たった5票でぺしぺしぺし!

5票。わずかに5票差だった。
8年前、海岸から広がるなだらかな平野を津波が襲い、岩手県では最多の1800人以上が犠牲になった陸前高田市。
津波に妻を奪われた現市長と、信じる復興の形を目指して故郷に戻った辣腕行政マンの一騎打ちとなった市長選挙は、市を二分した。
「奇跡の一本松」が見守る町で、人々はどんな未来を、誰に託したのか。
(盛岡局 舟木卓也)
※注:「ぺし」とは方言で「がんばっぺし」などと語尾に付けて強調する言葉。

あれは、初当選の直後だった

1月27日、陸前高田市長選挙が告示された。

3期目を目指す彼が最初に触れたのは、やはり「あの日」のことだった。
「8年前のこと、皆さん忘れるわけがないと思う。あの時、市民全員が絶望を感じた。悲しくて、つらくて、悔しくて。でも、私たちはあきらめませんでした。あの時の気持ちを知らない人が、陸前高田市を語るんじゃない」

戸羽太(とば・ふとし)、54歳。市議や市の副市長を経て、8年前、初当選を果たした。
大震災に見舞われたのは、そのわずか1か月後だった。

市役所の屋上から中心街が流されていく光景を目の当たりにした。
妻が行方不明となる中、小学生だった2人の息子を親戚に預け、救助・復旧活動の先頭に立った。

1か月後、妻は見つかった。妻の誕生日の翌日、4月5日のことだった。
みずからのSNSには、亡き妻への思いを毎年つづっている。

2018年4月4日
「おはようございます。今日は久美の46回目の誕生日です。
 なぜか毎年、命日以上に特別な日と感じています。
 さぁ今日もがんばっぺし!ぺしぺしぺし!」

市議時代から選挙戦を支えてくれた妻への思いは、昼食の時にもよみがえる。

「あのときは、支援者の皆さんと一緒に昼飯を作ってくれていました」

「やり遂げさせてほしい」

戸羽氏にとって、市長としての8年は、丸ごと復興にあたった時間だ。
去年11月、ニューヨークの国連本部。

各国の代表を前に防災の取り組みを発表。震災被災地の市長として、国際的にも知られる顔となった。

そして、今回の選挙戦で訴えたのは、「復興の完遂」だ。
「皆さんが復興を実感できる形をどうか私に作らせていただきたい。陸前高田に住んでて良かった。陸前高田は最高だというまちをみんなと一緒に作ろうじゃないですか」

しかし、その復興事業そのものが、大きな課題となっている。かさ上げ工事だ。

壊滅的な打撃を受けた市の中心部、80ha余りを、最大12mまでかさ上げ。市内の山林を切り開き、巨大なベルトコンベアーで土砂を次々と運び込む。

見るものを圧倒する工事の様子は、まるで未来都市の建設現場のようだった。

ところが…いま、かさ上げ地を見渡すと、茶色の地面が、むき出しに広がる。

かさ上げされた民有地は、約50haだ。地権者へのアンケートでは、土地の利用方法が決まっているのは、全体の2割程度。商業施設も限られた一角にとどまっている。
人口も、震災前に比べて2割近く減った。(震災の犠牲者を含む)

「未来都市」に、空き地だらけの将来がちらつく。

中心部に土地を持つ、ある事業者が言った。
「住宅はこれしか建っていない。戻ってきても商売が続けられるかどうかの不安感が大きい。だから踏ん切りがつかないんだよ」

「このままでは負の遺産」

「皆さん、変わる勇気を持ってください」

対立候補は新人、紺野由夫(こんの・よしお)、59歳。
訴えるのは、財政運営の転換、そして市政刷新だ。

県庁での公務員生活は36年。
IT推進課や市町村課の総括課長。さらに保健福祉部副部長、農林水産部長などを経験し、知事、副知事に次ぐポスト、企画理事に上りつめながら、ふるさとに戻ってきた。

震災後は、全国の自治体からの応援職員の確保に奔走した経験もある。
手堅い行政手腕がセールスポイントだ。

紺野氏が焦点を当てたのは、7階建ての新しい市役所庁舎の建設計画だ。

総事業費はおよそ50億円。国からは38億円の支援が見込まれているが、残りは市が負担。将来の維持管理費も、市の財政から捻出する必要がある。
将来の人口減少を見越して、建物の規模などを見直すべきだと主張したのだ。

