スト安倍 その胸中は

残り2年と8か月。
安倍総理大臣の自民党総裁としての任期が、2021年9月に満了する。
今の党則では、総裁の任期は連続3期まで。次の総裁選挙に立候補することはできない。
ことし、ポスト安倍と目される議員たちは、どう動くのか。年末年始、候補者たちに密着し、その胸の内を探った。
(取材班)

「まずは恩返し」石破氏

「総裁選挙ありがとうございました。色んなことがありましたが、やっぱり日本、どんな圧力があろうが、弾圧があろうが、『正しいことは正しい』って言える。そういう政治をやっていきたいなと」

年が明ける直前の深夜。

地元・鳥取市で支持者に囲まれた自民党の石破茂元幹事長(61)は、総裁選挙支援への御礼とともに、これからの1年の抱負を語った。

「人のために一生懸命やらんで、誰ぞが自分のことをやってくれるなんていうことは絶対にありえないんで。人のために一生懸命頑張る。そして、それがやがて日本のためになるよう、良い1年にしたい」

去年9月の総裁選挙で敗れたものの、党員票の45%を獲得した石破氏。
まずは、支援を受けた竹下派の参議院議員や地方の党員らに恩を返したい。ことしは、そのためにも統一地方選挙や参議院選挙の応援に力を注ぐという。

「当然、選挙の借りは選挙で返す。やはり選挙っていうのはやってる当事者にしてみれば、生きるか死ぬかの勝負ですから。どれだけその人のためにできるかということだと。それを使って自分の存在感だとか、ケチなことを考えちゃいけませんよ」

石破氏は、すでに動きだしている。
12月には、党員票で安倍総理大臣を上回った茨城県の県議会議員選挙の応援に入り、2日間で県内10か所を回った。

一方、総裁選挙で獲得した国会議員票は18%の73票にとどまったことから、ことしは国会議員とも会合を重ね、支持拡大を図りたい考えだ。
「(私は)知名度はあって、好き嫌いは別として、評価もある程度定まっているということだと思います。ダメな人は何やってもダメで、それは全く受け付けないって層はあるので、グレーの人たちにどう支持して頂くかってことじゃないですかね、まず」

「自分が当選11回にもなっちゃうとね、若い頃の感覚を忘れちゃうとこあるんだけど、当選期数のすごく上の人から『飯でも食わない?』とか『ちょっと話聞かせて』とか言われるとうれしいもんでね。そういう努力はしないといかんでしょうけどね」

石破氏が総裁選挙で指摘された課題の1つは「外交政策」だ。

石破派の中堅議員も、「安倍総理大臣は外交の実績を積み重ねているが、石破さんは日本から出ている印象がほとんどない」と漏らす。石破氏は、防衛大臣や地方創生担当大臣などを歴任してきたが、外務大臣など外交関係の要職に就いたことはない。世界の首脳を相手にするには、外交力も、総理大臣を目指す上で重要な要素となる。

そんな石破氏が年末、3年ぶりに訪れたのが中国だ。

中国共産党で対外交流を担う中央対外連絡部の部長を務めていた王家瑞氏と夕食をともにしながら3時間余り会談。朝鮮半島情勢などについて意見を交わし、日中の協力関係を発展させていくことで一致した。

「外交力っていうのは、各国の関係性からなる構図をどう解き、どうやって日本の国益を確保するかだ。その国の立場に立って見たらどう見えるか。ロシアの立場で見た北方領土ってなんだ、中国の立場で見た朝鮮半島情勢とはなんだ。そういうことを考えると眠れないね」

1月にはシンガポールを訪問し、副首相らと会談した石破氏。

参議院選挙の結果次第で、攻めに出るのか聞いてみると…

「参議院選挙で、政権が負けないようにするのは、自民党員として当然の責務なのであって、その結果がどうなるかということは今考えてはいかんことだ。我々の政権がどれだけ多くの支持を得るか全力を尽くすのは党員の当然の務めだ」

足場を固め、自力をつけられるか、問われる1年になりそうだ。

「1強脱却狙う」岸田氏

1月4日、広島市内の神社に初詣に訪れたのは自民党の岸田文雄政務調査会長(61)。

去年の総裁選挙では、立候補を見送り、安倍総理大臣の支持に回ったが、次の総裁選挙には早くも意欲を見せる。

初詣を終えた岸田氏は、記者団に対し、ことしの抱負を語った。

「政治の安定、あるいは信頼回復という観点から、いわゆる『一強状態』からの脱却を考えていかなければならない」

1年前の同じ日、総裁選挙への態度を明確にしなかった岸田氏。しかし、ことしは一歩踏み込んだ。

岸田氏に発言の真意を聞いた。

「よく最近、『一強』という言葉が使われるが、やはり与党と政府は車の両輪だ。どちらかだけが強いということは政府あるいは官邸にとっても、また党にとってもあまりありがたい評価ではないのではないか。やはり両方がそれぞれ存在感を示し、そして発信をし、力を発揮する、こういった形が望ましいのではないかと思っていて、『一強状態』から脱却するべく、党の発信力や存在力を高めていきたい」

