ウモロコシ、アベが
全部買う!」の真相とは

「安倍総理大臣がトウモロコシを買うと言ってくれた」
トランプ大統領が共同発表の場で強調したのはこのことだった。
トウモロコシ…今回の日米貿易交渉の対象ではない。
しかし、アメリカのメディアは「貿易交渉」自体よりも、「トウモロコシ」を大きく報じた。
「普通なら3年はかかる」といわれた今回の交渉。結果的には、半年にも満たず9月末には終結しようとしている。
交渉開始から取材にあたってきた記者が、その舞台裏を明かす。
(山本雄太郎)

トウモロコシは全部アベが買う!

「もしかすると、安倍総理はトウモロコシの追加購入に関する話をしたいんじゃないか」

8月25日、フランス南西部ビアリッツ。

G7サミット=主要7か国首脳会議の合間に行われた日米首脳会談のあと、予定になかった共同発表が突如、設定された。

そこでトランプは、妥結する見通しの日米貿易交渉の成果を誇ったあと、おもむろに冒頭のようなトウモロコシの話を切り出した。

「いま、アメリカには大量のトウモロコシが余っているが、中国に不公正に扱われているために、われわれは多額の支払いが必要だ。安倍総理が実際に購入すると農家が聞けば、彼らは喜ぶ。
既に生産されたトウモロコシ、数億ドル分の購入を予定していることにごく簡単に言及いただけないか」

こう、安倍に発言を促したのだ。それに対し、安倍は次のように応じた。

「害虫対策の観点から、日本としても購入が必要だ。これは民間レベルでの取り引きだが、前倒しして、緊急な形で購入をしなければならないと民間も判断をしている。だから、協力できると思う。
それ以外については、また、大統領とよく相談したいと思う」

そして、トランプは。
「日本の民間部門は公的部門に非常によく耳を傾ける。自分はよく分からないが、おそらく、アメリカとは少し異なる。(日本の)民間部門がこれに合意したと聞き、非常に嬉しい」

要するに言っているのは、
「シンゾー、『余ったトウモロコシを買う』と言ってくれ!!アメリカの農家が喜ぶから」
ということだろう。
しかし、アメリカ産トウモロコシを買うのは、日本の政府ではなく、民間の話だ。

このトウモロコシの追加購入は日米貿易交渉の対象ではない。しかし、日本でもアメリカでもニュースで大きく取り上げられた。
特に、農産物の生産が盛んなアメリカ中西部では歓迎の声が上がった。

急きょ行われたこの共同発表で、トランプ大統領はすこぶるご機嫌だった。
その理由が、関係者への取材で明らかになった。

それは、直前に行われた、打ち合わせでのことだ。

「シンゾーからトウモロコシ購入の話をぜひしてほしい」

トランプが安倍にこう持ちかけた。

日本政府関係者がトランプの胸中を読み解く。
「貿易交渉は大枠合意には至ったが、正式合意ではない。だから、その成果はまだ見えない。
トウモロコシの話なら、成果として見せることもできる」

急転直下「合意」から「署名」に

およそ5か月と、異例の短期間で妥結することになった日米貿易交渉。

その背景には、こんな動きがあった。

前述した、日米首脳会談と共同発表の間のことだ。
アメリカ側の控え室に茂木経済再生担当大臣(当時)の姿があった。

自らの交渉相手である通商代表部代表のライトハイザーと対外的な発表内容のすりあわせを行っていた。

その内容は「両首脳は9月末の“合意”を目指すことで一致した」というものだった。

これで落ち着いたか、と思った矢先だった。

「トランプがもう1度、安倍と会いたいと言っている」
その場に現れたのは、トランプの娘婿で上級顧問を務めるクシュナーだった。

政府関係者は「嫌な予感がした」という。

そして行われたのが、共同発表の前の「打ち合わせ」だ。
外務省が「2回目の首脳会談」と誤って発表したほど、イレギュラーなものだった。

その場でトランプは安倍に
「せっかくだから俺たちでこれから発表しよう。『9月末にサイン(署名)する』と言おう」
と持ちかけてきたのだ。

「合意」ではなく、「署名」。

普通の交渉ではあり得ない申し出に、虚を突かれた安倍と茂木。
2人は数秒間、目を見あわせたという。

「合意」であれば、貿易交渉の内容について、お互いの意見が一致したというだけのこと。協定文書については、おいおい事務方で中身を詰め、その上で正式にサインをすればいい。

一方、いきなり「署名」となると、事情は違う。協定文書は、一文字の誤りもなく完成させなければならない。その後、国会に提出、審議されるからだ。

法技術的なチェックも必要で、こうした事務作業に少なくとも数か月はかかり、残り1か月ではとても間に合わないというのが日本側の見解だった。

だが、トランプにそんなことを言ってもしょうがない、そう考えた茂木は即座に言った。
「総理、“署名を目指す”ならいいんじゃないですか」

安倍もその線で了解した。

“合意”から“署名”へ。トランプの一言で、交渉妥結の目標が一気に前倒しされた瞬間だった。

そして、先に述べた共同発表が、急きょ設定された。
日本側のメディアが会場に間に合わないという慌ただしさだった。

そこで打ち出されたのが、「9月末に協定の署名を目指す」という方針だったのだ。
「トウモロコシ」という“わかりやすい成果”を添えて。

成果を急いだトランプ

「今回の交渉を象徴するシーンだった」
「9月“署名”」の方針を日本側が飲み、ほとんど間を置かずに行われた共同発表を見た政府関係者はそう振り返る。

後日、茂木は周囲に、
「想定より早く進めているのに、もっとスピードを求められる」
と苦笑を浮かべて語った。

異例のスピード決着に至ろうとしている日米貿易交渉は、トランプの「早く成果を出したい」という意向に終始、振り回された。

背景にあるのは来年秋のアメリカ大統領選挙。

去年、アメリカ抜きでTPP=環太平洋パートナーシップ協定が発効。
EU=ヨーロッパ連合とのEPA(経済連携協定)も締結されたことで、アジアやヨーロッパから日本に輸出される農産品の関税は徐々に下がっている。

