録 令和の阿波戦争
 

新型コロナウイルスの感染拡大で、総裁のいすはどうなるのか?
永田町では、「ポスト安倍」への影響に関心が集まる。そんな中、候補の1人・自民党元幹事長の石破茂が率いる派閥の議員どうしが、四国・徳島で、激しく争う「阿波戦争」が勃発した。
なぜ、こんなことになったのか。その背景を追った。
(関谷智、伊藤一馬、西浦明彦、黒川明紘)

同志だったはずが

今月5日に投票が行われた徳島市長選挙。
64歳の現職・遠藤彰良が、2期目を目指したのに対し、まちづくり団体代表の36歳の内藤佐和子が挑む構図となった。

遠藤を支えたのが、衆議院徳島1区選出の後藤田正純(当選7回)。

一方、内藤を支援したのは徳島市を地盤とする衆議院比例四国ブロック選出の福山守(当選3回)。

後藤田、福山ともに、自民党石破派に所属する。2年前の総裁選挙では、2人とも石破の支持拡大に力を尽くした同士だ。

「ポスト安倍」候補の石破茂を支える石破派は19人。総裁選挙にも立候補するのに必要な推薦人20人にも満たない小派閥内で同士討ちの形となった。

伏線は長く…

伏線は6年前に遡る。2014年の衆議院選挙区の0増5減で徳島県の選挙区は3から2に減った。

このとき、旧徳島3区の後藤田正純が再編された徳島1区に回った。

一方福山は旧徳島1区から比例に転じた。福山は以後2回の選挙で比例順位が優遇され、選挙区の後藤田とすみ分け、それぞれ順調に当選を重ねてきた。


しかし、「比例優遇は2回まで」というのが自民党のルールだ。福山は、次の衆議院選挙では選挙区での立候補を模索。徐々に後藤田と溝が生じ始めた。対立が決定的になったのが、去年4月の徳島県知事選だ。

5期目を目指す現職を、福山をはじめ自民党県連の主流派が支援したのに対し、後藤田は多選批判を掲げて、県連の方針に真っ向から立ち向かう形で、元県議会議員の新人を支援。結果は、現職が3万6000票余りの差をつけて圧勝。しかし、徳島市だけを見てみると、現職が4万4940票、新人が4万4168票と、僅か772票差の大接戦だった。

この結果に、後藤田氏は「事実上、現職の敗北だ」と吠えた。

決心の表れ

現職の徳島市長、遠藤彰良が2期目を目指して立候補することを市議会で表明してから、およそ1か月後の1月25日。徳島市で開かれた自民党徳島県連会長の山口俊一のパーティーに、福山の姿があった。

福山は、徳島市長選挙に立候補を表明した内藤佐和子を連れて回り、知人に紹介して回っていた。これを見ていたある関係者が、こうつぶやいた。
「福山はもう決心を固めたんだな。(徳島)1区に回った時に、やはり後藤田が付いている遠藤だとやりづらい。今のうちに内藤を世話してうまくやろうとしているんだ」

徳島市長選挙が次の衆議院徳島1区の「代理戦争」の様相を帯びることになった。

火ぶた切る

3月29日、告示日。
徳島市は、前日の雨も上がって、日差しも降り注ぐ朝となった。

新型コロナウイルス感染防止のため、双方の陣営とも、出陣式には積極的な動員はかけず、集まった人の数もさほど多くは無かった。

もちろん、内藤の陣営には福山、遠藤の陣営には後藤田の姿があった。

福山は「市民や県、国と話し合いをしていただき、内藤さんが、ふるさとを支えていただける人だと思っている」と、県と対立している遠藤を暗に批判し、県と市の協調路線を掲げる内藤にエールを送った。

一方、後藤田は「既得権のやからを、遠藤さんとともに、完膚なきまでに、たたきつぶさないといけない」と、遠藤のもとで改革を進めると叫んだ。

地元の声だ

新型コロナウイルスの感染拡大への懸念が広がる中、選挙戦では、大きな集会の開催は見送られた。

しかし、水面下での戦いは激しさを増していた。

福山は、企業への電話作戦を続けていた。徳島市議会議員を1期、その後、徳島市を選挙区とする県議会議員として6回連続当選するなど徳島市内で長年活動し、地元の企業にも顔が広いことをいかす。「福山は、模様眺めの企業に対し、どのタイミングで電話を掛ければ、票に結びつくかを知り尽くしている」と、周辺は記者に自信ありげに語った。

