にっぽん縦断 こころ旅
川代渓谷の思い出回
私は約40年前、西宮市から主人の故郷・丹波に引っ越して来ました。3歳の長女と1歳の病気の次女を連れて、夫の両親と同居することは、若い私にとって相当の覚悟が必要でした。便利な都会から何も知らない田舎の生活に変わるのは不安ばかりで、親しい友人は何とか止められないのかと、気遣ってくれたものでした。
JR福知山線に乗って、車窓の風景が都会の街並みから山並みに変わった頃は、もう戻れない淋しさと心細さでいっぱいでした。
篠山口を過ぎると、まもなく川代渓谷を通ります。篠山川の美しい流れが、大きな岩の間を水しぶきをあげて流れ落ちる迫力に圧倒され、淋しさも忘れ感動したのを覚えています。
九州の温暖な海辺で育った私にとって、四方を山に囲まれた丹波は好きになれない所でした。
主人は故郷に帰って10年で亡くなり、姑と子供3人の生活を余儀なくされました。
言葉にならない苦労が有りましたが、40年が過ぎ人生の大半を丹波で生きたことになります。
生活に必要な運転免許を取り、丹波を知ろうとあちこち訪ね歩くうちに、ここにしか無い魅力があると知りました。川代渓谷は春になると桜が咲き 鉄道を走る電車が絵になります。夏は涼しい風とつり橋が暑さを忘れさせてくれます。
今思えば、この風景が私のスタートだった気がします。
最近、ここで国内最大級の草食恐竜の化石が発見されました。太古の昔、この渓谷に恐竜が生息していたなんてスゴイと思います。悠久のロマンと共に、この美しい渓谷が今後とも変ることのないようにと願っています。
丹波市
西田まり子(69歳)
丹波市
西田まり子さん(69歳)からのお手紙