「身の丈に合わない建物を建てれば、維持管理費だけが増大するだけだ。誰が負担していくんでしょうか。孫、子ども、われわれの次の世代ですよ。負の遺産、それを次の世代に先送りして良いんですか」

戸羽氏は、こう反論した。
「建物の面積は震災前と同じ程度、事業費は国からの財政支援が入る。計画を見直して国の復興期間を過ぎてしまったら、その支援すら受けられなくなってしまう」

ポスト復興

いま、東日本大震災の被災地では、盛んに耳にする言葉がある。

それが「ポスト復興」だ。

国は、大震災発生から10年を復興期間と定め、重点的な予算配分を行ってきた。
その期間が再来年・2021年3月に終わる。その後の国からの支援は、従来どおりとはいかない。改めて足元を見直すタイミングが来るのだ。

かさ上げ、市民会館、災害公営住宅の建設…陸前高田市の復興予算は、3500億円にのぼる。その大部分を国の復興交付金などに頼ってきたがその先は不透明だ。

それでは国に依存しない、できる限り自立した町づくりをどう進めるのか。

「完遂」を目指す戸羽氏。まずは、かさ上げした土地をどうにかしたい。地権者と、買いたい人、借りたい人とのマッチング制度を進める。

その上で、宿泊施設の誘致、大手企業による農業のテーマパークの整備。外の資本を呼び込むことで、にぎわいを作り出そうと考える。

一方、紺野氏が訴えるのは、「地産外商」。市内でとれる農林水産物のブランド化を図り、外に売り込んでいこうというものだ。

農林水産部長時代に取り組んだ、岩手県独自の高級ブランド米の開発や全国展開の経験が生かせると意気込む。

ただ、いずれもアイデアの段階だ。本当に有力な企業が誘致できるのか、県外に打って出る戦略が通じるのか、今の段階では見通せていない。

「自共共闘」の現職

支援についた市議は、戸羽氏8人に対し、紺野氏2人。

選挙戦は、知名度や組織力に勝る戸羽氏が優勢とみられていた。

戸羽氏の支持基盤は独特だ。

今回の選挙戦で、政党の推薦は受けなかったが、もともと本人は「最も近いのは自民党」を公言する。
だが、支援する市議の中には共産党の3人も含まれているのだ。

実は、市議だった戸羽氏を、当時の助役に起用し市長へのレールを敷いた前の市長は共産党員。関係者は言う。「うちの市政は“自共共闘”だ」

盤石かと思われた戸羽氏の陣営。しかし、選挙戦が進むにつれて紺野氏が猛追する。

紺野氏は立候補を表明した去年9月。知名度に劣ることが最大のネックだと感じていたため、毎日のように市内を動き回る地道な活動を続けた。

選挙戦で10キロ近く体重が落ちたというから、それほど熱心に活動を続けてきたこともわかる。

特に「新市役所の建設見直し」という、みずから打ち出した争点の設定も成功した。
陣営も、「最初は遠く及ばなかった戸羽氏の背中を捉え始めた」と手応えを感じ始めていた。

選挙戦最終日。紺野氏の事務所の前に集まった支援者たちは200人にも迫る勢いだった。

「よしお!よしお!」熱烈なエールを送る人も数多い。
陣営幹部が語った。「紺野の理解者がどんどん増えている」と。

紺野氏を熱心に応援する高齢の女性が言った。
「市役所、市民会館などあわせると年間の維持費が数千万、数億円かかると聞いて、びっくりした。いままでそんなこと知らなかった。戸羽さんがこれまでやってきたことを批判するつもりはないし、ありがたいと思っているけど、これからのことを考えると違うんじゃないって思った」