岸田氏は、政府・与党の政策決定で「官邸主導」が強まっていると指摘される中、党の政策立案能力などを高めようと腐心してきた。

組織の統廃合を進め、安倍総裁直属の5つの機関を廃止。年末に行われた政府の予算編成では、予算案の決定前に政策や事業ごとの具体的な予算額を党に提示させ、予算編成への関与を強めようとした。

ことしは、党主導で、夏の参議院選挙の公約づくりを行いたい考えだ。

「公約、政策面を通じて、選挙を支え、そして政治の安定につなげていきたい。議席数を考えると6年前の選挙は自民党にとってありがたい結果を出していただいた選挙なので、議席の増減という点において、今回、厳しい選挙が予想される。具体的な勝敗ラインというのは選挙が近づいて選挙状況も見えた段階で考えていくんだと思うが、少なくとも与党で過半数はしっかりと確保するべく努力しなければいけない」

安倍政権を支えながら、みずからの存在感を高め、ポスト安倍を狙う岸田氏。
しかし「発信力が弱い」と指摘する党内の声もある。

予算編成でも、歳出増加が目立ち、財政健全化を唱える「岸田カラー」は影を潜めた。
それでも岸田氏は、実績を積み重ね、支持を広げていきたいという。

「一つ一つ目の前に与えられた課題を乗り越えていく、この積み重ねが大事だと思っている。その積み重ねによって、多くの同志であったり、国民の皆さんからも評価をしてもらう、こういったことによって、安倍総理の後の、『ポスト安倍時代』において、評価されることにつながっていくのではないかと思っている」

「次の総裁選挙に向けて、手が挙げられるように、努力をしなければならない。手を挙げ、そして多くの方々から支持してもらえるようになるために、まだまだ努力をしなければならない」

外務大臣を長年務めた岸田氏。
G20サミットが行われることし、外交面でも存在感の発揮を目指す。

「ことしは重要な外交日程が山積しているが、日本で重要な外交日程が行われると世界中から要人が日本を訪れるので、私も外務大臣時代培ったさまざまな縁や人脈を大切にしながら、議員外交という形で、外交の取り組みを盛り上げていきたい」

「強みや弱みは、自分で感じる部分もあるが、これは外から見た評価が大事になってくる。多くの方々の声に謙虚に耳を傾けるべく努力をすることができるというのは、あえて言えば自分の強みではないかと思っている。一方、課題はいっぱいあるが、とりわけ、発信力についてもいろいろ指摘をされる。それも謙虚に受け止めて、自分なりに努力をすることが大事だと思っている」

『一強状態』から抜け出し、発信力を高めることができるのか、試される1年になりそうだ。

「目指すは野田家」野田氏

「年末年始は家族といっしょに過ごした。国会議員というのは、国民全体を幸せにする職業だけど、人を幸せにしようと思って、家族を不幸にしたら意味ないじゃない」

去年、総裁選挙への立候補を目指したものの、必要な推薦人20人を集められず、断念した野田聖子氏(58)。年末年始は、地元・岐阜県などで家族と静かに過ごした。

「去年は総務大臣や予算委員長をやって、なかなか一緒に過ごせなかったので、おわびの意味も込めて。お墓の掃除とかもした。まあ、私は掃除をする夫と息子の写真を撮るだけだったけど。それに、政治家はいつ何が起きるか分からないから、一緒に過ごせる時はなるべく一緒に過ごしたいなと思って」

野田氏が立候補を断念したのは平成27年に続き、2回目。

野田氏に足りないのは、明らかに「仲間」だ。仲間集めのため、国会議員との会合を重ねているという。
「前回の総裁選直後から、週に1回のペースでいろんな国会議員と会っている。もう30から40人くらいとは会って、ご飯を食べたかな」

その中で、野田氏自身が気づかされたことがあった。
「自分が『食わず嫌い』になっていたところがあったなと。報道や噂などをうのみにして、あの人は私を嫌っているんだろうなと思っていた人とも会って話をしてみたら、別にそうでもなかったことに気づいた。知らず知らずのうちに、自分が声をかけるチャンスを失していたんだなと反省した」

野田氏は、4月から、東京で、女性を対象にした政治塾を開く予定だ。
みずからの政策の柱である女性活躍を、推薦人集めにつなげたいと意気込む。

「去年、地元の岐阜で開いた『女性塾』を、4月から東京で開くことにしている。岐阜ではアクセスの問題もあって、参加できないという人もいたので、ことしは東京で開くことにした。将来的には、地方で私を支えてくれる担い手を、1人でも多く作りたい。結局、私が総裁を目指す過程の活動は、私の政策そのもの。地方の有権者を大切にすることで、その人を通じて推薦人になってくれるような流れを作りたい」

