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あの2人は、かつての私だった

岩手県大槌町出身の太田夢さん(19)。小学2年生のときに東日本大震災を経験した夢さんは、いま再会して話したいと思う人がいます。2018年に北海道胆振東部地震で被災した、日西楓さん(11)と佐藤遥さん(11)の2人です。
地域や年代を越えて話をしたいと感じたのはなぜなのか。そこには震災から11年たっても整理することのできない、夢さん自身のもやもやした思いが背景にありました。
対話に臨む思いから、お話を伺います。

(盛岡放送局 ディレクター 山本恭一郎)

東日本大震災で、親や家族、故郷・思い出など大切なものを失った子どもたちの“いまの気持ち”を、誰かとの対話を通じて記録する「いま言葉にしたい気持ち」。
「家族」「生き方」「人生」…個人の名前が出る話などはのぞき、ありのままの言葉を残していきます。

太田 夢さん(おおた ゆめ・19歳)
岩手県大槌町出身。小学2年生で東日本大震災を経験。津波で自宅を流され、親しかった祖母と伯父を津波で亡くした。中学生から震災を伝える語り部活動を始め、高校時代には防災のために活動するボランティア団体「夢団」を立ち上げた。
日西 楓さん(ひにし かえで・11歳)
北海道厚真町出身。小学2年生だった2018年に北海道胆振東部地震を経験。夢さんが東日本大震災を経験したときと同じ学年だった。土砂崩れの被害が多かった地域に自宅があり、その場所が住宅の建築を制限される地域に指定されたため、厚真町内の別の場所に自宅を再建した。
佐藤 遥さん(さとう はるか・11歳)
神奈川県鎌倉市出身。2016年に北海道厚真町に移住。日西楓さんと同級生で、楓さん、遥さん、夢さんの3人は同じ小学2年生で被災を経験している。自宅は地震の揺れの被害によって再建せざるを得なくなった。自宅が再建されるまで避難所で3か月、仮設住宅で2年間をすごした。

なぜあのとき悲しくなかったのか、わからない…

2019年、厚真町で出会った3人

夢さんと、厚真町に住む楓さんと遥さんが初めて出会ったのは3年前の2019年。夢さんはそのとき2018年に起きた北海道胆振東部地震のボランティアとして、厚真町の子どもたちと遊びながら交流する活動に参加していました。他にも大勢いた子どもたちのなかで、2人の姿が強く印象に残ったといいます。

夢さん

一緒に木材を使ってテントを作ったり、一緒にジンギスカンを食べたりした記憶があります。そうやって2人と一緒に過ごすなかで、「地震で家を失ったり、すごく悲惨なことが起きているのに、明るいな」と感じました。2人に失礼かもしれないけど、地震を受け止めきれていないかもしれないと。でもそのとき、自分もかつてそうだったと思い出したんです。

夢さんは小学2年生のとき東日本大震災を経験し、自宅と親しかった祖母と伯父を津波で失いました。しかし当時、そのことを受け止めることができなかったと振り返ります。

避難所での夢さん(前列)  当時8歳だった
夢さん

津波で家が流されました、通っていた学校もありません、家族も何人か流されましたという事実はちゃんと理解していたのですが、うまく感情が付いてこなくて、涙も出ませんでした。事実だけを受け取って、内容を理解することを拒否していたのか…どうして当時、悲しくなかったのか今も分かりません。

小学2年生の目にうつった2つの震災

大きな災害を受け止めることに、もやもやを感じていた夢さんはいま、厚真町の2人が胆振東部地震をどう受け止めているのか、自分を重ねて心配していました。2人が胆振東部地震を経験したのは奇しくも夢さんが東日本大震災を経験したときと同じ小学2年生だったのです。

新型コロナウイルス感染予防のため、対話はオンラインでの実施になりました。対話には3人の他に、厚真町で楓さんと遥さんを支援してきた上道 和恵さんも参加しました。上道さんは夢さんが3年前に厚真町を訪れたときの案内役も務めていました。

上道さん

あ、夢ちゃんだ。お久しぶり!

夢さん

お久しぶりです。2人とも大きくなりましたね。3年の月日ですね。

上道さん

どちらが楓で、どちらが遥かわかる?

夢さん

真ん中が楓ちゃんで、左が遥ちゃん?

楓さん・遥さん

そうです!

対話はオンラインで行った
上道さん

2019年の3月に厚真町にボランティアで来てくれたから、ちょうど3年ぶりくらいだね。東日本大震災からはもうすぐ11年になるけど、大槌町はだいぶ変わりましたか?
(※対話は2022年2月下旬に行いました。)

夢さん

変わりましたね。盛り土もしたので、昔の町並みは分からなくなってしまいました。新しい道路とか建物が増えたので、きれいな町にはなりましたけど、昔よく行っていたところがなくなるとやっぱり寂しさを感じることもあります。

上道さん

寂しいっていう気持ちもあるんですね。北海道の胆振東部地震からは3年と少したちましたけど、2人はどうですか?厚真町は変わった?

