おもわく。
おもわく。

戦後文学のトップランナーであり続け、ノーベル賞を受賞するなど世界文学の旗手としても注目を集める作家・大江健三郎(1935-)。「現代社会の病理」「魂の救済」「現代人が失ってしまった神話的想像力」といった普遍的なテーマを描き続ける作品群は、今も多くの人たちに読み続けられています。しかし、その特異な文体や難解な思想から読み通すのが非常に困難な作家といわれることもあります。そこで、番組では、大江の後期代表作「燃えあがる緑の木」を読み解くことで、彼が文学を通じて追究してきた「人間についての洞察」「生きることの意味」「共同体のあり方」などをあらためて浮かび上がらせます。

「燃えあがる緑の木」は、執筆当時、大江自身によって「最後の小説」と位置付けられた集大成ともいうべき作品。一人の「救い主」の誕生、そして、彼を中心とした「教会」創生の物語です。舞台は大江の故郷でもある「四国の谷の森」。主人公・隆は、様々な挫折を経て「魂のことをしたい」と願うようになり谷へ向かいます。そこで古くからの伝承を語り継ぐ「オーバー」という長老に出会い特別な教育を受ける。やがてこの村のリーダーだった「ギー兄さん」の後継者に指名され、悩みながらもその使命を引き継ぐことになります。独特な治癒能力を得て隆は新たな「ギー兄さん」となり、村人たちの病や心を癒していきます。ところが、その行為は「いかがわしいもの」として糾弾の的に。様々な受難を受けながらも「燃えあがる緑の木」教会が設立され、既存の宗教にない「祈り」や「福音書」を生み出し、多くの人たちの魂を救済していきます。しかし、マスコミや反対派からの激しい攻撃や内部分裂をきっかけとして、大きな悲劇が到来してしまいます。そのプロセスには果たしてどんな意味が込められているのでしょうか?

作家の小野正嗣さんは、この作品が、大江が自らの知性と体験の全てを傾けて、既成の宗教によらない、現代社会における「祈り」「魂の救済」の可能性を描こうとしたものだといいます。異なる者同士の憎悪や対立など二極に引き裂かれがちな現代社会にあって、その矛盾をどう引き受け自らの魂と向き合っていけばよいか、そのヒントを与えてくれるというのです。番組では、大江健三郎本人の未公開インタビューなども交えて作品に新たな光を当て直し、そこに込められた奥深いメッセージを読み解いていきます。

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第1回 「四国の森」と神話の力

【放送時間】
2019年9月2日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2019年9月4日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年9月4日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
小野正嗣(早稲田大学教授)…「九年前の祈り」で芥川賞受賞
【朗読】
寺島しのぶ(俳優)
【語り】
加藤有生子

「燃えあがる緑の木」は、一人の「救い主」の誕生、そして、彼を中心とした「教会」創生の物語である。舞台は大江の故郷でもある「四国の谷の森」。主人公・隆は、様々な挫折を経て「魂のことをしたい」と願うようになり谷へ向かう。そこで古くからの伝承を語り継ぐ「オーバー」という長老に出会い特別な教育を受ける。やがてこの村のリーダーだった「ギー兄さん」の後継者に指名され、悩みながらもその使命を引き継ぐことに。それはこの村に潜在する「神話の力」を自らが体現することでもあった。大江が描く新たなギー兄さんの姿には、現代人が失ってしまった「辺境」や「神話」がもつ豊かな力が漲っている。第一回は、作品の執筆背景にも触れながら、小説に込められた「神話の力」や「辺境の意味」を読み解いていく。

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第2回 世界文学の水脈とつながる

【放送時間】
2019年9月9日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2019年9月11日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年9月11日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
小野正嗣(早稲田大学教授)…「九年前の祈り」で芥川賞受賞
【朗読】
寺島しのぶ(俳優)
【語り】
加藤有生子

独特な治癒能力を得た新しい「ギー兄さん」は、村人たちの病や心を癒していく。だが同時にそれは「いかがわしいもの」として糾弾の的に。ギー兄さんは反対者に殴打され深く傷つく。しかし、その受難はかえって一部の人たちの心をとらえ「燃えあがる緑の木」教会が設立。ギー兄さんに寄り添い支え続ける両性具有のサッチャン、父親である「総領事」、最初は糾弾者の一人だった亀井さんなど、多くの人たちが集い始める。彼らの協力を得ながら、古今の文学や宗教書の引用からなる「新たな福音書」や新しい形の「祈り」が生み出されていく。そのプロセスには、大江が人生を賭けて続けてきた世界文学との対話の成果が縦横に生かされている。第二回は、「燃えあがる緑の木」教会形成のプロセスを追いながら、大江が世界文学から何を得、どのようにオリジナルな思想を育ててきたかを明らかにしていく。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:小野正嗣
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第3回 信仰なき「祈り」は可能か?

