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薄れる震災への関心 僕らの世代が「未来を守るために」語り続ける

東日本大震災からまもなく12年。
福島県富岡町出身で、震災の経験を伝える“語り部”活動を行う宗像涼さん(24)は、ある悩みを抱えています。

「社会の関心が次第に薄れ、震災を知らない世代も増えるなか、どうすれば自分事として聞いてもらえるのか」

NHKは今回、全国の200人以上の語り部を対象にアンケートを実施。その中に、宗像さんが会ってみたい人がいました。

那覇市出身で沖縄戦の記憶を語り継ぐ、稲福政志さん(25)です。アンケートには「相手がどこから来たか、何を大切にしているかをこちらが理解することによって届く思いはあると思う」と書かれていました。

沖縄を訪ねた宗像さん。稲福さんとの対話で得たヒントとは。

東北ココから「語り部クロス 〜語り継いでいくために〜」

2月10日(金)午後7:30~7:57放送(東北ブロック)
※放送から2週間、NHKプラスで見逃し配信をご覧いただけます

宗像 涼さん(むなかた りょう・24)
福島県富岡町出身。小学6年生のとき、原発事故により福島県中心部にある郡山市に避難。2019年、20歳のときにすでに避難指示が解除されていた富岡町に戻り「ふるさとを忘れないでほしい」と地元のNPOで語り部として働き始める。
稲福 政志さん(いなふく まさし・25)
沖縄県那覇市出身。観光や修学旅行で沖縄に来た人などを案内。大学生のときに祖母から沖縄戦の話を聞いて衝撃を受け、県内外の人に沖縄戦について語り始める。聞いてくれる人が興味・関心を持てるようにワークショップを取り入れるなど、工夫をしながら語り部の活動を行っている。

「楽しいより、うれしい」 語り部を続ける原動力

「平和の礎」を宗像さんに案内する稲福さん

去年11月、2人は沖縄県糸満市にある平和祈念公園で会いました。

稲福さんが宗像さんに案内したのは、沖縄戦で亡くなった人たちの名前が刻まれた「平和の礎」。稲福さんの曾祖父母など親族も犠牲になったと話しました。

その後、公園内のベンチに腰掛けた2人。話は語り部の活動を始めたきっかけから始まりました。

左:宗像涼さん 右:稲福政志さん
稲福さん

よろしくお願いします。稲福政志といいます。沖縄の施設や資料館だったり観光地だったり、いろいろな所に連れていくガイドをしています。

宗像さん

福島県富岡町から来ました宗像涼といいます。個人ではなく団体に所属して語り部として活動しています。富岡町という被災地をご案内しています。

稲福さん

もともと僕は沖縄に関心を持っていなかったし、別にそんなに熱い思いがあったわけでもないんです。でも、フィリピンやアメリカに住んでいる親戚が沖縄に来てくれたときに、水族館だとか首里城に連れて行ったんです。そのとき自分自身、沖縄のことを何も知らないなと、おもてなしするつもりが何も話せなくて。それじゃあだめだなと思って勉強を始めて、おじいちゃんおばあちゃんに沖縄戦の話を聞いたときに、ちゃんと自分は沖縄に向き合わないといけないって思ってガイドを始めました。

宗像さん

小学6年生のときに原発事故で福島県の郡山市に避難しました。そのあと20歳になって専門学校卒業のタイミングで親と一緒に戻ってきました。たまたま専門学校のときに先生だった方が富岡に住んでいて、語り部団体の仕事をしていると。それで誘われて、この町のためにやろうと思って町を案内したり震災のことを伝えたりし始めました。僕ももともと富岡町出身だけど町について全く知らなかったんです。まず勉強しないとしゃべれないと思ってほかの語り部についていって勉強して、図書館で勉強したりもして。それでまずは台本を作って本格的に語り部を始めました。月5~6回ぐらい学校、団体、企業さんとかに伝えています。

稲福さん

続けるモチベーションってどこにあるんですか。

宗像さん

最初にやりたいなと思ったきっかけが、最初にご案内した企業さんのとき。ちゃんとご案内もできなくて、体験談とかもちょっと話したりしたんです。そのときに若い人が「聞けて良かった。今まで年齢がちょっと上の方のお話を聞いてきたけど、若い人の目線からの話は聞いたことがなかった」って最初に言われたんです。あ、若い人の話を聞く機会があんまりないんだって思って。そこからたくさん活動するようになりました。それで自分の町、自分の地元をいろんな人に知ってもらえるというのがうれしいですね。

