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「体験していなくても語り継げる」 親子でつなぐ震災の記憶

阪神・淡路大震災からきょう(2024年1月17日)で29年。“語り部”として、その体験を語り継ぐ親子がいます。

父親の米山正幸さん(57)と娘の未来さん(29)。生後2か月で被災した未来さんには、当然ながら震災の記憶はありません。

それでもなぜ、語り部を継ごうと思ったのか。

「語ることはそこにあった命を証明すること。語る人がいなくなれば、そこにあった命さえも忘れ去られる」

親子の思いを、東日本大震災の記憶の風化に悩む、岩手県の若き語り部が尋ねました。

【関連番組】明日をまもるナビ
2023年10月8日(日)午前10時05分~午前10時50分
https://www.nhk.or.jp/ashitanavi/broadcast/16803.html

米山 正幸さん(こめやま まさゆき・57)

兵庫県淡路島出身。阪神・淡路大震災直後から地元の消防団員として家屋の下敷きになった人々の救助や地域の復旧活動にあたった。現在は北淡震災記念公園に勤務し、語り部として当時の様子や防災への備え、命の尊さなどを伝えている。

米山 未来さん(こめやま みく・29)

米山正幸さんの娘で“二代目”の語り部として活動。生後2か月で被災し当時の経験はないが、父や地元の人々に聞いた話をもとに伝承活動を続ける。また、より多くの人に“興味関心をもってもらいたい”と動画配信という形でも震災の被害や防災情報について語っている。

川崎 杏樹さん(かわさき あき・27)

岩手県釜石市出身。東日本大震災当時は中学2年生。県外の大学を卒業後ふるさとに帰り、地元の防災学習施設で震災の語り部や防災ワークショップを行っている。実際に津波から避難した経路を歩きながら当時の記憶を語り継いでいる。

語るのは自分の体験だけではない 「多くの体験を背負って伝える」

中学2年生のときに東日本大震災を経験した、岩手県釜石市の川崎杏樹さん(27)。語り部として当時の経験を伝え続けていくことに、ある不安を感じていました。

同じ地区で被災した人がたくさんいるなか、“私” が話すことが釜石で起きたことのすべてと受け止められてしまうのではないか。

そんな思いを胸に向かったのが、兵庫県淡路島の米山さん親子の元でした。

川崎さん

岩手県の釜石市にある東日本大震災の伝承館「いのちをつなぐ未来館」という所で働いています。施設の管理・運営と伝承活動を行っています。

正幸さん

私は淡路島の「北淡震災記念公園」で総支配人として会社の運営、震災の語り部活動や野島断層保存館の案内をしています。

未来さん

私は父親の後を継いで二代目の語り部として現在活動しています。ふだんは関東で仕事をしていますが、土日とか休みの日には現地で語り部活動しています。あとは自宅からライブ配信という形でこれまでは活動してきました。よろしくお願いします。

川崎さん

もう東日本大震災が起きてから12年たって、小学生はみんな震災後に生まれた子たちなんです。そういった震災後に生まれた人たちとかに対して、どういうふうに風化させずに伝承をしていけばいいかとか、次の世代、それこそ未来さんみたいなその“次に語っていく人”たちってどういうふうに増やしていけばいいかみたいなことを聞かれるんですけど、米山さんはどう考えていますか?

正幸さん・未来さん

はいはい。

川崎さん

「語り部やりませんか?」と言っても、やっぱりまず語り部のイメージというのが“自分、体験していないけど話していいのか”っていう悩みとか絶対生まれてくると思いますし、すごく難しいのかなとも思っているんですけど。直接探しに行くとか、ちょっとずつ話し手を見つけていくっていう感じだったんですか?

