対して補償することになれば、そこと取り引きしている事業者の損失はどうするのか」など、混乱なく協力金の制度を運用できるのか、疑問視する指摘も出ている。

国は、雇用調整助成金や給付金、交付金などによって、経営が落ち込んだ中小企業を支援する方針で、休業要請への理解をどこまで得られるかが今後の課題となる。

本当に功を奏すのは…

13日の衆議院の委員会。
野党議員から、「危機管理は、最初に大きく網をかけて厳しく対策を打ち出すのが基本で、戦力の逐次投入は失敗の原因だ」と批判された西村は、こう答弁した。

「今回の法律は、私権の制約を伴うもので、とられる措置は必要最小限でなければいけない。法律の規定以上、必要な措置以上に幅広く網をかけて大きくやることを容認するわけにはいかない」

小池は、8日の全国知事会の緊急対策本部で、
「今回は災害と違って見えない敵との戦いだ。東京は人口も多く、感染した患者もほかの地域とひと桁違う。地域の特性にあわせた対応を取っていきたい」
と訴えた。

史上初の「緊急事態宣言」の期間は5月6日まで。
感染拡大の防止に何が有効だったのか、終息が見通せない中ではあるが、検証を続けていきたい。
(文中敬称略)

首都圏センター記者
成澤 良
2004年入局。神戸局、政治部を経て18年から都庁担当。趣味は大学までプレーしていた野球、スポーツ観戦、減量。