戦地ウクライナ 初の外相訪問同行記 日本ができることは?

9月9日、ロシアによる軍事侵攻以降、日本の外務大臣として初めてウクライナを訪れた林大臣に同行して取材を行った。訪問団には復興支援に携わりたいと考える通信や医療分野の日本企業の経営者も加わった。ウクライナに対し日本ができることとは。※肩書きは当時
(五十嵐淳)

寝台列車でウクライナへ

ポーランドの駅で列車に乗り込む林外務大臣

9月8日の夜9時半。私はポーランド南東部、国境に近い駅にいた。
薄暗いホームから林外務大臣と秘書官、SPが寝台列車に乗り込む。

ポーランドの駅で五十嵐記者

列車は午後10時頃出発し、30分後、国境を越えてウクライナに入った。
外務省はウクライナ全土に「レベル4」の退避勧告を出している。
今回は取材目的で同行することができた。

虐殺のあったブチャ

まずは、ロシアによる軍事侵攻で多くの市民が犠牲となったブチャに向かうため、列車に揺られること約9時間。午前8時頃、ブチャ近郊のネミシャイェヴェ駅に着いた。

防弾車内

駅を出たところに待っていた車列はオフロード型の防弾車。車内にはすでにドライバーと警護員が乗車していた。

ブチャの聖アンドリュー教会の敷地には侵攻を受けた当時、多くの遺体が集められていたという。
林大臣はモニュメントに花を手向け、祈りをささげた。

ブチャで林大臣がモニュメントに花を手向け、祈りをささげている様子。

教会の中には凄惨な現場を写した写真が展示されていた。虐殺された市民が横たわる様子や、遺体が黒いビニール袋に入ったもの。あまりにもむごくて目をそむけたくなった。

写真展示

林大臣も「まったく残虐な行為だ。人間が人間にこのようなことができるのか」と憤っていた。

ここは紛れもなく「戦時下」だった。

キーウ 戦時下の”日常”

キーウの市街地

ブチャから車で10分ほど移動し、いよいよ首都キーウの市街地に。
街並みは、白や赤、黄色などを基調としたレンガ造りの建物が建ち並び、この日は天気もよく、カップルや家族連れが談笑しながら通りを歩いていた。
日本大使館に勤務するウクライナ人の男性に聞くと、「長期にわたって侵攻が続き、緊張状態でずっといるのは難しい」と話してくれた。何とか日常を取り戻そうとしているのだと感じた。

ホテルのシェルター
ホテルのシェルター

一方で取材拠点となるホテルでは、あらかじめ日本大使館の職員と一緒に、空襲警報が出た際に避難する地下シェルターまでの経路を確認した。
大使館関係者によると、ことし5月ごろは空襲警報が頻繁に出て、1か月の半分以上はシェルターに避難していたとのことだった。
現在は防空システムが奏功しているため、以前と比べると危険度は下がったという。
ただ、今でも深夜の時間帯には空襲警報が出ることがあるそうだ。

ゼレンスキー大統領と会談

林大臣がゼレンスキー大統領と会談

林大臣はキーウでゼレンスキー大統領、シュミハリ首相、クレバ外相と次々に会談した。
G7議長国として、G7が結束してロシアへの制裁とウクライナへの支援を継続する考えを示した。
また日本として、地雷や不発弾処理の作業に使うクレーン付きトラック24台や厳冬期対策として大型変圧施設2基を提供した。

クレーン付きトラック

民間企業が同行

ゼレンスキー大統領ら政府の要人と会談し、支援を伝えるのは、3月の岸田総理の訪問時と同様だった。今回違ったのは、楽天グループの三木谷浩史社長をはじめ、通信や医療分野の企業経営者らが同行したことだ。

会談の様子

林大臣は、日本として民間の力も活用し復興支援に取り組む姿勢をアピールした。
欧米はこぞって、ウクライナに武器を供与しているが、日本には「防衛装備移転三原則」があり制約がある。

「防衛装備移転三原則」の運用指針

与党では三原則の見直しの議論も進めているが、政府は、復興支援こそ、日本として大きな貢献ができると考える。戦後の荒廃から立ち直った経験や、東日本大震災をはじめとする自然災害から復旧・復興を遂げた知見があるからで、ウクライナ側も注目している。

経営者らは、要人との会談に同席し、どのような支援ができるのか説明した。
ゼレンスキー大統領は「経済復興や雇用回復など、いかなる種類の支援も歓迎する。日本の官民の協力を期待する」と、クレバ外相は「日本企業を同行させてウクライナを訪問したことを大いに歓迎し、具体的な成果につなげたい」と期待感を示した。

三木谷氏
映像撮影 7月

現地で三木谷社長に話を聞くと、ウクライナの通信関連企業との間で進めている事業があり、通信インフラの再構築を支援したいということだった。
「ウクライナ側のニーズを聞いた上で、できることを検討していきたい」と語った。


同行した医療系企業「アルム」の坂野哲平社長にも話を聞いた。

坂野哲平社長が話す様子

東京に本社がある遠隔医療などを手がけるスタートアップ企業で、クラウド上で画像などを共有することで医師が離れた場所から治療できる遠隔医療システムのほか、血液検査装置やAEDなど持ち運びができる医療機器の提供を行っている。

遠隔医療のイメージ

紛争地には直接、医療従事者が行くことが難しいため、ICTを使った遠隔医療の仕組みをウクライナに導入することで、復旧・復興を後押ししたいと考えている。
事業内容の説明に大統領や首相は熱心に耳を傾けてくれたという。

坂野社長
「今回ゼレンスキー大統領に初めて弊社の技術を見てもらい『これは確かにウクライナにとって有用』というフィードバックを頂いた。戦時下では医療資源はどんどん破壊され続けるので、移動型のポータブル通信の力を使った医療サポートは非常に有用だと思う。また戦争が終わったあとも、いきなり病院が稼働するわけではないので、その間、どうサポートしていくのかが課題となる。例えばキーウにいる専門の医者が、周りの都市や山間部、医療過疎地に対して支援していく仕組みは戦後も必ず有用だと思う。ウクライナ政府側と議論しながら制度設計していきたい」

同行した外務省関係者はこう語る。

「官民が一体となって復興を支援していくメッセージを打ち出すことができた。日本らしい訪問となった」(外務省関係者)

一方で今後、民間企業が参画した形での支援を前に進めていくためには、企業関係者がウクライナを訪問しなければならない場面が増える可能性もある。
ただ現在は、ウクライナ全土に「レベル4」の退避勧告を出している。

日本人の安全確保と官民挙げての復興支援。その折り合いをどうつけるのか。
政府には難しい判断が迫られる時が来るかもしれない。

日本が考えなければならないこと

私たちは、夜10時ごろにキーウの駅から列車に乗り、帰路についた。
ポーランドに戻ったあと知ったが、私たちがキーウを出た直後に市内には空襲警報が鳴り響き、ロシアが無人機攻撃を行ったとのことだった。帰路への時間がずれていれば遭遇したかもしれなかった。穏やかに見えた街だが、やはり戦時下なのだと思い知った。

戦時下のウクライナ

その国に対し、日本として何ができるのだろうか。
戦後78年間、平和に暮らす私たちにとって、現地を見てしか分からないことが確かにあった。

来年のはじめには日本でウクライナの復興推進会議が開催される。政府や民間企業が、今回の訪問をどのように生かしていくのか、今後もつぶさに取材を続けたい。

(いずれも現地時間)

政治部記者
五十嵐 淳
2013年入局。横浜、山口、広島局を経て政治部。
現在は外務省クラブで外務大臣番、欧州地域などを担当。