稲福さん

確かに。

宗像さん

楽しいというよりはうれしい。

稲福さん

うれしいですよね。全く一緒です。いろんな地域から来てくれたりするからうれしいし、全然沖縄と関わりがなかった人たちとかが沖縄を好きになってくれたり、また来てくれたりとかしてくれるとうれしいし楽しいし、やっていてよかったなと思ったりしますよね。僕のモチベーションは、自分が沖縄のことが好きだからです。自分が生まれ育った場所だから好きでいたいという気持ちもありますね。

今じゃなくていい 言葉が届くタイミングは人それぞれ

富岡町で語り部の活動をする宗像さん(中央)

生まれ育った富岡町で語り部をしている宗像さん。被災地を訪問する企業の人たちや学生たちに、震災当時、原発事故で町はどのような状況だったのか、避難指示が解除された後どう変わってきたのか、伝え続けています。

しかし、すべての人が正しく理解したり、興味を持って聞いたりしてくれるわけではないことにもどかしさを感じていました。

宗像さん

傷つく言葉というのは「福島県って住めるの?」と言われたりするんです。いや、住めるからって。でも、結局住めない時期があったから「被災地は住めないんじゃないの?」という人たちもいたりはする。

稲福さん

時が止まってアップデートされてないってことですよね。

宗像さん

そうそう。そのときからもう全く興味関心はなく、そのままだという方もいる。

稲福さん

自分は沖縄好きだけど、県外の人と話すと「米軍基地についてどう思ってんの」とか、「戦争大変だったね」って、そこしか聞かれないということがすごくつらいんです。自分は沖縄のこと好きなのに、外から見たらかわいそうだよね、みたいな目線で見られるのがすごく嫌だったんです。だからこそいろんな人に知ってほしいというのはあって。

宗像さん

福島でも興味関心を持たないで、話しているときに寝ている人とかいるんです。

宗像さんが活動の中で感じている、人々の興味・関心のなさ。

NHKが全国で戦争や災害、公害などを伝えている205人の語り部を対象に行ったアンケートでも、「活動を続けていく上での大変さは何か」という質問に対し、約15%の人が「周囲の無関心」と答えました。

稲福さん

(沖縄でも)修学旅行とかでやっぱり話していても、おしゃべりしていたり寝ていたりとかはある。でもその人たちにとって、やっぱりそれぞれタイミングがあると思っていて。気づくのは今じゃなくてもいいと思っているんです。でも、できるだけその人たちに、今じゃない、後につながるきっかけを残してあげられるか。例えば修学旅行で沖縄に来るんだったら、1つでもいいから思い出を作ってもらうとか。そうすると、結構大学生になって戻ってくる人たちとかもいたりするんです。だから今は届いてないかもしれないけど、その人の中に何か種を植え付けることができれば・・・。

宗像さん

育つまでね。

稲福さん

うん。それがいつか、何年後、10年20年後かもしれないけど、何か戻ってくれば、やる意味はあるのかなと思いながら、そういう場面でも自分もそういうことを思って頑張ろうと思っています。

宗像さん

それは確かにありますね。

稲福さん

でも僕ら自身も気づいたタイミングってあるわけじゃないですか。

宗像さん

そうですね。すごく若いうちではなかったんで。

稲福さん

ですよね。だからそれは人によると思うから。だから続けることが大事だなというのはすごく思います。

震災や戦争を知らない世代へ 「過去を知ることは自分の未来を守ること」

宗像さんが日々の活動でもう1つ難しさを感じているのが、震災を知らない世代にどう自分事として関心を持ってもらえるかという点です。

実は稲福さんも同じ悩みを抱え、試行錯誤を重ねた末、一方的に語るのではなく一緒に考えてもらう時間を大切にしていると話しました。

宗像さん

小・中学生はもう東日本大震災の記憶がない世代なので、そういう子たちが「うーん」ってなっちゃっているのかなというのはある。やっぱり「お勉強ですね」という感じなんです。

稲福さん

やり方でいうと、修学旅行の受け入れ授業とかやらせてもらっていて。ワークショップ形式というのを取り入れていますね。例えば、グループに分けて戦争で亡くなった方の名前を渡すんです。「この人がどういう亡くなり方をしたのか、それを調べてきてください」と言って資料館に行くんですよ。資料館の中には証言集とかがあるので、その人の娘さんとかお知り合いの方が証言を残していて、それを見てどういう戦争の被害にあったのかというのをそれぞれ各自で調べてもらうんです。そしてチームごとに発表してもらうとか。軽くなりすぎるのもよくないとは思うんですけど、自分事として捉えられるワークショップも大事かなと思っています。

