本当に、「たかが痴漢」でしょうか?
「痴漢されても減るもんじゃないし」- 皆さん、このフレーズを聞いた経験はありますか。
痴漢は、被害者の心を傷つけ すり減らす、卑劣な行為です。
今回、被害に遭った方の取材を通し、そのことを改めて強く感じました。
(アナウンサー 合原明子)
都内に住む ゆいさんは、電車通学を始めた12才の時から毎週のように痴漢の被害に遭うようになります。痴漢の年齢は20代から60代まで さまざまでしたが、大体が普通のサラリーマンだったといいます。
100回を超える痴漢に遭いながらも、一度も声を上げられなかったという ゆいさん。理由の1つが、何を考えているのか分からない異常な人が横にいるという怖さだったといいます。
「いつも乗っている電車のはずなのに、自分だけが違う世界に飛ばされてしまうような感覚になった。」
いかに被害者が孤独な中で戦わなくてはならないかということを象徴する言葉だと感じました。
そして、もう1つ、理由としてあげたのが、電車内の独特の雰囲気。朝の満員電車には、皆、ストレスを感じながらも我慢して乗っています。そうした中、「痴漢です」と声を上げて電車を止めることは、許されないことのように感じたといいます。
さらに、思春期の ゆいさんは、親に相談することもできませんでした。自身が性的に見られていること、子供だけど子供ではない年頃になっていることを親と共有することが恥ずかしかったそうです。
周りに助けを求められない中での精一杯の防御法は、寝たふりをすること。「自分はこんなことで傷ついてなんかいない」と言い聞かせ、気持ちに蓋をすることでしか、自分を守ることができなかったそうです。「抵抗しなかったからといって痴漢行為を受け入れているわけでは決してない」と強い言葉で話してくれました。
痴漢被害が続く中で、ゆいさんは次第に、被害に遭う自身の体を汚らわしいと思うようになります。高校に進む頃には、自己肯定感が低くなり、自分のことが嫌いになったといいます。体調不良により 電車に乗って登校することが難しくなるまでに、精神的にも肉体的にも追い詰められました。しかし、当時は痴漢被害が原因とは分からず、「学校に行けない自分が悪いんだ」と自分を責めて苦しみ続けたといいます。
“ゲーム感覚” “少しでも触れたらラッキー”、そんな加害者の思いとは対照的な、被害者の苦しむ姿。こんなことがあっていいのかと話を聞きながら強い怒りがこみ上げました。
そして、残念なことに、痴漢被害者に対する世間の見方も厳しいままです。ゆいさんが被害のつらい経験をSNSで発信した時の人々の反応は、「被害妄想ではないのか」、「痴漢される側に問題があるのではないのか」、「服装を変えてはどうか」…。
“どうして何も分かってもらえないんだろう”と、とても悲しい気持ちになったといいます。
今回の取材で さまざまな被害の話を伺う中、突然、自分自身の過去の被害の記憶がよみがえり、戸惑いました。被害は大学生の時。10年以上前の記憶です。一度思い出すと、季節や天気、電車の車両や被害の様子など、はっきりと思い出せるのに、被害に遭ったという事実そのものが記憶から欠落していました。決して、大した被害ではなかったということではありません。「なかったこと」にしないと心の平穏が取り戻せず、無理やり記憶に蓋をしていたからでした。悲しい記憶です。
そして、被害者側がそうしなくてはならない状況が、10年以上たった今も変わっていないことにやるせなさを感じます。
これ以上、同様の被害を生まないためにできることは、「孤独の中、戦っている被害者がいないか、目を向けること」だと思います。
電車の中で改めて周りを見てみると、実に多くの人がスマートフォンを見ています。痴漢の被害に遭って つらい思いをしている人がいても気づくことが難しい状況です。私も例外ではありません。自戒も込めて、1人1人が社会を変えるのだという意識を強く持ち、周りに目を配る意識を持ちたいと思いました。
痴漢被害をなくすために、私たちは何ができると思いますか。
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