派閥の長・石破氏を総理大臣にするべく一枚岩にならなければならないときに、福山氏はなぜ同士討ちの道を選んだのか。


福山は記者にこう説明した。
「同じ石破派ということですごく悩みましたよ。ですから、どうすればいいのか石破会長ともお話しさせていただいた。中身は言えませんが、とにかく、地元からは私に徳島1区から立候補してほしいという要請が強いということです。私は政治家として、故郷のことを考えて行動してきましたから。かといって、派閥のことを考えていないわけではありません」

くだらない権力争いだ

一方、後藤田は、選対本部の全体を仕切った。


後藤田氏の事務所のスタッフが、遊説場所の選定や選挙カーのコースまで、きめ細かく指示を出し、集会が開けない中で、少しでも多くの有権者に訴えかける作戦を重ねた。

選挙期間中のある日、後藤田に直接取材した。

福山氏について、「結局、自分のことしか考えていない。政党のこととか、派閥のこととか考えていない」と批判。そして、こうつぶやいた。

「これは『令和の阿波戦争』だ」

「阿波戦争」とは、昭和49年の参議院選挙で勃発した徳島での激しい選挙戦。

当時の田中角栄総理大臣を後ろ盾にした後藤田の大叔父にあたる後藤田正晴(後の副総理)。

後藤田と激しく争ったのは三木武夫(のち総理大臣)の派閥議員だった。

後藤田正晴が落選したが三木派と後藤田派に分かれての対立が続いた。

後藤田は、苦々しく、ことばを続けた。
「石破派は、自民党の良心、救世主だ。石破自民は大きな選択肢だ。何十、何百と増やして大きなうねり、流れを作らなければならない。石破派が徳島で1つ減ったところで、どうということはない。
徳島の中で、こんな下らない権力争いをしていること自体が疲れる」

だが、「阿波戦争」には、強い自信をにじませた。
「申し訳ないが、次の衆院選は福山さんと野党系の候補を足しても、僕が上。いつでもおいでという感じだよ」

投票日前日の4月4日。


自民党県連の会議が開かれた。会議の席に並んだ後藤田と福山は、平静さを装うものの、表情はお互い憮然。そして、後藤田氏は早々に会場を後に。

県連会長で、麻生派の山口俊一は、「ご不満があるんでしょうね」と突き放した。

憎しみでふるさと壊すな

そして5日の投票日。サクラが満開となった徳島市では、穏やかな春の日和となった。その日の夜、軍配が上がったのは、福山が推した内藤佐和子だった。

全国で史上もっとも若い女性市長となる。票差は2000票足らず、率にして2ポイントほどの大接戦だった。内藤のそばには満面の笑みの福山がいた。

取材に対して福山は「私自身もかつて地元の選挙区でしたし、市議会議員も県議会議員もやってたんで、地元のみなさんから、どないかして市長さんは代えたほうがいいんじゃないのという声が、やっぱり多かったですね」と語った。

そして、派閥のことを聞かれると…
「石破派同士の代理戦争と言われたが、私自身はそういうことは意識してない。いろいろな意見の衝突はあるが、やはり政党はそういうものでなければならない。結果は出たのだから、憎しみ合ってふるさとを壊しちゃいけない」
かつて自身もやっていたラグビーになぞらえて「ノーサイド」を強調した。

決着済みだ

一方、敗れた遠藤彰良を支援した後藤田。くやしさをにじませつつこう述べた。「今回の選挙は自民党分裂ではない。市政について意見の違いがあっただけだ」。

そして、語気を強めて福山氏を強く牽制した。

「2014年に徳島の選挙区が再編されるときに、党本部や県連、私や福山氏が書面にサインをした。私が1区、福山氏は比例、というものだ。これは大変大きなもので、政治家としての約束だ。自分の言ったことには責任を持ってほしい」

