にっぽん縦断 こころ旅
前略
火野正平さん、スタッフの皆さん そしてチャリオ君 長旅ご苦労様です。テレビでいつも楽しみにして、拝見致しております。
私の心の風景は、兵庫県西宮市西波止町にある砲台の建つ香櫨園(こうろえん)の浜です。
私が小学生の低学年だった昭和32~34年頃、日曜日の早朝に、父に起こされ、まだ暗い中、弟と三人で自転車に乗り、片手には粗末な竹の「のべ竿」を持ち、何軒もの造り酒屋の建家の横をすり抜けて、自宅から約5km先の浜に向かいます。途中で餌屋さんに立ち寄り、10円を出して杯一杯のゴカイを求め海辺に出ます。
まだ薄暗い浜の隅には、幕末に黒船の来襲に備えて、建てられた円筒状の砲台が、ぼうっと白く見えていて、何だか子供心には不気味な存在でした。
三人は波打ち際に素足で立ち 、広々とした海に竿を出して魚釣りを始めます。海がきれいだったこの頃は、魚は多く 生息していて、季節によっても変わりますが、ハゼ キス カレイ ボラ セイゴなどが、子供にも簡単にポンポンと釣り上がってきます。夢中で釣っていると、背後から「お昼ご飯だよ」と、いつのまにか来ていた母の声がします。朝食抜きの腹ペコの私達は、早速 握り飯を頬張りながら、母に今日の釣果などを、わいわい話をして、また 波打ち際へと・・・・ 楽しい一日を過ごしました。
そんな日が忘れられない思い出として、70歳近くなった今も心の風景として残っています。
貧しかった我が家は、そうそう何処かに家族で出掛けるということはなく、少しでも子供逹を喜ばそうと、両親が考えたのが、近場のこの魚釣りだったに違いありません。
今は香櫨園の浜も埋め立てられて、池のようになり、広々とした海ではなくなっておりますが、砲台と砂浜は残っております。
釣った魚達は母の手で、その晩のおかずになり、私達のお腹に納まったのは、言うまでもありません。
是非 正平さん 香櫨園の浜を見て来て下さい。
幕末の砲台も一見の価値はあると思います。
宜しくお願い致します。
草々
兵庫県三田市
保子進さん(68歳)からのお手紙