正幸さん

今まではね、“体験者が語り部する”っていう流れだったんですよ。でも自分自身は語り部を始めたときから「体験してなくても語り部はできる」っていうのがポリシーなんですよ。

川崎さん

へぇ。

正幸さん

実際自分がしゃべっていることも、自分が体験したことだけじゃないんですよ。米山正幸っていう一人の人間が体験したことは一つだけなんですよね。2か月の娘と被災して、消防団だったから救出活動をやって、そのあと色んな活動をやった、それと組み合わせての体験談なんですよ。自分が始めて2年ぐらいたった後からはだんだん変わってきて、聞いてくださる人の立場の…同じ立場の人、民生委員だったら民生委員、消防団だったら消防団、学校の先生だったら学校の先生…が聞いてくださってたら、当時民生委員さんどんなことやったんや、消防団どんなことやったんや、学校の先生はどんなことやっとったって、そういうことを聞きたがるようになったというか、質問がいっぱい出てきた。

川崎さん

うんうん。

正幸さん

そういうお客様のニーズで変わってきたんですよ。だから、自分は聞き取りっていうのをやったんです。“聞いてくださるお客さんに合った話ができるように”というので、直接当時のいろんな立場の人の聞き取りに行って、そのことをまとめてしゃべってるので。だから一緒やと思うんですよ、それと。体験していないことをしゃべっているんですから。だから「別に体験してなくても語り部はできる」っていうのが自分はずっと昔から思ってるので。

語り部活動を行う正幸さん
正幸さん

語り部を始めて一番最初は、自分の体験談だけでしゃべったんですけど、全然しゃべれなかったので原稿を読むだけで終わったんですよ。だけど顔上げたら、来てくださった先生とか生徒が涙流してたんですよ。それ一番最初のときなんですけど。もうそれを見たときに恥ずかしいわ情けないわで。それで「とりあえず語り部っていうのを極めたろう」と思って、そこからは当然失敗もあったんでしょうけど、語り部として伝えようと思ってバージョンアップしようと思って、質問を受けたときに全然知らんことだったと、答えられなかったと。それは情けないことで「次はそれを答えられるように」というので、それをしっかりと体験者に聞きに行って勉強したりして。その繰り返しでずっときてるんですよ。自分は身内が亡くなっていないけれど周りには亡くなった人がいて、その遺族の人からも直接話を聞きに行ってるんですよ。話の中で言っている火事の場面とか、自分以外は亡くなってしまったりとか。そういうこともきちんとその人に。

川崎さん

本人に?

正幸さん

「話してもいいか?」というので聞きに行って、どういう雰囲気でどういう状況やったかというのを聞かせてもらって、「しゃべってええよ」とオーケーもらってからしゃべっているので。やから、それも受けて自分自身が“伝えるために背負ってる”と思ってる。反対にプレッシャーかかることか分からないんですけど、自分は反対にそれを前向きに、一歩進むための力として使ってますかね。すごい前向きすぎるか分からないですけどね。

川崎さん

素敵です。私もそうなりたいなと。最初はそう思ってたけれども、ちょっと不安になってしまったときがあって、なんかいろいろワーッて悩みが出てきたりっていうとこだったので。なんか私もそのまま“シンプルに”じゃないですけど、前向いて。

正幸さん

そう、前向いて。自分はそうですね。

川崎さん

ポジティブにっていう。

「そこにあった命の証明を」 父に憧れ“二代目”語り部に

川崎さん

未来さんが活動を始めるにあたって、たぶんお父さんの姿が大きかったんじゃないかと思うんですよね。活動をされている姿とかがかっこよく見えたりとか、やっぱり色んな人の役に立ってるんだろうなっていうのが後ろ姿から感じられたりっていうのがあったんじゃないかなって勝手に想像してるんですけど、そのあたりいかがですか?

未来さん

ありましたよ。

正幸さん

あ、そう?

