悲しみやつらさを飲み込みながら、楽しめた10年 「あの日」の子どもたちへの10の質問
東日本大震災を経験し、大切な人やものを失った子どもたちに、いまだから語れる気持ちを尋ねる、「『あの日』の子どもたちへの10の質問」。
今回答えていただいたのは、宮城県石巻市出身の大槻綾香さん(25)。震災当時は14歳、中学2年生でした。
大槻さんは、津波で母・京子さんを亡くし、自宅も流されました。母との思い出は、一緒にお菓子作りをしたこと。綾香さんは、パティシエになるという当時からの夢をかなえました。
現在は埼玉県のレストランで働きながら、心理学を学び、遺児の心のケアを行うボランティア活動もおこなっている大槻さんに、「10の質問」をしました。
(2022年2月)
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大槻さん
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最近あったうれしかったことは、バレンタインデーに友達何人かに送ったんですが、すごく喜んでもらえて、また作りたいなって思って。ああ、じゃあ来年も作ろうって思ったのが、うれしかったです。
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大槻さん
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夜眠る前が最近多いかなと思います。3.11が近づくにつれてかもしれないですが。寝る前に、「あのとき、こんなことあったな」とか、震災当時、「ああ、つらかったな」とか、「母親が生きていたら、どんなことを今言ってくれるかな」とか、そんなことを考えながら眠る日がたまにあります。
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大槻さん
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変わらなかったことは、自分を好きだと思えること。変わったことは、ずっとパティシエしかないと思って今まで生きてきたけど、自分が幸せで、楽しいと思える仕事があるなら、別にパティシエじゃなくても、そのときの自分が選んだ仕事で生きていけたらいいなと変わりました。
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大槻さん
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「パティシエになっているよ」ということはひとつ、言いたいなとは思っていて。あとは、「まだ生きているよ」ということは伝えたいなと思っています。
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大槻さん
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この10年は短かったなと思います。たぶん理由としては、環境が大きく変わったこと。自分の心の変化もそうですし、あとは住む場所だったり、付き合っていく人間関係だったり、すごく大幅に変わったかなと思います。悲しみだったり、つらさを、うまく自分の中で飲み込みながら、うまく付き合っていきながら、自分の中で楽しめた10年かなと思います。
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大槻さん
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10年後の自分は、地元・宮城に帰ってきていたら、うれしいかなと思います。仕事も次にやりたいことは、起業すること。お菓子ではあるんですけど、自分が作るほうがメインではなくて、人を育てたり、子どもたちのためにお菓子を通した教育だったりを提供できたらいいなと思って。その会社が10年続くか、というのが今思うところかなと思います。
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大槻さん
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ひとつは「まだ生きていますか?」っていうことと、あとは、「今好きなことで幸せを感じられますか?」ということを聞きたいです。
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大槻さん
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今いちばん会いたい人は、中学のときの担任の先生です。伝えたいことは、震災当時、私のことをどう思っていたかなということと、先生として、自分が受け持つクラスの子どもたちが10年後どうなっているかなっていうのを想像したのかな、どんなことを考えていたのかなということを聞きたいです。
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大槻さん
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私にとっての家族は、安心できる場所でもあり、いちばんつらい体験を、一緒に乗り越えてきた戦友というか、仲間かなと思います。
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大槻さん
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私の宝物は、まずは自分自身かなと思います。自分を好きでいられること、自分の幸せについて願えることが、過去の自分を含め、これからの自分もどんどんつなげていきたいなというところがあります。
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