ンクリートは人を守れるか

台風19号が各地に被害をもたらした10月。
ネット上で「よくやった」と、あるダムを称賛する声が相次いだ。

その名は「八ッ場ダム」。

かつて「コンクリートから人へ」のスローガンのもと、時代にあわない大型公共事業の象徴として、一時、本体工事の中止が宣言された、いわば「いわく付き」のダムだ。
果たして八ッ場ダムは、人を守ったのか。そして、災害が激甚化、広域化する中、公共事業やインフラ投資はどうあるべきか。取材した。
(徳橋達也)

ダムの効果はあったのか

まず、八ッ場ダムによる洪水抑止の効果について、国土交通省の担当者に聞いた。

台風19号が関東地方を襲った当時、完成間近の八ッ場ダムでは、本格的な運用を前に、実際に水をためて安全性を確認するための「試験湛水」が行われていた。

ダムから近い長野原観測所では、10月11日から13日にかけて累積347㎜の大雨を観測。この雨で、八ッ場ダムの水位は54m上昇、7500万㎥の水をためた計算だ。利根川上流にある7つのダムの貯留量は合計1億4500万㎥。八ッ場ダムだけで半分以上の水を貯めたことになる。

さて、利根川はどうだったか。茨城県稲敷市で13日に氾濫危険水位を超えたものの、氾濫には至らなかった。

利根川が太平洋に注ぐ河口沿いの茨城県神栖市では、住宅地が広い範囲で水につかった。ただ、これは堤防がないところが中心だった。

国土交通省の関東地方整備局によると、7つのダムによって水位を1m下げる効果があったという。群馬県伊勢崎市の地点では、最高4.1mの水位を観測したが、仮にダムが全くなかった場合、氾濫危険水位を超える5.1mまで水位が上がっていた計算だ。利根川水系では、堤防の決壊はなかった。

担当者は、「八ッ場ダムがあったおかげ」とまでは言わないものの、既設のダムや下流の遊水池などもあわせた効果は小さくないと分析する。国土交通省は、八ッ場ダムが利根川流域の住民の安全確保に寄与することが示されたとして、今年度中の完成を目指すとしている。

国会では、安倍総理大臣も一定の評価を示した。
「八ッ場ダムの例は、大変な財政的負担もあり、国民みんなで何世代にもわたって対応していかなければならないが、同時に後世の人たちの命を救うことにもなり、緊張感の中で正しい判断をしていくことが大切だ」

直後に八ッ場ダムに足を運んだ自民党の二階幹事長は、政権が掲げる「国土強靭化」をさらに推進する必要性を強調した。
「一定の成果を収めたと思っている。国土強靭化の実現のため、努力を惜しんではならない」

ただ、八ッ場ダムが試験湛水の状態でたまたま水位が低かっただけで、完成後も、今回と同じように貯められるとは限らない、という指摘もある。

「八ッ場ダム中止宣言」のあの人は

では、民主党政権時、国土交通大臣としてダムの本体工事中止を宣言した、あの人に話を聞こう。

いまは国民民主党に所属する前原誠司衆議院議員は、どうみているのか。

「作ったものが何らかの役に立ったということは、率直に評価すべきだ。ただ、利根川水域というのは非常に広域だから、感情的ではなく、科学的な見地で分析した方がいいだろう」

前原氏は、さらなる科学的な分析が必要だと指摘した上で、当時のみずからの判断に対する批判にこう反論した。

「仮に八ッ場ダムをやめたとしても、堤防の強化や別の遊水池をつくるなどの代替策がとられることになっていた。だから、批判は当たらない」

「私が大臣の時に本体工事に着工しなかった大型ダムは83あるが、そのうち3分の1が中止になっている。この検証の枠組みは、第2次安倍政権になってからも続いており、八ッ場ダムがきっかけで公共事業の見直しにスポットが当たったことは、むしろ良いことだと思っている」

「コンクリートから人へ」。当時のスローガンについても、今なお正しかったという認識を示した。

「別に『コンクリートがすべて悪い』と言っているのではなく、不要不急な公共事業はできるだけやらず、人への投資、あるいは既存のインフラの改修や更新にあてる方が良いということだ」

