「1人で頑張り過ぎず、自分にも優しく」 福島県浪江町出身・菅家菜々子さん
「能登半島地震を経験した“子どもたち”へ、私がいま伝えたいこと」
このページでは、かつて東日本大震災などで家族や友人、ふるさとなどを失った“子どもたち”からのメッセージを紹介します。
福島県浪江町出身の菅家菜々子(かんけ・ななこ)さん、18歳です。
5歳のときに東日本大震災を経験しました。
福島第一原発の事故により町全域に避難指示が出され、菅家さんは家族とともに知り合いのいた秋田県に移り住みました。
住み始めてまもなく、菅家さんはスーパーである言葉を耳にします。
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菅家さん
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「お母さんみたいな人と小さい男の子の会話で『福島県産のものは食べちゃダメだよ』って。それがなんかショックだった。福島との関わりがあることを知られたくはないと思った。私もそういう目で見られているのかなみたいな感じで」
それ以来、菅家さんは身近な人に対しても福島の話を避けるようになりました。
2021年、仕事のため福島県で暮らしていた父が病に倒れ、菅家さんは母から「福島県に戻りたい」と告げられました。
10年間暮らして友達もたくさんいる秋田県を離れることは、菅家さんにとってとてもつらい決断でしたが、母の苦労をずっと見てきた菅家さんはその葛藤を母にぶつけることなく、福島県に戻ることを受け入れました。
進学した福島県の高校で、演劇部に入った菅家さん。
みずから制作に携わった演劇の中で初めて秋田県を離れるときの思いをセリフとして言葉にすることができ、それをきっかけに福島県に戻ることを受け入れた複雑な思いを母に打ち明けることができました。
能登半島地震で大切な人やものを失った子どもたちへ。
菅家さんからのメッセージです。
「元日の発災からこれまで本当に大変な日々をお過ごしかと思います。私も当時どうして今なんだろうとか、なんで私なんだろうとか、この先が見えない状況がいつまで続くんだろうとか、毎日すごく不安な気持ちでいっぱいだったのを思い出しました。
自分1人で頑張り過ぎないでほしいと思っています。親や学校の先生たちの大変な背中を見ていると、どうしても言葉にしづらくて伝えるのをためらってしまうと思うんです。そういう時は友達でもおじいちゃんやおばあちゃんでも、電話相談窓口でも誰か伝えられる人に伝えてみてください。
毎日もう十分すぎるくらい頑張っているので、たまには自分にも優しくしてあげてください。1日でも早く平穏な日々が戻りますよう遠く離れた福島からではありますが、祈っております」