【放送時間】
2019年9月16日(月・祝)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2019年9月18日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年9月18日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
小野正嗣(早稲田大学教授)…「九年前の祈り」で芥川賞受賞
【朗読】
寺島しのぶ(俳優)
【語り】
加藤有生子

ギー兄さんによる独自な説教や祈りによって多くの人たちを集め安定した基盤を築いたかに見えた「燃えあがる緑の木」教会だが、ギー兄さんの父親である「総領事」の病死やその葬儀を経てゆらぎを見せ始める。ギー兄さんは、これからのヴィジョンを示すべき説教の場で、突然うずくまるように倒れこんでしまう。その弱さに失望したサッチャンは、ギー兄さんの元を去ることを決意。行き場のなくなったサッチャンは、自らを傷つけるかのごとく性的な放蕩を繰り返す。大江の描く「救い主」や「教会」は、既存の宗教に比べて圧倒的に脆弱で、時にその脆さを露呈してしまう。それは何を意味しているのか。第三回は、大江の描く、これまでにない「救い主」像から、既存の宗教によらない「祈り」や「魂の救済」は可能かを考えていく。

安部みちこのみちこ's EYE
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第4回 一滴の水が地面にしみとおるように

【放送時間】
2019年9月23日(月・祝)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2019年9月25日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年9月25日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
2019年9月30日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
2019年10月2日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年10月2日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
小野正嗣(早稲田大学教授)…「九年前の祈り」で芥川賞受賞
【朗読】
寺島しのぶ(俳優)
【語り】
加藤有生子

ギー兄さんは反対派によって両膝を砕かれるという更なる受難に遭遇。だが彼は逆に「傷つけないこと」を生きる原理とする力強い存在へと変貌する。一方でマスコミや反対派からの攻撃を受け続ける教会では、組織防衛を強化しようとするグループと村出身の教会員の間で対立が激化。そんな教会に対してギー兄さんは決別を宣言、原点に戻るべく巡礼へと旅立つ。だがその途上で再び迫害を受け命を落とす。「根拠地か巡礼か」「組織か個か」という二極に引き裂かれながらもその矛盾を引き受け、特定の宗教によらない「祈り」を求め続けるギー兄さんの姿は大江本人の営みとも重なる。第四回は、様々な矛盾の中に立ちつくすことで、逆に「魂のこと」に近づいていくギー兄さんの姿を通して、「人間にとって魂の救済とは何か」を深く考えていく。

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○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『燃えあがる緑の木』 2019年9月
2019年8月25日発売
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こぼれ話。

一滴の水が地面にしみとおるように

大江健三郎「燃えあがる緑の木」を取り上げるきっかけになった、二人の恩人がいます。一人は、作家の小野正嗣さん。そして、もう一人は、元NHKプロデューサーの山登義明さんです。

もともと小野正嗣さんの小説の大ファンで、トークショーなどにもよく参加させていただいていました。昨年、小野さんが日曜美術館の司会を担当することになり、初回の収録の際にご挨拶させていただきました。互いに大分県出身ということもあって、その場で意気投合しました。立ち話でしたが、100分de名著の講師をいずれお願いしたいという話もさせていただいたのをよく覚えています。その後もいろいろなご縁でお食事をご一緒したりする機会も多く、さまざまな文学談義に花を咲かせました。

そんな中で、もし小野さんに講師をやってもらうとしたら、彼の作品と響き合うところがあるウィリアム・フォークナーの作品か、あるいは研究分野の一つであるクレオール文学、移民文学がよいかも……という話で盛り上がり、私自身もいくつかの作品をプレゼンしたこともあります。ただ少しだけ気になったことがありました。雑談の中で、最近、大江健三郎さんの作品の文庫版の解説をよく書かせてもらっているというお話をお聞きしたのです。大江作品は自分も大ファンなので、大江さんの作品もいいなと思ったのですが、現役で活躍されている世界的な作家を取り上げるのは畏れ多いし、著作権の許可どり等も大変だろうなという思いが先立ち、躊躇してしまったというのが実際のところでした。