「政権交代を象徴する言葉だったので、今でも揚げ足をとられる面はあるが、私は間違ってなかったと思う」

公共事業費はどう推移してきたか

「コンクリートから人へ」と「国土強靭化」。
いずれも公共事業にまつわる政策の方向性を示すキーワードだ。

公共事業のあり方は長きにわたって議論となり、時には、政局も絡みながら大きな論争を呼んできた。ここで振り返ってみたい。

「国土強靭化」の源流とされる政策がある。田中角栄元総理大臣が、総理就任前の昭和47年に発表した「日本列島改造論」だ。

「国土の均衡ある発展」をスローガンに、都市部に集中していた予算を公共事業によって地方に分配していくことを掲げ、大きな注目を集めた。

この「列島改造論」を原動力に、公共事業は増加の一途をたどる。高速道路や新幹線、ダムなどの巨大事業が次々と進められ、特に道路整備は、田中角栄みずからが発案した特定財源による予算確保が図られた。公共事業は景気対策の一環とも位置づけられ、ピーク時の平成10年度には15兆円近くに上った。

状況が一変したのは、平成13年の小泉政権の発足からだ。「自民党をぶっ壊す」というかけ声の下で、従来の既得権益に次々とメスが入る。構造改革路線で公共事業費も毎年削減され、財源の見直しにも議論は及んだ。

道路特定財源は、その後の福田政権で一般財源化が決まった。

国土交通省の幹部は、当時の様子を次のように振り返る。
「当時は、建設大臣の汚職事件などもあり、『公共事業は悪だ』というイメージが広がってしまっていた。かつて省内では、自分の手がけた大型事業を自慢しあうような風潮があったが、いつのまにか予算の減り幅をいかに縮小するかに執心するようになっていた」

そして平成21年、「コンクリートから人へ」を政権公約に掲げた民主党政権が誕生。公共事業費の削減はさらに拍車がかかり、最も少なかった平成24年度の当初予算では、5兆円を割り込んだ。教育・科学技術関連予算や防衛予算を下回る額だ。

先の幹部によれば、役所の中は重い雰囲気だったという。
「組織改編もあって省内全体が元気がなかった。職員の採用が少なくなっていたし、新人職員は『何でこんな役所に入ったんだろう』とこぼす者もいた」

その民主党政権下の平成23年、東日本大震災が発生。
災害と公共事業をめぐる議論は大きな転機を迎えることになった。

そこで、当時の野党・自民党が掲げたのが「国土強靭化」だ。
先頭で旗を振ったのは、あの田中角栄氏を師と仰いだ、今の自民党幹事長、二階俊博氏である。

安倍政権は「国土強靭化」推進

政権の奪還後、安倍政権は「国土強靭化」に力を注ぐ。平成25年には、大規模災害に備え、広くインフラ整備を進めることを明文化した「国土強靭化基本法」が成立。総理大臣を本部長とする「推進本部」を設置し、担当大臣も任命した。

公共事業費は、平成26年度以降、当初予算で毎年6兆円をキープ。
去年の西日本豪雨などを受けて、防災・減災対策の3年間の「緊急対策」をまとめ、今年度の当初予算は6兆9000億円と5年ぶりの増加となった。

(※グラフに関しての注釈は文末に)

緊急対策では、来年度までの3年間で総額7兆円程度の事業を行うとされているが、今回の台風19号をはじめとする一連の災害で、自民党などからは対策の延長と予算の拡充を求める声が出ている。

安倍総理大臣も、国会答弁や閣議などの場で、水害対策を中心に、防災・減災、国土強靭化をさらに推進する考えを強調した。

推進派「インフラ投資こそ防災の要」

少子高齢化や財政再建という課題を抱えながら、毎年のように発生する巨大災害のリスクにも向きあわねばならない今の日本。公共事業と防災対策はどうあるべきか。「推進派」と「反対派」の有識者にそれぞれ話を聞いた。

まずは「推進派」の京都大学大学院教授の藤井聡氏。「強靭化」というキーワードの発案者とされ、安倍政権で内閣官房参与も務めた藤井氏は、インフラ投資こそ防災・減災対策の要だと強調する。

「受験勉強で努力すれば難しい大学に合格する確率が上がるのと同じで、防災対策もしっかり行えば、防げる確率がどんどん高まっていくんです。北関東や東北に比べて、南関東で堤防の決壊が少なかったのも、巨費を投じて対策が行われていたから。ハード対策をしっかりやっておくことが決壊や氾濫の確率を極端に下げていることは明白です」