一方、アメリカからは関税が高いまま。日本市場でとても不利な立場に立たされているのがアメリカの農家だ。
「トウモロコシ」はまさにその象徴といえる。

再選を目指すトランプは農業分野の成果をいち早く国内に示す必要に駆られている。
日米貿易交渉と「トウモロコシ」は、そんなトランプの焦りを端的に現していた。

超強気の交渉姿勢とトランプの焦り

トランプの焦りを感じ取っていたのは日本側だけではない。
アメリカの交渉関係者こそ、もっと強く感じていたに違いない。

「とれるものはすべてとる」
超大国アメリカの伝統的な交渉方針は超強気だ。日本に対しても、それは変わらなかった。

交渉が始まった頃に話をさかのぼろう。開始から1か月がたった今年5月。

東京で行われた3回目の閣僚協議で、ライトハイザーは最初からけんか腰だった。

夜7時の開始だったこともあり、日本側は協議の合間につまめるようにと夕食に寿司を用意した。

しかしライトハイザーは一切口にしなかった。

もちろん寿司が嫌いなわけではない。
上司のライトハイザーが食べないため、アメリカ側の同行者は、誰も口にできない。

次第に乾き、パサパサになった寿司を横目に、ライトハイザーは交渉の停滞を打破すべく、日本が最も恐れていることを口にした。

「こんな感じだと、うちのボス(トランプ)は“232”を打つかもしれない。私は止められないかもしれない。『打たれたら大変なことになる』と日本国内で説明して、我々の要求を受け入れればいい」

“232”

アメリカが検討する自動車への追加関税の根拠となる、通商拡大法232条のことだ。
現在、日本車をアメリカに輸出する場合の関税率は2.5%だが、トランプは安全保障への脅威を理由に一気に25%に引き上げることも検討していた、とされる。

「車への追加関税を回避したいのなら、ごちゃごちゃ言わずにアメリカの主張をそのままのめ」
ライトハイザーから茂木への警告だった。

ライトハイザーは、レーガン政権でも通商代表部の次席代表を務めたガチガチの“タフ・ネゴシエーター”。その強硬な姿勢に泣かされた通商交渉関係者も多い。会場は緊張に包まれた。

そんなライトハイザーからの要求に、茂木は「どうぞ」と言い放った。

そして茂木は、こう言葉をつないだ。

「“232”を打つなら打てばいい。その場合、日本は誠意を持って交渉してきたのに、一方的にアメリカが“232”を打ったという事実を公にする。日本国民はきっと理解してくれる。
ところで、アメリカの農業者はそれで納得するのか?」

農産品の市場開放には応じないことを示唆した茂木のけん制が効いたのか、ライトハイザーが、それ以上、“232”を振りかざすことはなかったという。

ただ、その場にいた誰もが、手段を選ばないアメリカとの交渉は過酷なものになると感じていた。

交渉は「焦った方が負け」?

終始、トランプの顔色をうかがいながら進められてきた日米交渉。

アメリカの強硬姿勢に変化がみられたのは8月に入ってからだった。
ワシントンで行われた閣僚協議で、ライトハイザーが「急にまとめモードに入ってきた」(交渉関係者)という。

政府関係者によると、トランプは、本格的な交渉が始まった4月中旬の時点で、その月の下旬には何らかの成果を示すようライトハイザーに指示していた。

ライトハイザーは「それは無理な話だ」ということを大統領にどう納得してもらうか、説明ぶりを茂木に相談することもあったという。

その後もトランプは「5月に妥結する可能性もある」「8月に良い発表ができる」など、関係者が耳を疑うようなスケジュール感を発信し続けてきた。

「これ以上延ばせない」
ライトハイザーの焦りが、今回の早期妥結につながったというのが取材してきた実感だ。

「日本が一方的に譲る内容とはならず、国会審議に窮することはない」
めったに楽観論を話さない日本側の交渉関係者がこうつぶやき、自信をのぞかせた。

肝心の協定内容は?

長引く米中貿易摩擦。追加関税の応酬は止まらない様相をみせている。
さらにメキシコとカナダとの新貿易協定の議会承認も進まない。

友人のシンゾーがいる日本くらいは目に見える成果が必要だというのが、トランプ大統領の偽らざる心境ではなかったか。

そんなトランプ大統領の強い意向に押され、日米交渉は妥結に至ろうとしている。
ただ、協定内容の詳細は現時点で明らかにされていない。

日本政府は「日米双方に利益となる結果になる」と強調するが、日本の利益は本当に確保されたのか。トランプ大統領の顔色をうかがい、日本の不利益となる内容になっていないだろうか。

内容をつぶさに見て、じっくりと検証していく必要がある。

茂木は内閣改造で外務大臣に起用され、今回発揮した交渉手腕が評価された形だ。

いつまた、予測不可能なトランプ大統領に振り回されるとも限らないし、次も貿易交渉にとどまる保証はない。

トランプ大統領とどう向き合うか、気が抜けない状況は当分続く。

(文中敬称略・寿司の画像などはイメージです)

政治部記者
山本 雄太郎
2007年入局。山口局勤務を経て政治部。