「つらいことはつらいと、自分の感情を肯定して」 宮城県石巻市出身・安倍千晶さん
「能登半島地震を経験した“子どもたち”へ、私がいま伝えたいこと」
このページでは、かつて東日本大震災などで家族や友人、ふるさとなどを失った“子どもたち”からのメッセージを紹介します。
宮城県石巻市出身の安倍千晶(あんばい・ちあき)さん、25歳です。
1週間後に卒業式を控えた小学6年生のとき、東日本大震災を経験しました。
津波で自宅が流され、発災からおよそ10日後に祖父が暮らす岩手県内陸部の奥州市に避難。
そのまま奥州市の中学校に進学することになりました。
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安倍さん
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「自分の中ではすぐ戻れると思っていて、門中(石巻市立門脇中学校)に行くもんだと思っていた。そうしたら(奥州市内の)水沢の中学校に行くと知って大泣きした。みんなで門中に行きたかったから。とにかく石巻に戻りたかった」
その後、岩手県内の高校、大学へと進学した安倍さん。
震災の経験から、地域をどう活性化させていくかに関心を抱き、大学では地域経済などについて学びました。
就職活動も災害や生活インフラに携わる仕事にこだわり、現在は宮城県内のインフラ整備を担う会社に勤めています。
震災後は「もしかしたら、あした死ぬかもしれない」と思うようになり、自分の人生や選択に納得がいくよう、後悔しないように生きてきたという安倍さん。
能登半島地震で大切な人やものを失った子どもたちへ。
安倍さんからのメッセージです。
「今回の能登半島地震はスマートフォンのニュースで知り、何度も続く地震の通知とテレビの速報を見て、東日本大震災のときも自分たちはこんなふうに報道されていたのかなと、嫌でも震災のことを思い出しました。
学校や自宅が壊れて、みんなと違う中学校に進学しなければいけなくなり大泣きしたのを覚えています。引っ越しを余儀なくされる方もいらっしゃると思います。当たり前が当たり前じゃなくなって、周りの人たちとのギャップに苦しむこともあるかと思います。
ですが、つらくても自分よりもっとつらい人がいると思わず、つらいことはつらいと自分の感情を肯定して受け入れてもらえたらと思います。誰かに話したり涙を流したりすることで、感情が整理されることもあるかもしれません。私も13年たった今でも震災のことを話すと涙が出てしまいますが、つらかった経験とうまく付き合いながらこれからも生きて行こうと思います。
皆さんがもし孤独に感じることはあっても、1人ではないことを忘れないでもらえたらなと思います。1日でも早く、皆さんが心から笑って過ごせる日常が戻ることをお祈り申し上げます」