10万円が、届かない!?

現金10万円を、全ての人に!
新型コロナウイルスで暮らしに大きな影響が出ていることで、急きょ始まったこの対策。早い自治体ではすでに給付を始めている。
ところが、その10万円が届かない人がいるかも知れないのだ。
私がそのことに気付いたのは、なんと「選挙」の取材からだった――
(鵜澤正貴)

多数の“宛先不明”

今年1月。私は選挙制度に関する取材で、東京・荒川区役所6階にいた。かがまないと頭がぶつかってしまうほど、天井が低い倉庫の奥、そこに目的の段ボール箱はあった。

ふたを開けると、中には封筒がぎっしり詰まっている。

その封筒には「投票所整理券」が入っていた。去年夏の参議院選挙の際、荒川区選挙管理委員会が区内の有権者に発送したものの、宛先不明で戻ってきてしまったものだ。

その数、1674通。郵送した全体の1.59%にあたる。やっぱりこんなにも…予想した通りだった。

「投票所整理券」は、選挙の投票日や投票場所などを有権者に知らせるため、選挙管理委員会が郵送する。この整理券を持って投票所に行ったという人も多いだろう。

しかし昨今のこの低投票率、もしかしたらこれが届かず、地元で選挙があることさえ知らない人がいるのではないか。デスクとの会話の中でそんな疑念が浮かび、自治体を取材した結果だった。
荒川区だけで、1674世帯に渡っていなかった。全国なら、どれだけにのぼるか――

なぜ届かないのか?調査に同行

しかしそれにしても原因は何だ?
郵便物が届かないということは、宛先の住所に住民が住んでいないということなのか。

荒川区は、戻ってきた投票所整理券の情報をもとに、住民票を担当する戸籍住民課が居住実態の調査を行っているという。ならば取材させてもらいたい。個人情報には十分に配慮する、という条件で同行を認められた。

2人の職員が向かったのは、整理券が戻ってきたいずれも1人暮らしの住居。高齢男性が住んでいるはずの一戸建ての住宅は、郵便受けにテープが貼られ、郵便物が入らない状態になっていた。

近所の人に話を聞くと、しばらく前から不在になっているということだ。あらためて後日に再訪する方針が決まった。

次はアパート暮らしの中年男性と女性。表札もなく、中の様子はうかがえない。判断は難しく、郵便受けに連絡を求める紙を投函。連絡を待つことになった。

さらに別のアパートへ。目的の部屋に住んでいるはずの中年男性の姿はなく、すでに新しい住人が生活していた。

男性は、アパートを退去してからそれなりの時間が経過していると判断された。新しい住人から、中年男性がここには住んでいないということを一筆書いてもらう。この場合、荒川区は男性の住民票を削除することができる。法律によって、自治体は居住実態に合わせて住民票のリスト=住民基本台帳を整備することになっているからだ。

担当職員はこう話した。
「住民票の削除は非常に重い判断なので、ここに住んでいないという確証が得られなければ、できません。確認作業は慎重に行います。確証が得られない場合は、保留となり、何年も保留となったままの人もいるのが実情です。近年は、単身の高齢者が体調を崩して入院したり、施設に入所したりして不在となるケースも増えている印象です」

男性は住民票を移すことを忘れているだけなのだろうか、それとも…。
何にせよ、住民票は国民健康保険や国民年金など、重要な行政サービスの基礎になるもので、失うと適切なサービスが受けられなくなるおそれがある。さらには、選挙で投票する権利もなくなる。

では10万円給付も受けられないのでは?

ここでハタと気付いた。
まさにいま、投票所整理券と同じように、住民票のデータを元にして郵送されているものがあるじゃないか。
そう、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて行われる現金10万円の一律給付の申請書だ。

市区町村が原則、世帯主宛てに家族分の申請書を送る形式も同じだ。マイナンバーカードを持っていればオンラインでの申請も可能だが、多くの人は受け取った申請書に金融機関の口座番号を書き込み、自治体に送り返すことになる。

多数の投票所整理券が自治体に戻ってきている現状では、10万円給付の申請書も戻ってきてしまうことだろう。

今回の10万円の給付は、4月27日の時点で住民票がある自治体から申請書が郵送される。
例えば、転勤で引っ越したものの仕事が忙しく、つい転出や転入の届け出が遅くなってしまい、前に住んでいた自治体に住民票が残ったままになっているような場合は、その自治体に申請が必要だ。申請書が届かない場合、総務省は元の自治体に相談してほしいとしている。