インフラ投資は「ムダ」ではない

その上で、インフラ投資は財政負担ではなく、被害を抑止することで、かえって財政的にもプラスの効果を発揮すると指摘する。

「コンクリートのインフラ投資は『ムダだ』と言われるけど、そうではない。被害を軽減する甚大な効果がありますから、投資をしておいた方が財政的に得になるという傾向があるんです。だから、国民の生命と財産だけでなく、財政を守るためにもインフラ投資をもっと加速した方が合理的なんです」

長期的な財政規律改善にも

その上で、藤井氏は次のように提言する。

「災害対策は、プライマリーバランス(基礎的財政収支)規律の範囲外にすべきです。災害対策ができなくなると、巨大な被害を受けて、むしろ財政が悪化する。長期的な財政規律を改善する可能性が高いと思われるインフラ投資はどんどんやっていくべきです」

反対派「ダムは持続可能性がない」

一方の「反対派」。長年にわたって大型公共事業の抜本的な見直しを訴え、民主党政権では内閣官房参与を務めた法政大学名誉教授の五十嵐敬喜氏に話を聞いた。

五十嵐氏は、ダムや防潮堤などの治水対策には持続性の観点から疑問があると指摘する。
「ダムは持続可能性が全くない。土砂やヘドロで埋まってしまったら、治水にも利水にも全く役に立たなくなる。防潮堤にしても、100年に1度の津波に対応するなどと言ってつくってますけど、100年も持たないんですよ」

その上で、財政面から「国土強靭化」の問題点を指摘する。
「防潮堤や堤防を無制限に整備していこうとなると桁違いの金がかかる。強靭化を進めようという人は財政に限界はないという前提ですが、1200兆円を超える借金を国が抱える中、私には理解できない」

防災の名を借りた経済対策のよう

さらに建設業界などへの利益誘導につながりかねないという懸念も示した。

「国土強靭化は『命を守るためだ』と正当化しているけど、その目的以上に、『土木業界を支えたい』という方が優先なのではないかと思うんですよね。防災・減災に名を借りた経済対策のように感じるんです」

維持・管理コストは次世代への負担に

さらに、五十嵐氏は、維持・管理のコストにも目を向けるべきだと指摘する。
高度経済成長期につくられた橋やトンネルなどは、次々に老朽化しており、平成24年に山梨県の中央自動車道の笹子トンネルで9人が死亡した事故は、老朽化が原因の1つとされている。

「コンクリートで作ったものは50~60年経つと老朽化するんですよ。巨大になればなるほど維持・管理の費用もかかる。それを誰がどう負担するんですか」

「どこまでやるか」有効性の不断の検証を

「推進派」と「反対派」の主張は多くの点で真っ向から対立する。
しかし、よく耳を傾けると共通する部分もある。

1つは、防災対策には、ハードだけでなくソフト面での対策も重要だという点だ。
避難情報の伝達、防災訓練の徹底、ハザードマップの作成・周知…。
被害を減らすソフト面の取り組みは、インフラ投資の是非を超えて進めるべきだという主張は一致する。

インフラ投資をめぐる双方の主張の違いは、詰まるところ「どこまでやるか」という点に収れんする。
人の命を守るインフラが必要であることは自明だが、必要でないもの、必要性の低いものの見極め、費用対効果の視点も欠かせない。

相次ぐ災害の教訓をいかしていくためにも、今回、八ッ場ダムが改めて話題となったように、巨額を投じて整備されるインフラの有効性について、不断の検証が求められる。(了)

【公共事業関係費の推移のグラフに関する注釈】
※本表は、予算ベースである。
※「小泉政権」「民主党政権」「安倍政権」は予算編成に当たった年度を示す。
※平成21年度は、平成20年度で特別会計に直入されていた「地方道路整備臨時交付金」相当額(0.7兆円)が一般会計計上に切り替わったため、見かけ上は前年度よりも増加(+5.0%)しているが、この特殊要因を除けば6.4兆円(▲5.2%)である。
※平成23年度及び平成24年度については同年度に地域自主戦略交付金へ移行した額を含まない。

政治部記者
徳橋 達也
2000年入局。京都局を経て政治部。自民党や外務省、防衛省などを取材。経済部や名古屋局での勤務経験も。現在は官邸担当。