票用紙には、◯◯も書いて

「植野」「佐野」「墨名」「沢倉」…。
これ、名前のようだが、そうではない。
候補者のそれぞれの名前の上に、並べられている。いったい何を意味するのか?
どうしてこんなものをつけることになったのか?
ありえないような、巡り合わせを追った。
(千葉放送局 金子ひとみ)

舞台は、千葉県勝浦市

「勝浦市議会議員選挙に、同姓同名の2人が立候補したらしいんだよ」

統一地方選挙後半戦で市長選挙・市議会議員選挙が告示された翌日の4月15日。
担当デスクからの電話に私は思わず聞き返した。
「同姓同名って同じ名前ってことですか?」
われながらまぬけな質問だったと思う。統一地方選の後半戦は、取材の担当がなかったため、気を抜いていた。

「こんなことはめったにないので取材しよう」
同姓同名の候補者対決。きっと現場は大混乱に違いない。
私の慌ただしい1週間はこうして幕を開けた。

「タンタンメン」の街は選挙も熱かった

千葉県南東部の勝浦市。

漁業が盛んで、漁師さんたちが仕事のあとに冷えた体を温めるメニューとして長年愛されてきた「勝浦タンタンメン」は、B級グルメブームに乗って全国区となった。

人口はおよそ1万7000人。
市長選挙は2回連続、県議会議員選挙は3回連続で無投票となるなか、市議会議員選挙への市民の関心は高い。前回の統一地方選挙では、県内の市議会議員選挙のほとんどで投票率が50%を割り込む中、およそ70%と断トツの高さだった。

ここまで同じとは…

今回の勝浦市議会議員選挙に立候補した同姓同名の候補者は、鈴木克己(すずき・かつみ)さん。
1人は3期目を目指す現職、もう1人は今年3月まで市の職員だった新人。
戸籍上は「克已」と「克己」で、間違い探しのような違いはあるものの、

日常使っているのはともに「克己」
さらに立候補にあたって届け出た名前はともに「鈴木かつみ」で、示し合わせたように同じ。

年齢は、ともに60代。髪は、長さは違えど2人ともロマンスグレー。

さらに現職の鈴木さんも元は市の職員で、2人は同じ課の上司と部下だったことも。

同じ課だったときの呼び名は「鈴木課長」と、「鈴木係長」あるいは「鈴木くん」。
肩書で呼ぶため、まわりの混乱はほとんどなかったという。
関係も悪くなかったが、思わぬ形での再会となった。

選管の難題、どう区別する?

同姓同名の候補者の票は、どう区別すればいいのだろう?

勝浦市の選挙管理委員会。
新人・鈴木さんの立候補情報を聞きつけるや、ほかの自治体の事例を調べていた。

「鈴木かつみ」以外に何か書いてもらわないと区別がつかない。
だが、公職選挙法には、「投票用紙に候補者の名前以外のことを書いたら無効」と定められている。「かっこいい鈴木かつみ」や「がんばれ鈴木かつみ」などと書くと、無効票となってしまう。

ただし、例外がある。
「職業、身分、住所、敬称の類」は書いてもかまわない。「身分」というのは、党派や年齢を指す。

「このなかから、2人の鈴木さんを区別できる最善のものは何か?」
選挙管理委員会が選んだのは、「住所」だった。

「12%」の偶然

現職の鈴木さんの住所は「勝浦市植野」
新人の鈴木さんは「勝浦市佐野」

「植野」か「佐野」で2人の鈴木さんを区別することにした選挙管理委員会。
期日前投票所に取材に行くと、候補者の一覧表に見慣れない表記があった。

「墨名」「沢倉」…候補者の名前の上に書かれていたのは、そう、住所だ。
2人の鈴木さんだけ住所を記載すると「目立ってしまい公平ではない」とのことで、17人全員の住所を記載することにしたのだという。

さて、2人の鈴木さんは…。
あった…ああっ、隣り合わせ!またしても、すごい偶然。なんてテレビ向きなのだろう。

デスクに報告すると、したり顔で数式を書き出した。
“16!×2÷17!=0.117…”
「鈴木さんが隣り合わせになる可能性は約12%だな」

高校生活なかばで数学の勉強を諦めた私には、チンプンカンプンだったが、「そうですか、すごいですね」と返事しておいた。

「うえの鈴木」対「さの鈴木」

期日前投票所に続いて向かったのは、ポスターの掲示板。
2人の鈴木さんの位置関係は、斜め隣だった。引き寄せ合う関係なのだろうか。
カメラマンが「撮りやすくてよかった」とつぶやいていた。
えー、でも分かりやすく比較するため、ここでは横に並べます!

