にっぽん縦断 こころ旅
正平さん、スタッフの皆さん、こんにちは。こころ旅、朝夕楽しく拝見しています。
私のこころの風景は、北海道幌泉郡えりも町東洋の海辺です。
学生の頃、何の目的もなくだらだらと毎日を過ごしていた私は、20歳の夏に、北海道援農事業のアルバイト学生募集の張り紙を目にしました。1か月間農家に住み込んで、農作業や漁業のお手伝いをするというアルバイトでした。何よりも魅力だったのは、北海道までの往復の交通費が支給されるという点でした。
安易な気持ちで応募した私は、派遣先である北海道幌泉郡えりも町まで大阪発の夜行列車で2日間かけて行きました。着いた先は、荒涼とした海が広がる寂しい漁村でした。そこでの仕事は、朝4時に起き、住み込み先の親父さんと二人で小さな舟に乗って水深5メートルほどの海底に生えている昆布をとり、陸に上げて天日で干すという作業でした。午後に干上がった昆布を回収するまでの時間は、牧場に行って馬房を掃除したり、草原で馬のえさの干し草をまく仕事をしました。夕方までとことん働き、寝床に就くのは夜の8時頃でした。
海辺にある昆布小屋の二階で、波の音を聞きながら疲れ切って眠りにつく毎日でした。
住み込み先の家庭は、親父さんと奥さん、息子さん、そして私より2歳上の娘さんがいました。親父さんは厳格な人で、私は毎日怒られながら昆布をとっていましたが、仕事の合間にかけてくれる何気ない言葉に優しさを感じました。人生の目標もなく日々を過ごしていた私に、働くこと生きることの厳しさと喜びを教えてくれた親父さんのことは、今でも忘れられません。
辛くもあり楽しくもあった1か月の漁村での生活から、また平穏な学生生活に戻った私でしたが、その翌年から毎年夏になるとお世話になった親父さんから段ボール箱いっぱいに詰め込まれた昆布が届き、それは、20年以上も続きました。私が40歳を過ぎた頃、家族を連れて懐かしいえりも町東洋の海辺を訪ねてみましたが、船を漕ぎ出した岩場の手前には堤防ができ、昆布小屋もな
くなり、お世話になった親父さんは病気で入院しているとのことでした。それから数年後、昆布の送り主は親父さんから奥さんの名前に変わり、40年以上経った今は娘さんの名前になっています。
正平さん、暑かったあの夏のえりも町東洋の海辺をぜひ訪ねてみてください。
兵庫県神戸市 塩谷富雄(63歳)
兵庫県神戸市
塩谷富雄さん(63歳)からのお手紙