未来さん

へへへ。実際やっぱ…直接あんま言ってないかもしれないですけど、でもやっぱり小さなときから父が語り部をやってる姿っていうのは見てきたので、かっこいいなとか、しかも父親が語り部をしてその結果、話を聞いた人たちがやっぱり何か感じて涙してたりとか、その後の防災・減災っていうところにつながっていってる姿っていうのも見てきたので、語り部は人の心に何かを届けることができると幼いながらに感じていたので。

川崎さん

うわぁ…。

未来さん

やっぱりそういうところでは自分が「語り部になりたい」「やりたい」って、もう覚悟を決めたときにはやっぱり“父の姿を追いかけて”じゃないですけど、やっぱり目標としてやっています。

川崎さん

あぁ、なんかある意味そうですよね、目標でもありつつ、なんか未来さんの活動の土台みたいにもなってるんじゃないかなぁっていうふうにすごく感じていて。

未来さん

そうですね。

父の姿を幼いころから見て育ち、父の背中を追って活動を続ける娘の未来さん。

当時の記憶はありませんが、大学進学を機に感じた「ある悔しさ」から“私なりのやり方”で伝えていこうという決意が生まれたと話しました。

未来さん

私にとっては1月17日ってすごく大切な日やったけど、関東にいざ出てみたら、例えばテレビの報道もほとんどされないとか、大学で教授とかも全くそのことに触れなかったりとか。友達と話していても一切話題が出ないって状況にすごく危機感を覚えて、すごく衝撃を受けて「あー、これはアカン」というか。やっぱり私も身近に語り部さんっていうのは父親だけじゃなくていっぱいいらっしゃったので、その方々が一生懸命これまで伝えてきてくださったことが全然届いていない、全然こう…伝わっていっていないのかなっていったところにすごくやっぱりショックで。日本全国に災害だけじゃなくて、公害だったり戦争だったり、いろんな語り部さんがいる中で、「語り部」っていうワード自体が意外と浸透してない現実があったりとか、“語り部の話を聞く”まで興味関心がないという人たちってすごくいっぱいいるという現実があって。そこに「すごく悔しいな」っていう思いになりました。

川崎さん

うんうん。

未来さん

一生懸命こう…やっぱり強い思いを持って伝えてくださっている語り部さんがいっぱいいて。「二度と同じような思いをする人を出したくない」っていう思いだったりとか、その次…いつか絶対来てしまう“いざ”っていうときにやっぱり被害をできる限り少なくしたい、助かる命が増えてほしいっていう思いだったりとかがあると思うんですけど。それを実現させるためには、今現時点で興味関心が無い人にも伝えていかなきゃいけないと思うんですよね。

川崎さん

そうですね。

ライブ配信する未来さん
未来さん

「じゃあ、記憶が無いけど私ができることって何だろう」って思ったら、たまたま私が前からやっていたライブ配信を使えば、興味関心が全く無い人も配信の画面に入って来ることもあるんですね。なので、そういった人に“たまたま届く”っていう、きっかけづくりみたいなこともできたりとか、娯楽の場を逆に使ってそういう形で届けると。私なりの方法で、私なりの工夫の仕方でやれるところまでやってみようという感じでやってきました。

川崎さん

なるほど。ライブ配信ならではのメリットを生かそうと工夫されてると思うのですが、難しさや葛藤もありましたか?

未来さん

自分の経験が無いなかで話をする、それもちゃんと人に伝わるようにというのはすごく難しくて、やっぱりいろんな葛藤はありました。もちろん「記憶が無い奴が語るな」とか、実際そういう直接的な言葉ももちろん届いたりとかして。ずっとそこからは初心に返って、「なんで記憶が無いけど伝えたいと思ったんだっけ?」「伝えていかなきゃいけないと自分思ってるんだっけ?」というのは、「あぁ、また記憶無いのにな、自分」って自分で思ってしまったときはもう毎回そこに立ち返るようにはしていて。それって、語り部さんたちが伝えてくださっているお話って“そこにあった命の証明”でもあると思っていて、語る人がいなくなれば、そこにあった命さえも忘れられてしまったりとか。だから途切れさせずに、いつか来てしまうそのときのためにちゃんと伝えていきたいと思うので、米山未来としての語り部の存在意義みたいなものを自分で見出しながら活動してきました。

語り部として発する〝言葉の重み〟

川崎さん

活動を続けていくなかで悩みと言うか、葛藤みたいなのが出てきて。伝えていくことで発する言葉の重み、責任感的なところですね。私たちがしゃべったことによって、ちょっと人生が変わる人もいるかもしれない、災害が起きたときに助かる人もいるかもしれないですし、その逆になるかもしれないとか。伝承活動とかその語り部の活動をしていくなかで、言葉の重みとか責任感的なところで、何か感じたこととか思ったことはありましたか?