肝心のこのポスター。
「鈴木かつみ」の名前の前に、それぞれ「うえの」と「さの」の文字。

「うえの鈴木」に「さの鈴木」。
あまり違和感を感じない気がする?
野球選手の「マック鈴木」、プロレスラーの「キューティー鈴木」、タレントの「パパイヤ鈴木」…。
「◯◯鈴木」に既視感があるせいだろうか。

名刺は手書き

現職の「うえの鈴木」さん。
前回の選挙では、17人中15位でギリギリの当選。

かつての部下が立候補するかもしれないという情報をつかんだのは昨年末。
本人に直接確認しに行ったそうだ。

「鈴木くん。本当に立候補するなら1月から活動した方がいいですよ」
「いや私は定年の3月まで勤めます」

元部下は「出る」とも「出ない」とも言わなかったが、『3月まで勤めて、わずか2週間で選挙には出られないだろう』

完全に油断していた鈴木さん。
「うえの」対策に乗り出すのが遅れてしまった。

選挙カーの看板は、前回の選挙のものをそのまま使う予定だったが、知り合いの業者に頼んで、急きょ改修した。
たしかに「うえの」の部分だけペンキの色が新しい。

選挙用の名刺は変更が間に合わなかった。
300枚の名刺に1枚1枚、「うえの」と書き加えた。

支援者にもひとりひとり、必死の訴えを続けた。
「『うえの』を忘れずにお願いします。今回は本当に厳しいんです」

「さの」だけでも大丈夫?

一方、告示直前に立候補を決めた新人の「さの鈴木」さん。

ポスターやチラシはなんとか間に合ったものの、選挙カーは用意できなかった。
タスキもないままの選挙運動だった。

「37年間の市役所勤務の経験を生かし、市議会の現状を変えたいと思った。家族の説得に時間がかかり、立候補の決断が遅れてしまった」

ただでさえ無名の新人。
しかも、候補者には同姓同名の現職がいる。明らかに不利な戦いに思えた。

だが、候補者のうち住所が「佐野」なのは1人だけ。
「『佐野』だけでも、自分の票になる可能性が高い」と、「さの」を前面に打ち出して支持を訴えた。

「疑問票」は39票

そして投票日。
開票結果は、午後11時前に発表された。

「鈴木かつみ・無所属・現」788票
「鈴木かつみ・無所属・新」241票

県内で書式が統一されている発表資料に「植野」と「佐野」の文字はなかった。

現職の「うえの鈴木」さんは当選、新人の「さの鈴木」さんは届かなかった。

どちらの票かわからない「疑問票」が大量に出ることを警戒した市の選挙管理委員会は、確認作業に前回の選挙の2倍の10人を投入した。

結局、「疑問票」は39票にとどまり、2人の得票割合に応じて配分された。
当選ラインは434票。疑問票の行方で当落が分かれることはなかった。

「勝浦愛」

選挙から一夜明けて、ふたりの鈴木さんに電話してみた。

現職の鈴木さんは、前回から260票余り伸ばして、3位での当選。
「多くの取材を受けて疲れたが、『疑問票』が少なかったのは『うえの』と繰り返したおかげかな」とホッとした様子。

新人の鈴木さん。
「選挙の難しさを知った。次回の選挙にも立候補するかは、今後の議会の行方を注視しながら考えたい」とサバサバした感じだった。

明暗が分かれた2人だったが、「同姓同名対決」となったことへの感想は同じだった。

「ニュースになり、勝浦市のことを多くの人に知ってもらう機会になってよかった」

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議員の方だけでなく、読者の皆様にも、地方議会の課題についてのご意見をいただきたいと思います。下の画像をクリックしていただけると、「ニュースポスト」が開きます。そちらにぜひ、「議員アンケートについて」などと書いて、投稿をお願いします。

【全議員アンケートについて】
NHKは、今年1月から3月にかけて、全国1788の都道府県・市区町村の議会と、所属する約3万2000人の議員全てを対象とした、初めての大規模アンケートを行いました。議員のなり手不足など、厳しい状態に置かれている地方議会の現状を明らかにし、「最も身近な民主主義」である議会のあり方について、有権者一人一人に考えていただく材料にしてもらおうというのが趣旨です。
約60%にあたる1万9000人余りから回答が寄せられています。集計結果をもとに、テレビ番組や特設サイト、そして週刊WEBメディア「政治マガジン」などで、統一地方選が終わる4月末にかけて「議員2万人のホンネ」と題したキャンペーン報道を行っていきます。

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千葉局記者
金子 ひとみ
平成18年入局。函館局、札幌局を経て社会部。いったん退職し、30年に4年ぶりに再入局。千葉県政などを担当。