にっぽん縦断 こころ旅
火野様、番組スタッフ様、こんにちは。毎回欠かさず、視聴させて頂いております。大変な旅ですが、毎回感動を頂き、ありがとうございます。
私は、腰も悪く、老老介護で、頼る娘も足がうまく運ばず、行きたくても行けない場所があります。
そこは、明石市の市役所の屋上から見る海峡の風景です。
昭和59年の春と記憶しています。
播州丸という、LNG船の船長で、仕事一筋だった、亡き主人が、めずらしく、「明石海峡を通るから、皆で見においで」と連絡してきたのです。当時、家には、結婚式の迫った長女が、おりました。しかし、主人の船の仕事は勤務が長く、長女の婚約者とは逢ったこともなく、また式にも出席できない状況でした。主人は、結婚式が迫っていたことで、遠目からでも、長女の夫となる人を見てみたいと思ったのでしょうか、と思います。
そのころは、もちろん明石大橋はありません。
光る海面に浮かぶ、大きな船の船上に五つの、巨大なコブのようなタンクを乗せた船に向かって、長女と婚約者、私とで、せいいっぱい、手を振った思い出があります。あとで、主人にその時の事をたずねましたが、「見えたよ」と言葉少なに語るだけで、今思えば、娘を嫁がせる人物を、きっと食い入る様に双眼鏡で見ていたのではと、思いますが、その胸中はわかりません。
その日は、天候が良く、海は、眩しく光り、壮大な五つのコブを持つ船の姿が、今も、主人の思い出として残っています。
火野様に、あの、キラキラした海に映った、懐かしい、けど、少し涙色だった私の気持ちを、見て感じて頂ければ有難いと思いました。どうぞよろしくお願いいたします。
火野様、番組スタッフ様、皆様の、今後のご発展をお祈り申し上げます。ありがとうございます。
※現在 明石市役所の屋上は開放されていません。
兵庫県三田市
藤野清香さん(86歳)からのお手紙