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「周りの大人を頼って生活して」 岩手県釜石市出身・川崎杏樹さん

「能登半島地震を経験した“子どもたち”へ、私がいま伝えたいこと」

このページでは、かつて東日本大震災などで家族や友人、ふるさとなどを失った“子どもたち”からのメッセージを紹介します。

中学3年生のころの川崎さん

岩手県釜石市・鵜住居地区出身の川崎杏樹(かわさき・あき)さん、27歳です。
中学2年生のとき、東日本大震災を経験しました。

川崎さんが通っていたのは、海のすぐそばに立つ釜石東中学校。
体育館でクラブ活動をしていたところ、地震が発生しました。

川崎さんは揺れがおさまってすぐ、クラスメートとともに学校から1.6キロ離れた高台まで歩いて避難しました。

川崎さん

「衝撃的な景色が目の前に広がっていました。自分が普通に過ごしていた町が完全に海になっていました」

津波で破壊された釜石港の防波堤

釜石市の湾の入り口には世界最大の防波堤がありましたが、巨大津波により倒壊。
川崎さんの自宅は1階部分が浸水し、大規模半壊の判定を受けました。
釜石市では5500棟あまりの住宅が被災し、1000人以上が犠牲になりました。

語り部活動を行う川崎さん

川崎さんは県外の大学を卒業後、ふるさとに戻ることを決意。
鵜住居地区の震災伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で、震災の語り部やワークショップを行っています。

自分と同じように、能登半島地震で大切なものを失った子どもたちへ。
川崎さんからのメッセージです。

※再生すると音声が出ます

「皆さん、こんにちは。『いのちをつなぐ未来館』の川崎と申します。

1月1日の発災から、これまで本当に大変な思いをしながら生活をしていると思います。ただでさえ我慢の多い生活かと思いますが、自分の気持ちには我慢をしないでください。

周りにいる家族や友達、大人の皆さんにぜひ思いを吐き出しながら、頼って生活をしてください。少しでも早く当たり前の生活が戻るよう、この釜石から願っております」

みんなのコメント(1件)

体験談
しずく
19歳以下 女性
2024年3月15日
最近、悲しいことがたくさんありました。
そのため、頑張ろうと思えました。
泣いてばっかじゃだめだけど親も頼ろうと思いました。
自分だけで頑張らなくてもいいということをこれで知りました。
私は三年生なのですが、心の整理がうまく行かないときが多いものです。