輪マネーは何を残すのか?

2020年。特別な夏まで半年を切った。
徐々に高まる期待。一方、新型コロナウイルスの感染拡大で高まる不安。「中止」や「延期」を心配する声まで出る中、準備は進み、街は変わっていく。

何のために、莫大な費用をかけてオリンピック・パラリンピックを開催するのか。近年、その意義も問い直されている。
期待通りの開催となるのか。そして終わったあとには、何が残るのか。
(成澤良、早川沙希、中村大祐、大場美歩)

ホントはいくらかかっているの?

東京オリンピックの開幕まで150日を切った。
しかし、いまだによく分からないことがある。

「大会の経費が全体でいくらかかるのか」

東京オリンピック・パラリンピックの開催にあたり、各組織が公表している大会経費に関する数字を列挙したが、複数の仕分けや数字があって、はっきり言って、よく分からない。これらの数字を単純に足し上げて、「総費用が3兆円に達するとの指摘も現実味」と報じているメディアもある。

会計検査院と内閣官房の間では、「これだけかかっている」、「いやいや、そんなにかかっていない」といった見解の相違まで生じている。

競技会場なのに「大会経費じゃない」!?

開催都市の東京都は「大会経費」と「大会関連経費」を次のように仕分けしている。

〈大会経費〉
・恒久施設の整備やエネルギーなどの「会場関係」の経費
・輸送やセキュリティーなどの「大会関係」の経費
・自然災害による突発的な事項等が生じた場合に備える「緊急対応費」

〈大会関連経費〉
・既存体育施設の改修などの「大会に密接に関わる事業」の経費
・都市インフラの整備などの「大会の成功を支える関連事業」の経費

「大会経費」は、組織委員会・東京都・国が、「これが大会開催にかかる予算だ」としてオフィシャルに発表している数字だ。この「大会経費」こそ文字通り、東京オリンピック・パラリンピックにかかる経費の全体像ではないのか。なぜこの「大会経費」以外の費用が登場するのか。

取材を進めると、東京都が整備する競技会場のうち、
「東京アクアティクスセンター」(競泳など)

「有明アリーナ」(バレーボールなど)

いずれも新設のこれらの整備費用は、「大会経費」に計上される。

一方、既存の「東京体育館」(卓球)

ここの改修費用は、「大会関連経費」に計上されていたことが分かった。

同じ競技会場でなぜ違いが出るのか。

オフィシャルな「大会経費」が増えているという印象を持たれないために、巧みに「大会関連経費」と使い分けているのではないかと勘ぐってしまう。

東京都の担当者に疑問を率直にぶつけてみると、次のような答えが返ってきた。

「『大会関連経費』は、例えばもともとある施設について、いつかやらなければならない改修工事を、オリンピック・パラリンピックの開催のタイミングにあわせてやるだけなので、『大会経費』ではない」

結局、費用が見えないところで増えているようにも思えるが。

「大会経費」抑制の背景は

組織委員会・東京都・国が負担する「大会経費」をめぐっては、去年12月に最新の第4版予算(V4予算)が公表された。

大会の予算は、ここ4年、毎年、年末の時期に公表されている。
ただ、3年前のV2予算から、去年のV4予算まで、総額は1兆3500億円で変わっていない。各組織の負担額が変わったり、「予備費」の項目が設けられたり、変更点があるにもかかわらずだ。

スポーツビジネスが専門の早稲田大学の原田宗彦教授は、開催経費が巨額になるなど、「いまのやり方ではもう維持できない」という、IOC=国際オリンピック委員会の危機感が背景にあるのではないかと指摘する。

「オリンピック・パラリンピックの経費に対しては、都民や国民からも厳しい目が向けられている。ちょっとでも金額が上がると、『おいおい』という話になるので、『大会関連経費に仕分けようか』ということはあり得る」

一方で原田教授は、結局は大会が終わらないとはっきりしないという。

「大会経費がいくらかかるか、いま議論してもあまり意味がない。いま議論しても、大会に必要な投資は避けられないため、検証は、結局、大会後になる。予算の仕分けの話はむだとは言わないが生産的ではない。本当に予算通りに費用がかかるかどうかも、大会をやってみないとわからない」

過去の大会で「クビ覚悟だった」

それでは、直近で行われた日本でのオリンピック・パラリンピック、1998年冬の長野大会の時はどうだったのか、当時の関係者に話を聞いた。

当時、長野市長を務めていた塚田佐氏。

長野大会では、大会運営費を組織委員会、施設整備費の一部を長野市が負担していた。組織委員会の大会運営費は開催2年前の財政計画の段階で945億円だったが年々増え、最終的には196億円多い1141億円に膨らんだと話す。

「招致段階から、実施する競技の数が増え、会場が広域にわたったことが要因だ。一方で収入の多くを占めていたのはテレビ放映権など。これは大会閉会日の為替相場で決済する契約だった。長野オリンピックの3年前は1ドル79円で、そのままだと50億円の赤字となり、クビ覚悟だった」

