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「これ以上、1人で頑張らなくていいよ」 宮城県東松島市出身・武山ひかるさん

「能登半島地震を経験した“子どもたち”へ、私がいま伝えたいこと」

このページでは、かつて東日本大震災などで家族や友人、ふるさとなどを失った“子どもたち”からのメッセージを紹介します。

小学5年生のころの武山さん

東日本大震災を経験した、宮城県東松島市出身の武山ひかるさん、23歳です。
小学4年生のとき、学校でテストを受けている途中に大きな揺れに襲われました。

震災直後の東松島市の様子(2011年3月)

武山さんは迎えに来た家族と一緒に学校から高台に避難。
その途中、車ごと津波に飲まれそうになったといいます。
幸い家族は無事でしたが、学校の同級生などを亡くしました。

避難所で過ごす武山さん(2011年6月)

仮設住宅に入居するまでのおよそ3か月間、避難所を転々としながら家族5人で生活しました。

武山さんは被害の状況が分からないなか、今後の生活への不安や避難所での不自由な暮らしにストレスを抱えていたといいます。

さらに、避難所生活で十分に睡眠が取れない母親の姿を見て、子どもながらに気を遣い、自分の思いを吐き出すことができませんでした。

語り部活動をする大学生時代の武山さん

いまは福祉関係の仕事をしながら、自分の被災経験などを伝える語り部の活動を行っています。

自分と同じように、能登半島地震で大切なものを失った子どもたちへ。
武山さんからのメッセージです。

※再生すると音声が出ます

「もう十分頑張っていると思うので、これ以上1人で頑張らなくていいよって伝えたいなと思います。

避難所生活の中で子どもたちって邪魔になることが多いんですよね。親や学校の先生がすごく忙しくしているのを見て、『自分はいらない存在なんじゃないか』って思うこともあったし、何か忙しそうにしてるから、不安な気持ちも話せなくて夜眠れないこともあったし、そういうのも子どもながらにあったので、しかも言語化できないんですよね。

不安な気持ちを何もできないから、ちょっと座っているしかないとなると、変な方向にというか。『これいつまで続くんだろうな』『あの人生きているかな』『この後どうなるんだろうな』みたいな感じで、どんどん悪いほうに思考がいってしまう。

大人の人たちも厳しいと思うんですけど、寝る前にひと言『大丈夫だよ』って声をかけるとか。そういうのがあったら、震災の時の私はすごく落ち着いたかなって思います。

『自分たちでやらなきゃ』だけじゃなくて、周りからの手を借りても全然いいのかなって思います」

みんなのコメント(4件)

感想
K.
19歳以下 女性
2024年3月26日
現在小学5年です。4月から6年生になります。
5年では社会で津波のことや公害などを習いました。
東日本大震災、3.11。この時私は生まれていませんでした。
あまり大きな地震を経験したことがなく、いつ、どこで大きな地震が起きるか分からないので地震の事について調べていました。
もちろん、東日本大震災よりもっと大きな地震が世界各地で起きています。
東日本大震災も忘れてはいけませんが、他の地震も忘れてはいけないことだと思います。
小学4年生で、今の私より年下で、物凄く大きな揺れを体験するのは言葉では表しきれない程怖かったと思います。ずっと辛かったと思います。
ご家族様とご本人様が生きてくださって幸いです。
十分頑張っている。その言葉が響きました。
能登半島の地震の時は震度4でしたが、物凄く怖かったです。
テレビで警報がなって、建物が崩れている映像が流れて。
武山さんは本当に強い方だなと思いました。
体験談
りり
19歳以下 女性
2024年3月20日
4月から新5年生になります
4年生ではいっぱい災害のことを勉強しました
私は兵庫県で阪神・淡路大震災があったのでそのことについてよく勉強しました経験してないのにすごく怖くて、そして1月1たち私はテレビを見ていたその時石川で大きな地震がありました。そして地震だけじゃなく、津波も来て、すごくこわかったです
なのでこういうのを投稿してくれるのはすごくありがたいです。
感想
あいまる
19歳以下 女性
2024年3月7日
私は東京都に住んでいる小学4年生です。武山さんの気持ちに、本当に感動しました。この思いが、今まだ被災している人や被災が終わってつらい気持ちの人に届いてくれたらなと願っています。このようにビデオで伝えてくれてありがとうございました。
感想
れおれお
19歳以下 男性
2024年3月4日
こういうのはいいとおもう