しかし、住民票を失っていれば、申請書が届かないどころか、そもそも10万円給付の対象にすらならない。

自分が自分でないような感覚

取材を進め、以前に住民票を失った経験があるという男性に話を聞くことができた。
男性は千葉県市川市在住で60歳。

友人と経営していた会社が倒産し、アパートの家賃が支払えなくなった。布団や服など、最低限、必要なものだけワゴン車に積み込み、車の中で寝泊まりする生活になったという。その期間は3年8か月にも及んだ。

ハローワークで仕事を探したところ、すでに住民票が削除されていることが判明した。住所がないことで、なかなか仕事が見つからなかったという。

男性が振り返る。
「住民票がなくなっていると知った時は、自分が情けなくて、もう何もできないんじゃないかと、あぜんとしたのを覚えています。自分が自分でないような感覚でした」

住民票は「復活」できる!

やがて男性は、生活困窮者への炊き出しを行っていたNPO法人の助けでアパートを借り、住民票を“復活”させることができたという。今回の10万円の給付の申請書も届くはずだ。

「新型コロナウイルスの影響で仕事が自宅待機になり、収入が減ったので、10万円の給付はありがたいです。生活費の足しにします」

総務省は、路上生活者など、住民票を失っている人も、4月27日の時点で国内に住んでいれば、28日以降であっても自治体に相談し、住民票を“復活”させることで給付対象になるとしている。

生活再建のきっかけに

男性を支援した、NPO法人「市川ガンバの会」。

定期的に路上生活者を見回り、食料を配布するなど支援活動を行っている。今月15日に行われた、活動に同行させてもらった。

去年秋から路上で生活しているという70代の女性に会えた。女性はニュースなどの情報を得る手段はないらしく、NPO法人の職員から話を聞くまで10万円の給付のことは知らなかった。

女性は「本当に10万円をいただけるんですかね。そうであれば、ありがたいですけどねぇ」と興味がある様子だった。女性は小柄で、すでに腰も曲がっている。路上で過ごすのはしんどいはずだ。職員が「これをきっかけに住まいを見つけて、やり直してみない?」と声をかける。

しかしながら、女性は「でも、家を借りるとなると、お金もかかるでしょう。それはなかなかねぇ」と、及び腰だった。生活保護を受けるという選択肢もあるが、お金の心配よりも今の生活から抜け出すことに自信がないようだった。

続いて、長年にわたって、高架下で暮らすという60代の男性にも会えた。男性はまず、職員からの差し入れを受け取り、ありがたがっていた。

男性の住民票はとうの昔に削除されているとみられる。男性は、10万円の給付のニュースはすでに知っていた。職員が「そろそろアパートに入らないか」と誘うが、「俺はいいよ」とあきらめていた。

男性は、住民票の復活などの行政手続きを進めれば、どうしても縁を切ったはずの身内や知人とつながっていく可能性があると考えていた。そのことを恐れていた。

「古い知り合いに会いたくない」という男性だったが、付き合いの長い職員とは、最近の景気のことなど、打ち解けた様子で話していた。

見回りを終え、NPO法人の中島浩司 相談事業部長はこう振り返った。

「住民票を持たない路上生活者にも10万円を配れるようにして欲しいという意見もあります。でも、我々としてはやはり路上での生活が続くというのは心配ですので、ちゃんと住民登録をして、雨風を防げる住まいで暮らしてほしいという思いです。住民票がないと、さまざまな社会サービスを受けられない。病院にも行けないでしょう。命や健康を大切にしてほしいのです。ただ、それぞれに複雑な事情があって、なかなか生活再建に動き出せない人もいる。粘り強く支援を続け、関係を築いていくしかないと思います」

中島さんは、4月ごろから夜を路上や公園で過ごす人が多くなっているような気がすると、不安そうに付け加えた。緊急経済対策として、10万円が一律給付されるのはあくまでも「住まいがある人」だ。

最後に、中島さんが話した。

「10万円を受け取れないというような人こそ、増えてはいけない。増やしてはいけない」

報道局選挙プロジェクト記者
鵜澤 正貴
2008年入局。秋田局、広島局、横浜局を経て18年に選挙プロジェクトに。