真っ二つに


NHKが当日、投票した人を対象に行った出口調査では、自民党支持層の投票先は、真っ二つに分かれていた。

石破派どうしの「代理戦争」とも言えた今回の徳島市長選挙。市長選は終わったが、衆議院選挙に向けた福山と後藤田の争いは激しさを増すことになりそうだ。

高知でも

一方、同じ四国の高知。こちらでも石破派の議員が厳しい立場に立たされている。

県西部の高知2区は、石破派の山本有二のお膝元。


当選10回、2度の大臣経験もある山本が長く地盤としてきた選挙区に、去年8月、知事だった尾崎正直が殴り込みをかけた。11月の知事選挙には立候補をせず、次の衆議院選挙で高知2区から、しかも自民党から立候補したいと表明したのだ。

尾崎が強気に出る理由は明確だ。強いリーダーシップで県政運営にあたり、県民からの人気も圧倒的だからだ。さらに、もうひとつ。尾崎は、自民党の二階幹事長との関係も深いのだ。

一方の山本。前回の衆議院選挙では、野党統一候補に大差で敗れた。辛くも比例代表で議席を確保したものの、地元からは、次の選挙で本当に勝てるのかと、不安の声も出ていた。こうしたことも踏まえ、去年11月、自民党高知県連は、尾崎を高知2区の公認候補として擁立したいという意向を、党本部に上申。このまま選挙区を尾崎に譲ることになったら、山本にとって残される活路は、比例での優遇だ。

しかし、県連幹部は、難しいという見方を示す。というのも、四国ブロックでは、比例名簿2位まででないと、当選は確実に見込めない。だが、高知県からは、二階派の福井照が比例で優遇されている。さらに、こう指摘した。
「安倍政権を非難してきた石破派の山本を優遇すると、自民党として結束のほころびにつながる。党員に示しがつかない」

どうする石破

四国の状況に石破茂はどう対応するのか。高知問題で石破は動いた。

3月上旬のある日の午後、自民党本部での会議に出席したあと、4階にある二階幹事長の部屋に入ったのだ。

「非主流派」である石破が、幹事長の部屋に入ることはとても珍しい。15分ほど滞在し、幹事長室を出た石破は、「いろんな話をした」とだけつぶやいて、党本部を後にした。

関係者への取材によれば、二階と石破は、高知の問題の解決に向けて、お互いに協議していくことで一致したということだった。

一方で同士討ちの徳島には苦悩がにじむ。石破に徳島市長選の結果を受け記者が質問をぶつけても「徳島市民の選択にあれこれ言える立場ではない」とコメントするのが精一杯だった。

石破派の議員は石破の対応に注目している。
「ただでさえ少ない派閥だ。1人でも仲間を失うことがどういうことか、一番わかっているのは石破会長だろう。ここでしっかりと対応できなければ、ポスト安倍以前の問題だ」
「みんな何も言わないが、会長の動きを見ている。もっと表で動いて、自分の動きをアピールすべきだ」

一方、党内の他派閥からは、「これから総理になろうとしている人が、自分のところの派閥のいざこざも収められなく大丈夫なのか。大変なことだとは思うがね」と冷ややかな声があがる。
党幹部の1人は、「派閥内で話をまとめるべきだ。党本部が間に入って調整するものではなく、あくまで石破派の問題だ」と突き放した。

ポスト安倍の試金石に

「ポスト安倍」を聞く各種調査では、必ずといっていいほど上位に入る石破。過去2回の総裁選挙では党員票は善戦したものの国会議員票で遅れを取った。

ポスト安倍を目指す上で党内基盤の強化が、克服しなければならない最大の課題だ。
(文中敬称略)

※徳島市長選挙 詳しくはこちらの特設サイトもどうぞ

徳島局記者
関谷 智
2015年入局。初任地が徳島で6年目。
市長選で後藤田氏などを担当。留学経験
があり中国語も堪能。外国人問題に関心
徳島局記者
伊藤一馬
2015年入局。北九州局を経て201
9年から徳島局勤務。市長選では福山氏
などを担当。教育福祉取材にも注力。
高知局記者
西浦 明彦
2005年入局。さいたま局 首都圏
センターなどを経て2017から高知局
勤務、県政キャップで自民党担当。
政治部記者
黒川 明紘
2009年入局。津局、沖縄局を経て政治部へ。現在は自民党石破派を担当。趣味はサッカー観戦。