宗像さん

福島はまだ12年目だけど、若い子たちがどう学んでいくのか考えるという、似たようなところも沖縄でもあるんだなと感じましたね。

稲福さん

語り部活動って過去の歴史を知ることによって自分たちの未来につなげるものじゃないですか。これって自分たちのことなんですよ、自分たちの未来をしっかり守っていくためなんですよ。学ばないといけないことなので、少しでも届いてくれるといいなと思います。

稲福さんが沖縄戦を語り継ぐために取り入れたワークショップ
稲福さん

「僕は生まれ育った場所が好きだけど、あなたにとってそれはどこ?」というような話し方をするようにしていて。やっぱり自分は生まれ育って住んでいるから沖縄のことを思えるけど、県外から来た人とかが同じような感情が芽生えるかといったらなかなかそうでもない。バックグラウンドが全然違うので、そこをできるだけ埋めるためにも何か共通の話題を見つけることをすごく意識しています。それこそ、今回も福島から来られるってことだったから福島のことを調べたりだとか、福島の震災がテーマになっている映画を見たりとかしました。たぶんお互いに地元があって、お互い大事にしているものがあると思うんです。お互いが尊重しあえてリスペクトできれば、お互いの話が入ってくると思うんです。

宗像さん

なるほど。

稲福さん

入り口に映画の話だとか、音楽の話をしている。沖縄の有名なアーティストが結構いるけどみんな地元は違うんですよ、沖縄の中でも。島出身の人たちは島出身なりのバックグラウンドがあるからこそ、それを歌詞に込めて歌うんだよとか。そうするとどんどんその土地その土地のカラーが見えてきて。最初は“楽しい”でいいと思うんです。楽しいから入って、でもどういう思いでそういう人たちが活動しているのかとか、どういう思いでこの歌が書かれたのかとかを考えると、どんどん沖縄の明るい部分だけじゃないところが見えてくるんです。そこからまずは身近に感じてもらって、それで興味を持ってもらうということを意識していますね。

宗像さん

そうですね。まずは興味をもってもらうことが大事ですよね。聞いた情報だけじゃなくて実際来てみたら「あ、こういう感じなんだ」という人が多い。最初のきっかけが人それぞれ違って、それで来る来ないが変わる部分がありますね。

どうすれば少しでも自分事として聞いてもらえるのか。アンケートでも、全国の語り部たちから、話し方や伝え方の工夫についてたくさんのコメントが寄せられました。

広島県 40代 男性

「もしあなたが同じ状況だったらどう思いますか」と問いかけ、当時の状況や被爆者の気持ちを想像してもらうことで相手が受け止めやすくなる。

長崎県 20代 女性

柔らかいタッチの水彩画で必要に応じて輪郭をぼかすことで、怖くて聞けない、見られないということができるだけないよう心がけている。

沖縄県 20代 男性

目をつむり、風の音や鳥の声を聞いてもらう。それは50年前も100年前も変わらないものだと思う。物に触れてもらうなど相手の年齢層関係なく伝わる工夫をしている。

「僕らの世代がどうするか」 2人の決意

稲福政志さん
稲福さん

僕は沖縄戦の当事者ではないじゃないですか。自分の経験を話しているわけでもないですし。あくまで読んだ本の話をしていたりなので、沖縄から遠く離れた人をなかなか想像させることができない。そういう人たちに当事者意識を持ってもらうことって難しいじゃないですか。

宗像さん

難しいです、難しい。

稲福さん

宗像さんは当事者ですから、受け取る側からしたら、やっぱりそこの言葉の重さはちゃんと伝わると思うんですけど、何を伝えたいですか?

宗像さん

僕は体験したことを全部わかってほしいとは言わないんです。そういう出来事がいつかは起きてしまうかもしれないというのが大前提だと伝えています。起きる可能性はゼロではない。そういうときに、避難したり逃げたりしなきゃいけないという“覚悟”をみんな持たなくてはいけないよというのは言っています。そのことをちょっとでも知ってもらえれば。ひと事からちょっとでも自分事化する。それでいつか起きるかもしれない被害を減らせるかもしれない。

稲福さん

そうですね。やっぱり僕らの世代はまだ直接的に体験した人の話を聞けた世代なので、僕らの世代がどうするかでこれから本当に変わってきますね。

宗像さん

そうですね。今回沖縄に来て「伝え方」を学んで、そのヒントが自分の中で見つかり始めたかもしれないです。ずっと頑張っていこうと思えました。

稲福さん

いいですね。僕もずっと続けていくので一緒に頑張りましょう!

(対話 2022年11月)

全国の語り部たちの対話。特設サイトはこちら☟

この記事の執筆者

福島放送局 ディレクター
佐野 風真
福島放送局 アナウンサー
武田 健太

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