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「自分の中にため込まず、どこかで発散して」 宮城県石巻市出身・阿部優太さん

「能登半島地震を経験した“子どもたち”へ、私がいま伝えたいこと」

このページでは、かつて東日本大震災などで家族や友人、ふるさとなどを失った“子どもたち”からのメッセージを紹介します。

小学6年生のころの阿部さん

宮城県石巻市出身の阿部優太さん、25歳です。
卒業式を1週間後に控えた小学6年生のときに東日本大震災を経験しました。

石巻市立門脇小学校の校舎内にいた阿部さんは、先生たちの誘導のもと裏手の日和山に避難。
しかし、夜になっても両親が迎えに来ることはなく、先生とともに石巻高校に避難しました。

家族と再会できたのは3日後。
周りの子どもたちが親と帰っていくなか、「自分はずっとこのままなのか」と不安だったといいます。

中学生のころの阿部さん

自宅は津波で流され、石巻市内のみなし仮設住宅(=自宅に住むことができなくなった被災者が、民間の賃貸住宅に無料で入居できる制度)に入った阿部さん。

しかし、みなし仮設住宅から門脇中学校は距離が遠く、しかも一緒に通うはずだった門脇小学校の友達の多くは引っ越しを余儀なくされていました。

阿部さん

「門脇中学校に進学したが、大街道小学校(=門脇小と同じく門脇中へ進学する小学校)の比率が大きくて何も話せなかった。給食のとき、みんなしゃべっていなくてしんどかった。『震災がなければ、みんながいて楽しくおしゃべりできたのに』ってずっと思っていた」

阿部さんは中学1年生から高校1年生まで、学校に通えない日が多くなりました。

高校3年生のころの阿部さん

阿部さんは高校2年生のころ、友達ができたことで前向きに学校に通えるようになりました。

ふるさとの石巻市が復興していく様子を見る中で、地元への愛も深まっていったという阿部さん。
いまは仙台市で働きながら、実家のある石巻市を定期的に訪れています。

能登半島地震で大切な人やものを失った子どもたちへ。
阿部さんからのメッセージです。

※再生すると音声が出ます

「自分は震災当時小学校6年生だったのですが、震災後精神的につらい時期がありました。そんな中で家族とか友達に気持ちを話すことでだいぶ楽になることもありました。ですので、自分の中にため込まず、どこかで発散することが大事だと思います。


不安な日々が続くとは思いますが、1日も早くふだんの生活に戻れることを願っています」

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