塚田さんたちは、1ドル79円でも収益が出るよう、宝くじの収益を増額してもらうよう政府に要請するなどしたという。為替相場のニュースを見て一喜一憂していたというが、その後、1ドル128円になり、逆に50億円の黒字になったという。

招致委員会の使途不明金

一方、明らかに問題となった事案もあった。招致委員会の使途不明金が明るみになったことだ。大会招致のために使われた費用を記録する帳簿が焼却され、実態はうやむやに。県の調査委員会は、IOCへの過剰接待や9000万円の使途不明金があったと認定した。

「帳簿については、招致委員会は任意団体で、決算をして解散したあと、職員が燃やしてしまった。誰がやったかわからない。公文書みたいに何年間保存というのはなかったから」

仮に全体費用は、終わってみないと分からないとしても、こういった使途不明金などの問題を生じさせないようにすることは、いまからでもできる。

実際、今回の東京大会の開催経費については、大会後に正確な検証を行うため、組織委員会が作成したすべての文書の保管などを求める東京都の条例案を、都議会の一部の会派がいまの定例会に提出している。
東京都は、大会経費の透明化を図るため、組織委員会に対し、毎月の収支の報告も求めていく考えだ。

新型コロナウイルスの影響は

原田教授は、ここに来て新型コロナウイルスの感染拡大も、東京大会の費用に影響を及ぼす可能性があると指摘する。

「最後まで読めない費用は『セキュリティーコスト』だ。今後、聖火リレーの計画変更なども含めて、新型コロナウイルスへの対策が次々に必要になってくるだろう。人命に関わることは経費削減できない」

関係者には、最大の「費用対効果」をどのように追求していくかが問われることになりそうだ。
同時に、大会後のしっかりとした検証も求められる。

事態は刻一刻と動いている。
「中止」や「延期」を心配する声まで出る中、今後の動向を注視したい。

東京大会のレガシーは?

費用面の議論の一方、「オリンピック・パラリンピックが呼ぶ感動は、お金に代えられない」という声は根強い。さまざまなプラスのレガシー=遺産が残されることも多い。

1964年の東京大会で、レガシーとして残ったのは、主に東海道新幹線や首都高速道路の開通など、高度経済成長を引っ張る交通網も大きな1つだ。

今回の大会で、東京都は、「成熟した都市としてのレガシー」を模索している。

障害者スポーツの振興やボランティア活動の定着、交通混雑緩和にもつながる時差出勤やテレワークなど、働き方改革の取り組みまで、レガシーとして残したいというのが、都の考えだ。

長野では「負の遺産」も

一方、レガシーはプラスのものばかりではない。
長野大会の時のボブスレーなどの競技会場だった「スパイラル」はマイナスのレガシーとなってしまった1つだ。

「スパイラルについては、ローラースケートなど子どもの遊び場としてあと利用を検討したが、そり人口も少なく、難しかった」

長野市直営の「スパイラル」は、年間2億2000万円余りの維持費がかかった。このうち、半分以上を市が負担。しかし一向に利用は伸びず、将来的に多額の改修費用も見込まれることから休止になり、負の遺産と言われるようになってしまったと塚田さんは振り返る。

しかしことし2月、2030年の冬のオリンピック・パラリンピックの招致を目指す札幌市に対し、「スパイラル」を現状のまま貸し出すことで長野市と札幌市が合意。負の遺産から脱却できるか、改めて真価が問われる。

レガシーはプラスだけとは限らない。

大会のために使われた施設、整備されたもの。東京大会のあと、これらがどのように利用されていくのか。しっかりこの点も検証していかなくてはならない。

パラリンピックのレガシー

一方、パラリンピックでは、心のレガシーも生まれた。

長野県の名刹、善光寺。

長野パラリンピックでは、本堂に仮設の車いす用のスロープが新たに設置された。

本堂に障害のあるゴスペル歌手を招いて、仏教の声明(しょうみょう)とゴスペルのコラボレーションも行われた。

さらに、長野県内の車いすのミュージシャンがパラリンピックのメッセージソングをつくったり、市内のあちこちに障害者が描いた絵が飾られるなど、違った形のレガシーも生まれた。

視覚障害のある池田純さんは、長野パラリンピックを通じて、障害者の意識が変わったと話す。
「パラリンピックで海外の障害者と出会い、一般の障害者の意識も変わった。車いすでもかっこいい。バリアを乗り越えていける、たくましさはすごいと思った。自己主張できるようになった。わかってもらう努力をしなくちゃいけないと」

池田さんは、去年、長野市が大きな被害を受けた台風19号を教訓に、ハザードマップの点字訳の作成などを進めているという。

また、脳性小児まひの冨永房枝さんは、障害者が声を上げるようになったと言う。
「長野大会が残したものは『問題提起』。『声を上げていいんだ!要求していいんだ!』と目覚めた感じはあった。障害者も健常者も、互いの意識レベルが上がった」