正幸さん

まあ言葉の重みは感じていますよ。自分自身の体験が100%正解じゃないんですよ。よく言うんですけど、同じ阪神・淡路大震災でも都会の神戸と田舎の淡路ですごい差が出たんですよ。違いって当然あるので、聞いてくださる人が自分の地域に落とし込んでもらって“合う部分は使ってね”というようなしゃべり方というか、質問を受けて“私とこの地域はこうなんです”って言ったら、“それは、ここコレが使えますよね”って、“でもコレは使えないですよね”っていうのは答えるようにしてます。だから「100%(正解)じゃないよ」っていうのは。やっぱ地域柄とかもあるので、やっぱ自分の今の立場…今の住んでる所の合ったやり方っていうのを、自分の地域に落とし込んで使ってねっていうような思いでしゃべってたら楽ですから。

川崎さん

確かに。そうですね。未来さんはどうですか。

未来さん

ライブ配信って本当に誰が聞いてるかこっちからは分からないんです。どんなバックグラウンドでどんな人が聞いているか分からない人に向かってお話をするとなると、自分のほんの一言で傷ついたりとか、逆に喜んでもらえたりとか、色んな反応をそれぞれ画面の向こうで受けてるんですよね。だから“この言葉はちょっと、使うと傷つく人もいるかもしれない、じゃあこういう言い方に変えよう”とその状況に応じて判断しながら、“この言葉使っても大丈夫そうだな”とか考えたり、1つ1つのコメントを拾い上げながら意識してきました。

語り部活動を行う川崎さん
川崎さん

なんか改めて、体験した災害は違うけれども抱えてる思い、その目指してる先とか、いろんな経験したことって言うか気持ちって結構共通する部分もあったので、本当になんかみんな一緒に頑張って伝えていきたいなって思いましたね。“釜石だけ”とかじゃなくて。

正幸さん

そうですよ、皆。

川崎さん

もっともっと日本全国、もう“肩組んで”じゃないですけど、

正幸さん

そう、1つの体験だけで伝えられる教訓って1つですよ。いっぱいいろんな所から集まって来て、話を持ち寄ることによってね、2つの話が寄り集まったらひょっとしたら4つになるのか分からないしって。いろんな…やっぱり共有することが大事ですよ、情報は絶対に。

川崎さん

なので、そういった意味でも、この機会でいろいろ話させていただけてすごく良かったなっていうふうに思いました。

未来さん

こちらこそ。

正幸さん

いや、本当に。こちらこそ。

川崎さん

ありがとうございました、本当に。

正幸さん

勉強になりました。ありがとうございます。

(対話 2023年7月)

この記事の執筆者

福島放送局 アナウンサー
武田 健太
福島放送局 ディレクター
佐野 風真

みんなのコメント(7件)

感想
うさ
19歳以下 男性
2024年3月30日
頑張ってください
感想
今村そよ/そ よ ち
19歳以下 女性
2024年3月25日
なんて悲しいの?
感想
えーちゃん
2024年3月23日
がんばれ!
感想
みなや
19歳以下 その他
2024年3月21日
頑張れ
感想
ちーちゃん
女性
2024年3月20日
体験しなくても語り継ぐことができると書いてあり、たしかにそうだなと思いました。
感想
イオリンゴ
女性
2024年3月20日
震災のときいっぱいのひとが死んでいったからたくさんつらいおもいをしたんだと思ったです。
感想
みずき
女性
2024年3月4日
いいとおもった