では、「野田派」を立ち上げるのか聞いてみた。

「私は『野田家』をつくりたいと思っている。実家のような、出入り自由な感じで。私はその家の母親として、無償の愛でサポートしたいなと思っている。派閥ってなんか軍隊調のような感じもするので、私は同じ目線で問題意識を持つグループを作りたい。私を応援してくれている人の中には、別の派閥に入っている人もいるので、私が派閥を作っても入れないだろうし。その代わりに、ドアがいつもオープンなファミリー。派閥というより、私らしいチームを作れたらいいなと」

「野田家」に何人が集うのか、答えが求められる1年になりそうだ。

「とにかく結果」小泉氏

1月3日、小泉進次郎氏(37)は、地元・神奈川県横須賀市の小学校のグラウンドで子供たちとサッカーボールを追いかけていた。

小泉氏は、毎年、年始に行われる地元サッカーチームの“初蹴り”に参加することを恒例の仕事始めとしている。
小学生相手に手を緩めることなく、素早いドリブルからシュートを決めた。

ことし、小泉氏は、初当選から10年となる。
最初は1チームだった初蹴りへの参加が、ことしは10チームから声をかけられ、4日間かけて参加することに。

「10年で初蹴り10チームからの声かけ。なんか、地味だけど、うれしいね。1チーム1チーム、声をかけてくれるチームが出てきた。体力の衰え?感じるから頑張る」

サッカーを終え、待ち構えていた記者たちに、小泉氏が語ったことしの抱負は、去年、みずから希望して就任した党の厚生労働部会長としての仕事だった。

「参議院選挙という1つの転換点になる大きな政治イベントがあるので、部会長として、厚生労働関係の公約をまとめていく立場になる。それは非常に大きい。『今の社会保障で将来、本当に大丈夫か』と思っている国民に希望が見せられるような社会保障改革の新たな時代の幕開けにしたい。そういう1年だ」

社会保障制度の改革に取り組むという小泉氏。
厚生労働行政は、国民生活に密接に関わる重要な分野だ。
年始早々、厚生労働省が賃金などに関する調査を不適切な手法で行っていた問題が、推計でのべ約2000万人に影響が出る事態に発展。

小泉氏は、「最大の危機管理レベルで対応にあたらなければならない。この際、うみを出し切るよう徹底的に調査すべきだ」と意気込む。

若くして将来の総理候補と言われ、注目を集める小泉氏。
1月16日、東京都内で行われた講演の質疑応答で、年齢が話題になった時、その心境を吐露する場面が見られた。

「今、私は37歳で、政治の世界では最年少とか若手とか言われて、私の3つ、4つ上のフランスのマクロン(大統領)が苦労しているのを見て、改めて思うことは、若い人は、最初、『若い人がやらなきゃダメだよ』と言われるんです。だけど1回、失敗しますでしょ。『だから若いもんはダメなんだ』と、この空気が必ず出ます」

「この年でこれだけいろんな人の目の中にあって、いろんな機会も与えられていて、毎回ぶっちぎりの結果を出さなかったら、次のチャンスはないんですよ。とにかく結果を出すしかない」

小泉氏に対しては「発信ばかりで、思うように結果は出せていないのでは」と、厳しい声も出ている。

小泉氏が「平成のうちに実現したい」としている国会改革も道半ばだ。
ことしは目に見える成果を出せるかが問われる1年になりそうだ。

「外交と一般常識を」河野氏

「あれ?俺、伊勢神宮は行かなくなったって言わなかったっけ」

1月4日の朝、突然、外務省に現れた河野太郎外務大臣(56)。
記者たちは虚を突かれた。
この日は、安倍総理大臣らとともに伊勢神宮を参拝する予定だったからだ。

急きょ予定を変更し、登庁したのは、急激に関係が悪化している韓国の外相と電話会談を行うためだった。
週末には、地元日程やサウジアラビア外相との電話会談をこなすと、週明けからは、外国出張へ。

河野氏が、ことし最初の会談相手に選んだのは、インドの外相。

翌々日、日本の外務大臣として7年ぶりにネパールを訪問。

そのまた翌日、フランスに回り、外務・防衛の「2+2」協議に出席。

さらに、そのままモスクワ入りし、ロシアとの平和条約交渉に臨んだ。

年始からフル稼働だ。その体力には感心させられる。地方へ出張するための新幹線の車内では、眠ることなく、講演の原稿を手直ししたり、一心に英語の本を読んだりしている。

語学が堪能な河野氏。外国要人との会談や、国際会議でのスピーチ、それに外国メディアからの取材も、英語でこなす。最近は、中国語も勉強中で、自宅には中国語の参考書がずらりと並ぶ。