冨永さんは30年以上、障害者と健常者の共生をテーマにした講演を続けている。
「まだ私に需要がある。需要があるということは、世の中がまだまだ変わっていない証拠。これからも続けたい」

東京都が見据えるものは

では、今回、東京都が目指す「成熟した都市としてのレガシー」とは何なのか。最も都が力を入れているのが、街のバリアフリー化だ。

1つは、道路のバリアフリー。
都は、国内外から多くの⼈が訪れる競技会場や観光地の近くを中⼼に、歩道と⾞道
の間の段差を解消したり、視覚障害者⽤のブロックを設置したりしている。開会ま
でには都道の90キロでバリアフリー化が完了する⾒通しだ。

2つめは、駅のバリアフリー。
競技会場近くの駅や、空港との行き来で乗り換えに使われる駅から優先的に、ホームドアやエレベーターの設置、トイレを洋式化する改修が進められている。

さらに、IPC=国際パラリンピック委員会から、世界の都市と比べて遅れを指摘された宿泊施設のバリアフリー化を進めるために、都は条例を改正。ホテルや旅館などの宿泊施設が、一定規模以上の新築や増改築を行う場合には、すべての客室をバリアフリー化することが義務づけられ、これにより、客室の入り口の幅を広くしたり、客室内の段差をなくしたり、客室内に手すりを設けたりすることが求められた。

都は、こうした取り組みを促すため、宿泊施設への補助金を増額したり、専門家を派遣したりする支援策を強化。その効果もあって、都内ではバリアフリーに対応した客室が、大会までに少なくとも2500室確保できる見通しだという。

東京大会をきっかけに急速に進む、東京の街なかのバリアフリー化は、障害者だけでなく、これから“超高齢化社会”を迎える東京への先行投資になるとも言える。

街が変われば、人の心も変わる。次世代の人たちの心に残るレガシーを東京都は目指している。

長官は「感動はプライスレス」がレガシーと…

費用、レガシー、新型コロナウイルス――

さまざまなテーマが立ちはだかる。
最後に金メダリストのスポーツ庁・鈴木大地長官に話を聞いた。

「新型コロナウイルスについては、なるべく早期に終息して、本格的な準備に入りたい。スポーツ界だけではなく、それぞれが多少痛みを伴うかもしれないが、我慢してしっかり感染の防止に協力するという姿勢が必要だろう。新型コロナウイルスへの対応を経て、いい方向に社会を変えていくきっかけにして、後世に自慢できるような大会にしなければならない」

―― 費用がどうしても議論になるが。
「オリンピックが行われた施設だから、文化施設や歴史的建造物になるという考え方もできる。さらに住民が施設を利活用して健康になったり、医療費が下がったりすれば、施設への投資なんて、あえてするものだとさえ思う」

「伝えたいのはスポーツから受けるプライスレスな感動だったり、元気だったり、そこで人生が変わってしまう人がいるぐらい影響力が大きいものだということ。経費だけが議論をされるが、実際受けたエモーショナルな部分などは、それを上回るぐらいの価値がある」

―― 長官として東京大会で残したいレガシーは。
「国民のスポーツ実施率を上げて、元気のある国にしたい。自分が選手の時は自分が金メダルをとりたいと思って、自分のためにやったつもりだが、オリンピックから帰ってきて、毎日山のように手紙をもらって。読むと『感動をありがとうございました』と書いてある。スポーツって国民にこんなに感動を届けられるんだと思った」

「1964年東京大会がすごかったなって思うのは、みんな当時の事を自慢げに語ること。そういう大会にならなきゃいけないと思うし、それぞれの人が後世に自慢できるようなシチュエーションをたくさん作って、語り継いでもらう大会にしないといけない」

果たして、ことしの特別な夏は何を私たちにもたらすのか。
いまを生きる人たちは「感動をありがとう」でいいかも知れない。ただそれだけでいいのか。
よりよい社会を期待する一方、残されたレガシーによっては、後の世代に負担を残すことになる。
ここからの道筋も追い続けたい。

首都圏センター記者
成澤 良
2004年入局。神戸局、政治部を経て18年から都庁担当。趣味は大学までプレーしていた野球、スポーツ観戦、減量。
首都圏センター記者
早川 沙希
2009年入局。新潟局、名古屋局を経て17年から都庁担当。主に東京オリンピック・パラリンピックに向けた取材を担当。
スポーツニュース部記者
中村 大祐
2006年入局。奈良局初任。政治部の防衛省担当などを経て、スポーツ庁や五輪パラ組織委員会などを担当。
長野局記者
大場 美歩
長野の地元新聞社を経て、2014年入局。長野県政や遊軍取材を担当、去年の台風19号の豪雨災害も取材。