楓さん

厚真はね、仮設住宅がなくなった。

夢さん

へえ。じゃあ、2019年に厚真に行ったときに私が見学した仮設住宅は、いまはもうないんですか?

楓さん

はい、取り壊されました。私と遥は新しいお家が建ちました。

遥さん

あとは橋がきれいになったり、土砂崩れがあったところにだんだん緑が戻ってきました。

夢さん

だいぶ復興は進んでいるんですね。

上道さん

そうだね。建物が壊れたところとか、崩れた部分はちょっとずつきれいになってる。

震災を思い返すのは苦しい でも必要なことでもあった

太田夢さん

お互いの地域の被災について少しずつ語り始めた、夢さんと楓さん、遥さん。しかし夢さんは対話に臨む前に、震災について2人と話すことの葛藤を打ち明けてくれていました。

夢さん

2人に胆振東部地震のことを思い出させてしまって大丈夫なのかなと不安に感じています。例えば、当時どんなふうに逃げたの?とか、そのときどんな気持ちだった?と聞いてもいいのか。経験したことを話すときには1回自分の心と向き合わないといけない。そこで2人につらい思いをさせないかなって心配で。

夢さん自身は、震災を語ることにつらさを感じるようになった時期がありました。それは、夢さんが中学生になって東日本大震災の語り部活動を始めた頃です。 活動を通して改めて震災と正面から向き合うなかでつらさを感じるようになっていました。

夢さん

時間が経つごとに当時のことを思い出して、どんどんつらくなっていきました。祖母と伯父を流されていたので、遺体安置所の光景を思い出すようになったり。毎年、3月11日にサイレンが鳴るタイミングで悲しくなったり。眠っていた感情がひょこひょこ出てきた感じがしました。

それでも夢さん自身は「震災を思い返すこと」の大切さを、自分自身の体験から実感していました。それは夢さんが語り部を経験したからこそ感じたことでした。

夢さん

震災を思い返すことでつらい気持ちになったこともあるけれど、語り部をやってよかったと思います。語り部をしなければ、自分の震災の記憶や感情が眠ったまま大人になっていたと思います。思い返すことは次の世代に震災の記憶を伝えることや、自分の過去の気持ちを整理することだと思うので。未来の自分につながることだと思います。つらくても思い返すことができてよかったといまは感じています。

夢さんは2人の気持ちを案じながらも、できることなら楓さんと遥さんと3人で、地震を経験した当時のことを一緒に振り返りたいと感じていました。

夢さん

やっぱり厚真町で地震が起きたときのことは、2人は覚えている?

楓さん

覚えてます。

遥さん

覚えてるかも。
家の玄関のドアが開かなくなったから、窓から逃げてキャンピングカーで2泊くらいしました。

楓さん

楓はヘリコプターが来たのが見えて、テレビ局かも!と思って、わーっと手を振っていた。でもテレビじゃなくて救助隊のヘリで、救助された。

上道さん

楓の家があったところは土砂崩れがひどい地域だったから、すごく心配していたんだよ。

楓さん

え、心配していたの?

上道さん

そうだよ。でも、願わくばもう、大きな地震は起きて欲しくないよね。

楓さん

うん、嫌だよ。

遥さん

嫌。また仮設住宅に住まないといけない。

楓さん

嫌だよね。狭い仮設住宅で生活するのつらかった。

上道さん

夢さんは東日本大震災のとき、ご家族やお家は大丈夫でしたか?

夢さん

私が住んでいた地域には津波が来たので、家は全部流されてしまいました。津波で私の祖母と伯父も流されてしまって。いろいろありました。その後は数カ月、避難所で生活して、そのあと数年は仮設住宅で過ごしました。

上道さん

そうだったんですね。

夢さんと楓さん、遥さんは初めてお互いの震災の経験を共有しました。
最後に4人は対面で再会することを約束します。

上道さん

本当は今日も直接会えればよかったけれど。

夢さん

直接会いたかったです。

上道さん

今後、岩手県の沿岸の被災地に楓と遥を連れて行きたいと思っているので、そのときに会えるかも。それを楽しみにして。会えたらいいね。

遥さん

行く!

楓さん

絶対行く!

上道さん

じゃあ、再会を祈って。ありがとうございました。

楓さん・遥さん

ありがとうございました。

楓さん

ありがとうございました。

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