外務大臣就任からおよそ1年半。
訪問した国と地域は60を超え、4年8か月に渡って外務大臣を務めた岸田氏をすでに10以上、上回っている。

外務省内では、「これまであまり目立たなかった国にも、光が当たるようになった」と評価する声も少なくない。

河野一郎・元農林大臣を祖父に、河野洋平・自民党元総裁を父に持つ河野氏。

しかし、決して順風満帆ではない。
行政改革や原発をめぐる歯にきぬ着せぬ発言から、党内では「一匹おおかみ」、あるいは「変人」とも言われてきたが、いま発言の整合性を問われることもある。

記者会見で質問を無視し「次の質問をどうぞ」と4回連続で答えたことも記憶に新しい。

河野氏が所属する派閥の会長である麻生太郎副総理兼財務大臣(78)は、河野氏のパーティーで、こう指摘した。

「(河野氏に)何が欠けているのかと言えば、一般的な常識だ」
麻生氏は、さらに注文もつけた。

「飲ませたり食わせたりしないと政治家として成長しない」

その後、河野氏の夜の会合は増えた。

ことしは、日ロの平和条約交渉や、悪化する日韓関係、そしてG20大阪サミットなど、日本外交にとって勝負の年だ。

1月18日、外務省で行われた、ことし最初の記者会見。
ポスト安倍候補に名前が挙がっていることを踏まえ、ことしの抱負を聞いてみた。

「総裁候補と言っていただくのは非常にありがたいし、いつか、しっかりと総理総裁になって、自分の目指す政策を実現したい。ただ当面は、やるべき仕事が山積みなので、しっかりと自分の仕事をやっていきたい」

実績を重ねられるか、河野氏にとっても、勝負の1年になりそうだ。

「仲間の面倒も」加藤氏

「総務会長就任の時には『高みを』と申し上げたが、それに向けて、努力していきたい」

1月16日、日本記者クラブで行われた会見で、自民党の総務会長を務める加藤勝信氏(63)は、こう決意を述べた。

総務会長は、党の意思決定機関である総務会を取り仕切る重要なポストだ。
加藤氏は、安倍政権発足後、官房副長官、一億総活躍担当大臣、厚生労働大臣を歴任。去年、総裁選挙後の党役員人事で、総務会長に就任し、ポスト安倍候補に急浮上した。

加藤氏の義父は、農林水産大臣などを歴任し、安倍総理大臣の父、晋太郎氏の信頼が厚かったと言われる加藤六月氏。

安倍、加藤両家のつながりは深い。このため、党内からは、「安倍総理大臣は、加藤氏を将来の総裁候補に育てようとしているのではないか」との声が出ているのだ。

加藤氏は、就任早々の記者会見で、「ポスト安倍」の1人に、みずからの名前が挙がっていることについて、次のように述べた。

「地域の人々から『地元や日本のために頑張ってほしい』という声ももらいながら、志を持ってやっている。いろいろな運などもあって、一概にいかないものだが、常に“高み”を見据えながら進みたい」

発言には常に慎重な加藤氏としては珍しく踏み込んだ。

ただ、加藤氏は、これ以降、総理大臣への明確な意欲を示すことは封印してきた。その背景には、所属する派閥の事情もあるものとみられている。

加藤氏が所属する党内第3派閥の竹下派には、茂木敏充経済再生担当大臣(63)というもう1人の実力者がいる。

茂木氏も、同じく、安倍政権で、閣僚や党の政務調査会長などを歴任。派内では、会長に次ぐ、会長代行として、閥務にもあたっている。ある派閥幹部は「加藤氏が真のリーダーになるには、これから仲間の議員の面倒も見ることができるようにならないといけない。派閥の総裁候補は、本命・茂木、対抗・加藤という構図ではないか」と解説する。

加藤氏は、将来、総理大臣を目指す上で、どのような戦略を持っているのか聞かれ、次のように答えた。

「明確にそれを意識してやっているわけではない。私の場合は、ポジションよりも、これからあるべき政治をやりたいという思いが強い。今の時点で具体的にスケジュールを考えているわけではなく、与えられたポジションの中で一つ一つ仕事を果たすことを積み上げていきたい」

総務会長として、調整力を磨きながら、政治家としての幅を広げることができるのか。
真価が問われる1年になりそうだ。

長くて短い1年に

ポスト安倍をめぐる熾烈(しれつ)な争い。
次の総裁選挙は2021年9月の予定だが、それまでに政局が訪れないとも限らない。

ことしは誰が頭角を現すのか、あるいは新星が現れるのか。

4期目はないとされる安倍総理大臣だが、「ポスト安倍は安倍」という声も聞かれる。

ポスト安倍候補たちにとっては長くて短い1年になりそうだ。