ところが、ご縁とは不思議なもので、ちょうど同じ頃に、NHKの大先輩である山登義明さんにお声がけいただきました。山登さんは、エミー賞を受賞したNHKスペシャル「響き合う父と子」をはじめ数多くの大江健三郎さん関連番組を担当した名プロデューサーで、大江さんとも個人的な親交のある人です。

山登さんも「大江作品を今、読み直す意味が非常にあるのではないか」という強い思いをお持ちで、彼の話に深く共鳴しました。著作権の許諾に関してもスムースにいくよう間に入ると申し出てくださいました。また、知人の編集者や記者の人たちと共同で撮影した、大江健三郎さんの近況を知る上で貴重なインタビュー映像もご提供いただけることになりました(第四回の後半でご紹介したインタビューがそれです)。こうして、企画化の条件がほぼ整い、小野正嗣さんにも解説を快諾いただきました。山登さんの存在がなければ、この企画は実現しなかったでしょう。この場を借りて感謝の思いを伝えさせていただきたいと思います。

さて、なぜ数ある大江作品の中で、私が「燃えあがる緑の木」を選んだかについて書いてみたいと思います。私自身は、学生時代、「芽むしり仔撃ち」という作品に衝撃を受け、主に短編、中編を愛読していました。全ての作品は読んでいないのでよい読者とはいえませんが、「個人的な体験」「万延元年のフットボール」「日常生活の冒険」は大好きな作品です。

普通に考えれば、大江さんの代表作は「万延元年のフットボール」でしょう。ただ、今回はあえて後期の作品にチャレンジしようと思いました。なぜなら前期の作品は徹底的に論じられていますが、後期作品は論じられることが少ないからです。更に、この「燃えあがる緑の木」は、当時大江さんご自身が「最後の小説」と位置付けた作品ということもあり、あらためて深く読み解いてみる価値は大きいと思いました。大江健三郎という作家の全体像に迫るためにも、また彼自身の深い思想性に迫るためにも、非常によい作品だとも感じていたのです。

そもそも私自身がこの本を読んでみたいと思ったきっかけは「燃えあがる緑の木」というタイトルが孕む圧倒的なイメージです。何か神聖なものを冒瀆しているような戦慄を覚える一方で、眼をそらすことができない妖しい美しさに体ごと掴まれました。これほどに美しいタイトルには、なかなかであったことはありません。

会社に入ってから3~5年目くらいに連載、刊行されたので、仕事しながら挑んだのですが、正直なところ、最初は第二部で挫折しました。思想的な部分が多くて、ストーリー展開の面白さが当時のぼくにはまるで理解できなかった(というかストーリーが止まってしまったような印象でした)。で、第二部のかなりの部分を飛ばして結末だけを読んで、第三部を読んだのですがここは展開があってとても面白く最後まで読めました。

今、読み返してみると、第二部は、大江自身の思想として読めばよかったのだなと思います。この歳になって理解できるところも増えて、実はここを咀嚼すると、第三部の深みがまるで異なるのですね。なればこそ、この作品は、大江思想の集大成なのだなと今なら言うことができます。

これを小説といってよいのだろうか? 世界文学の引用を駆使した思想書といったほうがよいのではないか? 今回、小野正嗣さんの解説を通して、そう深く実感しました。また、読むときには、いっぺんに読もうとせずに、またストーリーを味わうというよりも言葉を味わうように読むといいかとも思います。

あらためて読み返してみると、最初に私を虜にした「燃えあがる緑の木」のイメージは、実は、物語全体のテーマを見事に凝縮し象徴しています。世界は、異質なものや矛盾するものたちがぶつかり合いながらも、共存しているからこそ美しいのです。そんな、私たちが忘れてしまいがちな事実を、類まれな文体で思い起こさせてくれる大江健三郎という作家を私たちは決して忘れてはならないと思います。

憎悪を煽り立て、異質なものを排除し、世界を一色に染め上げようとする暴力が、今、世界を席巻しています。こんな時代だからこそ、私たちは大江健三郎の作品を深く読み直し、そのような暴力と闘わなければならないとあらためて感じています。「一滴の水が地面にしみとおるように」という言葉は、そのための勇気を私たちに与えてくれるのです。

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