紺野氏を応援する若者も。
「何か変えてくれそうだというのが紺野さんだなと思った。戸羽さんが悪いとかそういうことじゃないけど」

予想外の大接戦

迎えた2月3日、投開票日。

投票率は、午後3時時点の推定で51%を超え、前回を上回っていた。期日前投票も1000人以上増えている。
市民の関心は、高いといえる。どちらに有利となるのか。

そして最終投票率は、78.38%。前回を6ポイント余り上回った。

開票作業は午後8時15分開始。記者3人で取材する態勢をとった。

午後9時。1回目の票の発表。両候補とも400だ。

序盤だったが、ここで先輩記者と後輩記者が、それぞれ両陣営に移動。そちらでの取材に移行した。

その頃、紺野陣営では、開票状況をホワイトボードに書き出し、支援者に伝えていた。

そして午後9時半。早ければ大勢判明とされた時間だ。
しかし、互いに「5000」と記されると、大接戦に歓声が上がった。

落ち着かない様子で笑顔を見せる支援者の姿も目立ってきた。
紺野氏は別の場所でじっと情報を待っていた。

一方、戸羽陣営では、5000ずつ、という中間発表に戸惑いの声が上がっていた。戸羽氏も、落ち着かない様子で、ずっとスマートフォンや携帯電話を気にしている。

厳しい情勢は予想していたと言うが、首をひねって苦笑い。震災以来、支え合ってきた、大学生の長男(20)と、高校生の次男(18)が寄り添い、結果を待った。

残りの票はおよそ3000。ある程度の接戦は予想したが、ここまでもつれるとは。

読み取り装置を通る票もなくなった。選挙管理委員会の担当者らが、1枚1枚の確認作業に移る。

最終盤までもつれる中、当選速報の準備をしていた局内のデスクに経過を報告すると、「確実な票数が出るまで速報は打たない」と伝えられ、自分が現場でつかむ数字の責任に改めて気を引き締めた。

5票!5票!

午後9時55分ごろ、場内のアナウンスが伝えたのは「戸羽太6504票。紺野由夫6499票」。
5票差だ。たったの5票差で勝敗が決したのだ。すぐにデスクに連絡した。

しかし、電話を受けたデスクは意外にも慌てた様子はなかった。

実はこのとき、局内では戸羽陣営の中継映像を見ていたのだ。これがその時の映像だ。

携帯電話でメールをチェックした戸羽氏。

いきなり、小さくガッツポーズしたのだ。開票所の情報が入ったのだろう。

周囲も戸羽氏の表情に気づき、事務所に集まった120人の支援者たちから大歓声があがった。

票数を確認した戸羽氏、驚愕の表情で手を広げていた。「5票!5票!」

一方の紺野陣営。「戸羽太氏3回目の当選」の速報がテレビの画面に出ると、「うそー」という小さな悲鳴。

「5票」という僅差で敗れたという情報に、ショックを隠せない様子だった。

選挙戦で“紺野猛追”が伝えられる中、声をからして訴えを続けた戸羽氏は、万歳のあと、開口一番、「正直言ってだめだと思っていました。誰1人として欠けてしまっていたら、勝つことができなかった」と本音を語った。

一方で、「本当に“薄氷”とはこういうこと。謙虚に受け止め、初心に返り、市民のみなさんに認めてもらえるように頑張りたい。情報開示、現状をしっかりお話しするなかで、みなさんに安心していただきたい」と述べた。

紺野氏は、支援者の前に姿を現していた。

わずか5票差での落選。公職選挙法に基づく異議申し立ても考えられるのでは、と一瞬よぎったが、紺野氏は冷静に受け止めていた。

「立候補表明してから4か月間で、これほどまで肉薄したというのは市民の皆さんも危機感を感じてのことという風に受け止めています。今後は一市民として、このまちがよくなるようにさらに活動していく」

託された“継続”

戸羽氏にとっては予想外に争点とされた「市役所計画」だが、市議会での議論を経ていることから、国の支援が見込める2年後の3月までの完成を目指す方針は変えないとしている。一方で、市民の不安を払拭(ふっしょく)できるよう、財政の見通しなども示しながら、わかりやすい形で情報を出していくことを明らかにしている。

隣の大船渡市でも、去年11月に行われた選挙は接戦となった。やはり「ポスト復興」をめぐり、発災以来、市政を担ってきた現職の市長の政策か、それとも新たな道を選ぶのかを問う選挙だった。

いずれの選挙も、投票率は前回を大きく上回った。多くの市民が課題に向き合った証ではないだろうか。復興の先を見据えたいま、立ち止まって考える機会になったのではないかと感じた。

今回の選挙では、いまの復興の「継続」が選ばれた。ただ、それは僅かな差だった。奇跡の一本松が見つめる被災地の姿は、4年後、どうなっているのだろうか。

盛岡局記者
舟木 卓也
平成25年入局。水戸局を経て盛岡局。昨夏から大船渡・陸前高田支局に赴任。復興途上の被災地で課題と未来を掘り起こしている。趣味はラーメン屋巡り。