にっぽん縦断 こころ旅
正平さん、スタッフの皆様、チャリオ君!
毎日、ご苦労様です。初めてお便り申し上げます。
静岡に向かわれると知り、是非に行って頂けたらと、不慣れなパソコンをいじって応募させて頂きます。
宮城県在住・稲葉敏元(としかず)・72歳高齢初心者・男子です。
家族の者どもは「爺ちゃんの投稿なんか採用されないよ」と無関心。
断じて、意地になって応募した訳では有りません。
下記に述べます私と亡父の淡い出来事がお気に召しましたら、検討してみて下さい。
亡父は伊東市・八幡野の生まれ育ちです。長男でしたが家を出て 戦後、東京品川で自動車の修理工場を経営しておりました。
父は亭主関白を絵に描いた様な人で、赤ん坊の頃の私を抱いた姿を見たことが無いと、亡くなった母がこぼしていました。
そんな父でしたが、ある時、小学校5年生の私を連れて八幡野に帰省しました。そして釣りに出かけたのです。夏のことです。
場所は、伊豆高原駅から海側に向かった方向にある大きな「潮だまり」です。この地では「橋立」と呼んでいます。
早朝から磯に陣取り「石鯛」を狙う父でしたが、魚の都合が悪いのか一向に釣れません。陽も傾き始めています。
退屈そうにしている私を見て、釣り糸(石鯛釣りなので糸が太い)に、「大島浮き」という40cmの長い木片を縛り付けました。
「トシ坊、それに捕まって泳いでみろ!」
潮だまりは2個あって、大きな「大淀」と呼ばれている池を指さしました。
私が、それに捕まって泳ぐと父は‥‥‥‥
「今日は、石鯛より大きな宝が釣れた。大漁だ!大漁だ!」
と笑っていた顔はいっもの父ではなく、幸せそうな父でした。
父は11年前、91歳で逝きました。私は61歳でした。
亡くなる2か月程前に電話で話した時、話が終わり電話を切ろうとした時 父がつぶやく様な声で「俺は何も残さなかった様だが、宝を残したな」
突然に逝ってしまったので臨終には間に合いませんでしたので、その電話の言葉が最後でした。
父の遺灰の一部は橋立の海に散骨しました。その後、遠隔であり、
私も妻も容易には訪ねることも出来ず10年以上も縁遠くなっています。
自転車で間近まで行ける筈です。
ご一考下されば幸いです。
宮城県多賀城市
稲葉敏元
宮城県多賀城市
稲葉敏元さん(72歳)からのお手紙